病は人を選ばない

病気になったのは〇〇さんのせいではない

2023年11月にテレビ朝日で放送された、友情~平尾誠二と山中伸弥『最後の一年』~を観た人も多いでしょうか。
そのドラマで「病気になったのは平尾さんのせいではありません」と山中教授は言っているシーンが心に響いたのを覚えています。救われた気持ちで涙が止まらなかった。
わたしも闘病中は特に「何がいけなかったのか」「病気になったのは何かの行いによることなのか」と自身を攻めたときもありました。やり場のない思い。何かをしたから癌になったわけではない、とドラマを観て自分と重ね合わせたものでした。一生懸命に生きてきた自分の人生を否定するのはやめよう、そう思えたのです。救われました。

妊娠の可能性を残すこと

病気発覚時、わたしは30代後半でいわゆるAYA世代(*)でした。大学病院に行って、まず主治医の先生から言われたこと、それは結婚はしているか、子どもがいるか、将来的に子どもをのぞむか等でした。
これから始まる長い治療において、生殖機能は大きくダメージを受けることになるという説明を受けました。ただでさえ癌ということを受け止めきれていない中、これから始まる治療に不安しかない中、結婚・妊娠・出産のことも考えておかなくてはいけない状況になり、頭はパニック状態でした。しかし、子どもが大好きなわたしはいつか妊娠できるようその可能性は残しておきたいと思い「卵子凍結」の判断を即答でしている自分がいました。
そこから生殖外来にもかかることになりました。幸い、同じ大学病院内でかかることができ、採卵に向けた準備が始まりました。
出産までたどりつける確率を考えると、「卵子凍結」よりも「受精卵凍結」の方が良いのですが、結婚をしていなかったわたしは直ぐに結婚する予定もなかったことから、卵子凍結を選択しました。
年齢に応じて卵子の数は減っていき、妊娠の確率も同様に減少していくこと、頭ではわかっているつもりでいましたがこれまで調べることがなかった自身の卵子の数、それらを現実のこととして知らされるのでした。
わたしは、年齢相応、つまり年齢のわりに多くもなければ少なくもなく、いわゆる普通ということがわかり、あとは採卵でいくつの卵子が凍結できるかということになりました。
採卵の体験談は、次回以降に掲載したいと思います。
(*)AYA世代とは、adolescents and young adultsの略で、15~39歳の間に発生する癌を指します

ピンクリボンアドバイザーを取るまで

病気になってみないとわからない、知らないことが多すぎると、病気になってみてつくづく感じました。乳がんと言っても、実はタイプが何種類かあるのです。癌のタイプは、いわゆる良く聞く「ステージ」とは異なるものです。
情報化社会、ネットやSNSではたくさんの情報であふれかえっており、その情報の多さに不安が逆に大きくなってしまうことは自身の経験からもありました。症状も感じ方も人それぞれなのに、ついつい調べてしまいます。
ネットやSNSの情報は参考情報として調べつつも、やはり主治医の先生や看護師さんに相談して得た情報を信じると決めました。そして自身の病気についての正しい知識を増やしたいと思い、2022年12月の第11回ピンクリボンアドバイザー認定試験の初級を受験しました。正しく基本的な知識を学ぶことができたことは、為になったと思います。

大学病院にかかって主治医からは早速、治療内容の説明がありました。
わたしのタイプは、ER-、PgR-、HER2 3+という、HER2陽性・ホルモン陰性の乳がんでした。
腫瘍が2cmより小さければ、先に手術を行った後、抗がん剤治療、分子標的薬治療、放射線治療と約1年半という長い道のりを頑張りましょうということでした。(腫瘍が2cmより大きい場合は手術より先に抗がん剤治療を行い、腫瘍を小さくしてから手術となるという説明でした)
1年半・・・すごい長い期間に思えました。東京の住まいはそのままにして、わたしは実家での生活に戻ることを決め、60代の高齢の両親に甘える生活が始まりました。病院にいくときに足がない場合は、同じ市内に住む兄も協力してくれることとなり、家族の支えなしには頑張る・乗り越えることはできませんでした。改めて家族には感謝の気持ちでいっぱいです。



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