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2021年の擬人化論

 最近、特に「擬人化モノ」と呼ばれるジャンルが世の中に認められつつあると思う。社会現象を巻き起こしたけものフレンズを初め、若年層にも身体の仕組みを分かりやすく、そして面白く伝えるはたらく細胞、かつて世間を魅了した名馬を可愛い少女にリメイクしたウマ娘など、様々なジャンルで擬人化が評価されている。我らが東方projectのキャラクターも、ほぼ妖怪という表象の擬人化に近いようなものである。

 さて、擬人化と一口に言っても、描き手によってそのキャラクター像は大きく変化する。個人的な呼称に過ぎないが、私は「擬人化する対象を人間に寄せた」キャラクターを「こだわり擬人」、「人間を疑人化する対象に寄せた」キャラクターを、「ライト擬人」と呼んでいる。私は前者をこだわりと命名していることからも分かるように、こだわり擬人が好きだ。後者はあくまで人間が中心であり、そこに少しづつ擬人対象の要素を入れていくので、どうしても人間的側面が強くなってしまう。しかし前者は、人間とは認められないオブジェクトが人間社会に適合したようなデザインになるので、あくまでその物質の性格が主体なのである。馬だから耳やしっぽはきちんと生えているし、八雲藍は人型にあるまじき風貌だが、あれでこそ傾国の九尾として成り立っている。

 私が趣味とするのは、基本的にゲームと鉄道、文房具と旅行である。非常に日本円とスペースを浪費する趣味ではあるが、今私はこれを抜きにして生活することは不可能だ。趣味とはかくあるべき、と思うのは私だけなのかもしれない。さて、鉄道と文房具、共通するのは「様々な種類と用途が存在し、性能が違っていれば見た目も個性的」。私はこの二つのジャンルが擬人化向きであると考えている。例えば、山手線の電車は走り出しが早いが、そこまで速くは走れない。逆に常磐線は駆け出しを捨て、最高スピードで走り抜く。シャープペンシルも各社個性的な商品を出しているので、様々な擬人化のバリエーションが生まれうるはずだ。

 ここに記したのはあくまで一例であり、電車やシャープペンシルは企業の商品であるために、擬人化作品を商品化するには会社を唸らせる程の企画力とデザインが必要だ。しかし、趣味であるからこそ私は商品化にこだわる必要は全く無い。我々が幼い頃には、「一寸の虫にも五分の魂」「米一粒に神が宿る(ある山の豊穣神が頭をよぎる)」などの言葉をよく聞いたものだが、その感覚を思い出し、たまにはノートに小さな神様を召喚するのも悪くない休日だろう。

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