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あの日、泣いていたのが誰なのかいまだに思い出せないでいる。

仕事帰りにまだ見慣れない街を歩きながら、考えごとをしていた。

ふと思い出したのは、今日はplentyのラストライブから3年が経っていたということだ。あの日のことは鮮明に記憶に残っている。

ラストライブが終わった後、会場を出たとき、周辺にはplentyのファンでごった返していた。雨が降っていたので、かっぱを羽織っている人や傘を差す人ばかりだった。その中で、泣いている女性を見かけた。雨音のせいで泣き声は聞こえなかった。泣いている女性に寄り添っている人もまた泣いていた。その2人は確か僕が知っている人だった。SNSで知り合った人ではあるが、その方のことをいまだに思い出せないでいる。その光景だけが脳裏に刻み込まれている。

3年という月日は長いのか短いのか、正直なところわからない。plentyの解散という事実は、ごく当たり前のように僕の中には定着してしまっている。染み込むという表現が適切かもしれない。悲しいという感情もほとんどない。冷たいと思う人はいるかもしれないけれど、それは僕にとっての事実なのだから、仕方がないだろう。

3年という時間の流れは、良い意味でも悪い意味でも色んなものを変えてしまう。交流があった人との連絡が途絶えてしまうこともある。3年前には自分が関東に住むことになるなんて思いもしなかった。人生というのはわからないものである。

plentyを知ったときの自分と今の自分はどう違うだろう。9年ほど前になるが、当然ながらずいぶん変わった。性格的にもかなり変わったように思う。

plentyを長年聴き続けてきたから、その時々で僕の心に響く曲というのも変わってきたように思う。ここ最近の何だか妙に切ないような、息苦しいような心持ちを見事に表現していたのは、“風の吹く町”という曲だ。

工場の煙漂う にぎやかな帰り道
夕焼けと海のあいだ 現実と夢のはざま
ただ寂しくて誰よりも泣いて みんなで笑った
明日のことなんて何一つ分からなくて
向かい風 歩きながら
町も人もかわってくだろう
強い風、吹き抜けては
いつも背中押してくれた
いつかのあの日を僕は失くさない
いつもの空の下、今日がある

明日のことなんてわからないのに、3年先も10年先もわかるはずがない。それでも、みんなで泣いて笑って、そんな日常が戻ればいいなと願っている。

plentyがいない光景は、もはや僕には見慣れた景色になってしまっている。僕の周囲の光景も3年先には見慣れた景色になっているだろうか。そのときにはこの街にはいないかもしれない。明日のことなんて何もわからないのだから。

#日記 #雑記 #plenty

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