北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ
その12 胆振地方の話題3:北海道立少年自然の家にあった旭川電気軌道の車輌
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線の廃線跡を主にした記事を投稿しています。
ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。個人的主観で、なるべく有名でなさそうなものを・・・
今回は北海道立少年自然の家にあった旭川電気軌道の車輌です。
2.旭川電気軌道
旭川電気軌道は1927(昭和2)年開業した電気軌道です。旭川~旭川四条~東川、旭川追分~旭山公園の路線がありました(旭川~旭川四条間は貨物営業のみ)。
車輌は路面電車タイプではなく、普通の鉄道線用だったので、道路上を走る姿は独特なおもむきがありました。
1973年全線廃止となっています。
旭川電気軌道は旭川追分に車庫があり、廃止後、その駅舎は建物の上に載せられ、スナックになっていました。
3.北海道立洞爺少年自然の家の保存車輌
第11回の洞爺湖電気鉄道を訪ねる途中、偶然発見したのだと思います。今とちがい情報は少なかったので。
さて、近くによって確かめると、旭川電気軌道の車輌にちがいありません。車輌はモハ103・モハ501・コハ051・電動除雪車・ワ103でした。
すでに使われず放置状態で、いかさか荒廃していましたが、電動除雪車や貨車まであったのは驚きでした。
4.モハ103
モハ103は旭川電気軌道の主力だった小型電車です。片側のヘッドライトがなくなっているほかは、パンタグラフのほか、旭川電気軌道独特の庫内用のポールも残っています。1949(昭和24)年日本車輌製造製。
101~103の3輛があり、現在も101が東川町郷土館内に保存されています。
館内保存なので状態は悪くないのですが、なにしろ狭いので、写真は撮りづらいのが難点です。
5.モハ501
モハ501は、旧定山渓鉄道のモハ100形の車体を利用し、正面をモハ1001のように近代化?したもの。
つくりなおした正面にも、側面に合わせ、律儀に窓下帯(ウインドシル)を巻いています。
下まわりは新製されたので、モハ1001と同じような、ウィングバネの変わった台車をはいています。
こちらは庫内用ポールは最初からありません。1956年日本車輌製造製。
モハ1001は旭川電気軌道で最も大型の車輌で、最後の新製車でもありました。こちらは、現在でも東旭川公民館(東旭川農村環境改善センター)で保存されています。1955年日本車輌製造製。
6.コハ051
コハ051は、もと国鉄キハ05 16(実際はキハ05 12)です。
エンジンを下ろし付随車化されていますが、台車などはそのままです。車体は、ヘッドライトがないことくらいで、気動車時代とさほど変わっていません。ガーランドベンチレーターの押込式への交換は国鉄気動車時代。
岡田誠一『キハ41000とその一族(下)』によると、1936年鉄道省小倉工場製キハ41136→41572→41411→05 12。
7.除雪車・有蓋貨車
除雪車は、旧旭川市街軌道(旭川市内の路面電車)排1で、市街軌道廃止後に旭川電気軌道に譲渡されました。
札幌市交通局のササラ電車と同じブルーム式の電動除雪車です。
「鉄道史料第9号」(1978年1月)に、竣功当時の写真と図面が載っています。1931年汽車製造(汽車会社)製。
この後、訪れることもなく、いつしか姿を消してしまいましたが、1989年には、まだ一部(除雪車とコハ051)が残っていたそうです。
このときはカメラの調子が悪く、ぼんやりした写真になっていますが、今思えば、貧乏学生時代、フィルム・現像代もケチらなくてはならなかったとはいえ、もっとマジメに撮っておけばよかったと思っています。
まさしく、後悔先に立たず!
今回はこのへんで。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。
次回は室蘭本線長和から出ていた志村化工(旧北菱産業)のB6(2120形)です。
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