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小言のこごと、その1

あなたにとってそこが0センチ規模ならば、今の私にとっては144キロメートル規模の夢だ、と思う。

私は今、「ベット」が恋しくって仕方ない。



GENERATIONS from EXILETRIBEの小森隼さん。私がこの世で1番好いているひとです。

7人組グループのパフォーマーの1人で、番組や会話を楽しく上手に仕切るお喋り上手なMC担当。昨年は「HiGH&LOW THE WORST」で俳優さんとして銀幕デビュー、その冬には舞台初出演&初主演も務めました。
NHKの子供向け番組ではちびっこ達と共に「はやと先生」として踊ったり。今年の春からは15年の歴史を持つラジオ番組ことTokyo fm「SCHOOL OF LOCK!」の四代目教頭を務めています。

凄いな、今書き出してあらためて驚いちゃった。あなたは凄いんだ、あなたが思うよりもずっと、なんだって出来る。この先だって絶対よ。何が凄いかって、これが彼の肩書きの全てではないということ。

そんな星の数程の可能性を持つ彼のお仕事のひとつが「コラム」です。

https://www.tokyoheadline.com/504545/

TOKYOHEADLINEで毎月第二・第四木曜に連載中、タイトルは「小森の小言」。

彼が思う事・生活について、彼の優しく丸っこい読み感触の言葉で緩やかに綴られて来たこのコラムは、連載2周年を迎えた今年から少し在り方が変わりました。

それは、毎回テーマを設けるということ。

今までは彼のその時の心の模様、気付きをそのままに。23歳のお誕生日を迎えての小さな覚悟、高校時代に愛した歌やお気に入りの本を紹介する日もあったし、偶に読者から質問を募って答えてくれた事もあったり。そうして自由な在り方を貫いてきた「小森の小言」ですが、テーマという枠を設けた在り方もまた面白くって素敵なのです。

事前にテーマを提示して、読者がそのテーマに対して自分自身のエピソードを「#世間の小言」というハッシュタグをつけてツイート。次回更新時に彼が同じテーマで答え合わせの様にコラムを更新+読者のツイートを幾つかピックアップしてコラムに掲載しつつお返事という形。

「同じ事に対してこんな事考えてるんだね」なんて幾重の温度感のある発見と、打ち込まれた文章だけなのに、全てが画面越しなのに、なんとも筆者と読者の距離感が近く、且つ穏やかに繋がった関係性が良い。私はこの形も、凄く好きだ。

そんなまあるくアップデートされた「小森の小言」を読みながら、「私が彼と同じテーマで自分自身の気持ちを書くとしたら、果たしてどんな文章を書くだろうか」と、ふと思ったのです。

ひとつのテーマでも、ひとりひとりの生きて来た道筋や持ち得たひととなり、触れている生活によって捉え方は違うはず。ならば、彼と似て(私は勝手に彼をこの世で1番似ている人間だと思っている節があります)非なる私は一体どんな角度で同じものを見るか、ちょっと知りたくなってしまった。私ってどんな人間なんだろう。

あと、コラムの締め切りと一生懸命追い掛けられっこする彼の気持ちも、ぼんやりとした形だけでも良いから知りたくて、こうして彼の小言への「こごとごっこ」を始めてしまうに至った訳です。勿論私に締め切りは無いけれど。

なるだけ永く続けていければ良いし、そのつもり。



社会人2年目、独りでの生活も気が付けば程々に慣れて来た近頃。1年目の春は心も、身体も、お財布もとにかく余裕が無くて、「削れるところは削ろう」と切り詰めて生活していたけれど、そんな緊張の生活も今は随分と解れた。

この1年で、大好きなワンピースが20着増えた。
部屋にお花を幾つか飾れるようになった。
料理が楽しくなる様に、キッチン用品も少しずつ手に取っては台所に並んだり。
欲しかった本も、行ってみたかった喫茶店も、憧れのネルドリップポッドも、自分で働いて得たもので少しずつだけど叶えられてる。

