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まだ見ぬ物語をこの手で

昨日は執筆をお休みしてしまい申し訳ありません。さて前回の続きから語ってまいります。

 中学生時代は東方やポケモンを適度に楽しみながら、鉄道に大きくのめり込んでいた。小学生までは鉄道仲間はおろか興味がある友人すらいなかったが、中学に入り鉄道研究会に入ったことで、今までにまして鉄道熱が加速したのである。

 しかし、この時同時に入った地理部が、私の人生の方向を大きく変えたと言える。部長は同級生のプログラミングを趣味とする変わり者であり、他にも個性的なメンツが揃っていた。そして何より異色だったのが、地理部にも関わらず観光系youtuberをやっていたことだ。恐らく調べれば出てくるので、興味のある方は探していただきたい。兎に角、この部活にはどこか近代のベンチャーじみた雰囲気が漂っていたのである。

 高一になり、私達は夏の文化祭に向けて、地理部のゲームを制作することになった。コード打ちは部長の専門職だったが、この時に私は人生で初めてゲームプランの作成に関わった。今考えると非常に貴重な経験である。この年の地理部のブースは宣伝効果やゲームの目新しさもあり、大盛況のうちに終わった。今は地理部OBの身だが、この部活を私は生涯忘れることは無いだろう。この部活に入るまで、ゲームは私の知らない凄いおじさん達が作っているのかなと漠然と考えていたが、「ゲームは誰でも志せるんだ!」という考えをこれを機に持つことが出来た。

 話は昨年の自粛期間まで大きく飛ぶ。この期間、私は学習を疎かにしたために今も受験勉強に背後で脅されつつ文を書いているのだが、この期間に私は久々に東方を掘り下げようと思い、製作者のZUNの経歴や旧作を含め、東方についての知識を深めていった。東方への愛が深まるうちに、ゲーム制作の大変さやある程度の才能の必要性を思い知らされたが、この時に私の中のパズルのピースがハマったような感覚があった。

 一部分野への知識が特段に深く、劇のシナリオを考えるのが好きで、絵を幼少期から褒められ、作曲に憧れる...そう、その望みを全て叶えてくれるのはやはりゲームなのだと確信した。今の目標はここから始まったのである。しかし、ゲームを出すまでは、Lunaticよりも厳しい道のりが牙を剥いて待ち構えている。ゲームは、消費者の遊具でもあり、生産者の命を賭けた人生ゲームでもあると思うのである。

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