初めてのフルマラソンを2012年に走った理由
ホノルルマラソン40回記念大会(2012年12月)は、31,083人(日本人内訳16,283人)がエントリー。このうちの一人がSuperMarikoでした。てへっ😋
そもそもランニングを始めたのが2010年9月(東京勤務になってから)。
憧れのトーキョーで、皇居ランナーになるぞ!
これが私のランニングを始めたきっかけです。
初めての公式レースは、一人5キロのリレーマラソン(駅伝🎽)でした。
2010年12月のこと。
そこからランニング仲間に洗脳されること数ヶ月。
私がされた洗脳とは、
「人間は自分が走った距離の2倍は走れる能力が備わっているんだ。」
この一言です。(ほんとかよ!)
このメッセージが、レースのたびに頭に刷り込まれ、
「あたしは走れる!」マインドにどっぷり浸かったわけです。
こういうの、アファメーションって言います。RASに言い聞かせて、脳をプログラミングできるんですね。
2012年4月になり、とうとうハーフマラソンを休まずに完走できるまでになっていました。
仲間内で行われる大会の打ち上げでは、なんとなくマズい雰囲気💦
何がマズいか、というとこの質問。
「SuperMarikoさん、フルマラソンはどこ走ったのですか。」
ランニング仲間たちの、東京だ、沖縄だ、北海道だ(マラソン)という武勇伝のこだまする中、まだ走ったことなかったのよ。
その時点でSuperMarikoのお年は38歳。30代のうちにSuper Mariko史上の偉業を達成したい。そして仲間に自慢したい!
その時、密かに立てた誓い。「ここまできたら、ホノルルだー!」
目立ちたがりの私のわかりやすい戦法です。
なんと、行っちゃいました! ハワイへ
そして、
30代のうちに偉業を成し遂げてしまいました。
”1973年11月生まれなので、気づいたあの時点(2012年4月)にエントリーしないと、翌年では40代に突入だったんです(汗)”
↑これが2012年にホノルルマラソンに出た理由です。
自分史上の偉業を達成したかったことと、
ラン仲間にフルマラソン走ったことを早く報告したかった!
それで生き急いで、ホノルルマラソンにエントリー(しかもアーリーバード)し、練習レースとして、7月に釧路湿原マラソン30k、10月に滑川ホタルイカハーフマラソン、調整に11月に入善扇状地ハーフマラソンまで走って、ホノルルに臨みました!
(計画的犯行!)
今思えば、逆算思考でゴール(フルマラソン)から設定して、その間8ヶ月で、ハーフマラソン3回、30kレース1回走って自分の力を試すあたり、策士かも。全ては洗脳の賜物です。洗脳してくれたラン仲間に心から感謝します。
予祝して、
未来の姿を描いて、イメージし、
あとは流れにお任せ♫
あれから約10年が経ち、
2022年7月24日(日)、SuperMarikoにとって40回目のフルマラソンがやってきます!
サブフォーできるかな。(PBは4時間9分)
あれまー、サブフォーを40代のうちに達成!?できるかな。
また新しい課題がやってきたー💪
マラソン大会でゴールしている自分を予祝して2ヶ月過ごします。
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