だけどどうしても未だに叶えられなくて、恋い焦がれているものがひとつあって、


それは「ベット」。

私はベットが欲しい。欲しくて仕方ない。あのふかふかとした海に毎夜飛び込みたいと、そんな事ずっと考えている。
「ならば買っちゃえば良いのに」と思うだろうか、買って済むならもうとっくにどうにかしてるはず。
というのも、社会人になってから住み始めたこの愛しき我が家は、どうしたって狭いのだ。

テレビとハンガーラック、キャビネットに本を仕舞った棚、正方形の小さめの炬燵机、洋服用の小さな収納ボックスに全身鏡。これらが私の小さな部屋をぎゅうぎゅうと占める構成要素。勿論ロフトなんてものもない。到底ベットを迎え入れる余裕なんて無い。

いつも眠る時にだけ真っ白なフローリングの上に敷布団をよそよそと広げて、それでも床の硬さがほんのり伝わるから身体の下にふかふかの毛布を敷いて眠る日々。こんな事をもう1年と3ヶ月以上続けている。

今こうして文字を打ち込みながらはっと思った、私が度々夜に眠れなくなるのって、もしかするとお布団も原因のひとつだったりするんだろうか。
そうなら尚の事問題だ。また眠れない夜が来たとしたら、今度は君のせいにしようと思う。忌々しき、でもいつもお世話になってる愛しき敷布団よ。

小森隼さんにとってのベットが身近な生活の中にある「0センチ規模」の日常なら、私にとってのベットは実家の私の部屋に今もある「144キロメートル規模」の恋しさなのだ。

ああ、恋しい。

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これは実家の私のベットですやすや眠る友人の写真。

実家を出るほんの2ヶ月前、もう目前に控えた国家試験の為に夜通し受験勉強をしていた去年の1月半ば頃。深夜2時頃まで勉強してから一旦明け方まで眠る私と違って、朝まで懇々と勉強してから睡眠を摂る派だった友人。
みんなが目覚めて玄関から日常に向かう時間に、眩しい朝陽に包まれながら、ぐうぐうすやすやと気持ち良さそうに眠りにつく。カメラのシャッター音にすら気付かないくらいぐっすり眠っていて、疲れてるな、頑張ってるもんね、と寝顔を眺めながら考えた事を今もよく覚えている。

あの時の私達にとって、ベットは机に向かわない瞬間の大切な巣だったのかもしれない。優しくふかふかなお布団達に、どうしたって労われていた。

私達、頑張ったよね。

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ベットは乗り越えなきゃいけない日々すら柔らかく包んで、ふかふかと癒してくれるのだ、ああ恋しい、更に、どこまでも恋しくなる。


始まってもうすぐ中旬を迎えようとしている7月、最後には4連休が待っている。
正直私にはカレンダーで並ぶその4日間が見る度に輝いて見える。だって、飛び込めるその日が着々と近付いているのだ、愛しき実家のベットに。

世間は今も混沌としていて、どこへ向かって行くのか未だに分からない。不安ばかりだ。
それでも、もしこれ以上に世界が悲しく傾かなければ、私は144キロメートル先に待つベッドの下まで帰りたい。

両親と取り留めのない事を話したい。
弟にお土産を渡してにやにやと反応を見守りたいし、年老いてすっかりぬいぐるみみたいになった大好きな愛犬にも会いたい。チャンスがあるなら友人達にだって会って、しょうもない話をしたい。

そして、でも、やっぱり、お楽しみの実家のベットに飛び込みたい。

丁寧に髪を乾かして、ちょっとリビングのソファでぼんやりとテレビを眺めてから、二階の部屋まで上がる。入って左手に待っている「それ」にわくわくのまま飛び込むのだ。
柔らかい布団を鼻の上まで引き上げて、身体が沈む様にふかふかなベットに守られて眠りにつく。
なるべく肌を布に触れさせていたいから、丈の短いルームウェアを持って行こうだとか、そんな事ずっと考えてる。


待っていてベッド、144キロメートル規模の私の恋しさ。独りの部屋に新しい拠り所を迎え入れるその日まで、どうかまだまだあなたを頼らせて。

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