大きな声でピリカピリララ 〜"男の子らしさ""女の子らしさ"という刷り込み〜

はじめに

「どっきりどっきりDON DON 不思議なチカラがわいたら どーしよ?」ご存知おジャ魔女カーニバル!!である。
僕たちミレニアル世代の多くは男女問わず、この記事のタイトルと書き出しを見るだけで幼少時代の懐かしい思い出が蘇るのではないだろうか。
実際、この年齢(成人)になっても複数の友人がカラオケに行くとこの曲をチョイスして歌い出す。僕ら世代にとってはデジモンの「butterfly」、金色のガッシュの「カサブタ」に次ぐ誰もが歌えるおジャ魔女どれみの「おジャ魔女カーニバル!!」なので、決まってマイクを持っていない人達も歌い出し盛り上がる定番曲だ。(他にもとっとこハム太郎の「ハム太郎とっとこ歌」やセーラームーンの「ムーンライト伝説」などもあるのでつくづくアニメや名曲に恵まれた幼少時代を過ごせた世代だと思う。)

おジャ魔女どれみと幼少時代

なぜ、いきなりおジャ魔女どれみについて書いているかというと以下の記事をたまたま目にし、おジャ魔女どれみに関する、とある記憶が蘇ったからである。

まず、セーラームーンでもなくプリキュアでもなくおジャ魔女どれみが今の時代に続編映画が上映されるほど根強い人気を誇っていることに衝撃を受けた。しかし、タイトルにあるように僕が書きたいのはおジャ魔女どれみの話の中身や映画についてではない(遠い昔すぎて記憶がないと言った方が正しいかもしれない)。

僕が、このニュースを見て思い出したのはジェンダーの刷り込み、男の子らしさ・女の子らしさの刷り込みだ。

小さかった頃、僕は祖父に近所のデパートに連れて行ってもらい「好きなおもちゃ一つ選んでいいよ」と言われた。そこで僕が選んだのは仮面ライダーやウルトラマンのおもちゃではなく、おジャ魔女どれみのステッキだったのだ。

この動画のとは種類が違った気もするが、この動画のようにピカピカ光ながら音が鳴りカラフルという魅力に当時の僕は惹かれたのである。

そう、その時の僕には男の子向けのおもちゃだとか女の子向けのおもちゃといった概念は毛頭なく、純粋に"欲しい"と思ったから買ってもらったのである。

祖父も孫世代のアニメやおもちゃについては疎かったため、何も言わずおジャ魔女どれみのステッキを買ってくれた。

一方、両親の反応は違った。僕が、おジャ魔女どれみステッキをピカピカ光らせ音を鳴らしながら嬉しい気持ちで家に帰ると、両親は驚きの表情を浮かべながら笑うのである。「女の子のおもちゃなんて買ってくるんじゃない!」といった類のことを言われたわけではないが、純粋に両親は僕が"男の子向け"ではなく"女の子向け"のおもちゃを買ってきたことを不思議に思ったのだと思う。

しかし、先述したように当時の僕には"男の子向け"や"女の子向け"といった概念がない。両親の反応が理解できず、何かおかしなことを自分はしてしまったのかと考えたのである。一応断っておくと、女の子になりたかったというわけでもない。仮面ライダーのおもちゃもおジャ魔女ドレミのおもちゃもどちらも対等なおもちゃであってそこに性別といった概念がないそれだけだったのである。

その後、月日が流れ幼稚園や小学校などに通ううちに、時には周りの人にバカにされたりしながら、僕は"男の子らしさ""女の子らしさ"という概念を理解し、おジャ魔女どれみやセーラームーンを見ていた過去を話すのはかっこ悪い、みっともないことだと認識するようになり、ウルトラマンや仮面ライダーといった"男の子らしい"ものが好きになっていった。それと同時に、過去の自分のように、"女の子向け"のアニメを見ている友人を小馬鹿にするような少年になっていた。

男の子らしさという刷り込み

ある程度大人に近づいた頃、ジェンダーや多様性(diversity)といった概念や海外ではトイレの男女の色の区別(男は青、女は赤)が通じないということを学び、"男の子らしさ'"女の子らしさ"というのは社会による後付け、刷り込み(implement)であると気づかされ、おジャ魔女どれみステッキを買ってもらった僕自身や、僕が仮面ライダーを見ていた頃に女の子向けアニメを見ていた友人は何もおかしくないということに気付かされた(馬鹿にした〇〇君ごめんなさい)。

この話を高校時代に友人にしたところ、その友人も全く同じ経験をしており、おジャ魔女どれみのステッキを小さい頃買ってもらったのだという。僕以外にも同じ経験をしている人が身近にいたことが嬉しかったと共に、であれば一体何人の日本人が同じような経験をしているのかと思った。

冒頭に述べたように、今の僕たちは男であれ、おジャ魔女どれみカーニバル!!を(恥ずかしがらずに?)カラオケで歌うことができる。きっとそれは大人になり、アニメの"男の子向け""女の子向け"といったくだらないことを気にしなくなっただけかもしれないし、僕のように社会による刷り込みに気づいたのかもしれない。

最近も某虎の子のキャラクターの教材で家族の中で女性であるお母さんだけを床に座らせるといった描写がありTwitter界を騒がせたことがあったように日本は特に性による役割や、〇〇らしさを求められる国だと思う。しかし、D&I(Diversity and inclusions)といった言葉が聞かれるようにそれでも少しずつ社会は変わっていっている。

男の子でも堂々とおジャ魔女どれみステッキで遊べ、女の子でも当たり前のように黒のランドセルを背負える性(ジェンダー・gender)に縛られない自分らしく生きられる社会への一助にほんの少しでもこのnoteがなればと思う。

あとがき

最近、いわゆるジェンダーに関する話題が世間(Twitter)を賑わすことが多くあるが、僕自身フェミニズムやジェンダーに関しては門外漢なので、このnoteでも言葉の使い方が間違っているなどあるかもしれません。その際はコメント欄などでご指摘いただけるとありがたいです。また、おすすめの書籍や記事、サイトなども紹介していただけると嬉しいです。

某専業主夫ドラマや漫画などこの話題について思うことは色々あるので気が向いたら第二弾も書くかもしれません。



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