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それでも愛するか(2016年)

 きのうミサの聖書朗読箇所、ヨハネ21:1-19.イエスの復活のその後だけれど、説教は、漁の箇所と初代教会の宣教状況が当時の時代背景を説明するものとして語られているということ、だから、私たちもうイエス不在の中でどう生きていくのか、何と出会っていかねばならないのか…云々。という、いわば教科書的な内容。神父様も新年度だから緊張して話を準備したなあ、という感じ。
 よく見ている、東京教区の「福音のヒント」。これは毎週の主日のミサの解説をしてくれていて面白いのだが、この箇所について、しっかりポイントを抑えた上で、後半のイエスとペトロのやり取りについて言及していたところが印象的だった(http://tokyo.catholic.jp/archdiocese/hint/2016-c/30170/)
「3回のやり取りの中で「愛する」と訳された言葉は、原文のギリシア語では「アガパオーagapao」と「フィレオーphileo」という2種類の言葉です。一般的に「アガパオー」は、「神の愛」というときに使われる「本当に相手を大切にする愛」であるのに対して、「フィレオー」はどちらかというと「人間的な愛着」を表すときに使う言葉です。この箇所で厳密に区別があるかどうかは断言できませんが…」とある。アガペーの愛とフィリアの愛というのがある、というのはきちんと話を聴いているならば覚えていらっしゃるだろうが(ほとんど忘れているだろう(;^_^A)、イエスが愛する(アガペー)でペトロに問いかけるのに、ペトロはその意味が分からないで、愛してますよ私も【フィリア】で答える。イエスの思いは通じなくて、3回目にイエスはフィリアを使う。これはイエスが、言っても伝わらないペトロにあきれて、アガペーを使うのをやめたんじゃなくて、ペトロと同じ目の高さに降りてきてくれたんだ、と理解されてきた箇所。とても有名な場面だ。
 私はクリスチャンネームがペトロで、人にあきれられるような人間なので、この箇所を読むたびに、イエスはあきれたんじゃないかとも思う(;^ω^) でも、ヨハネはとっても文章を吟味し、彼の神学を入れ込むから、この「愛」の使い分けはやはり何か意図的なものがあるのだろう。
 この神様が自分の方から私たちの方に降りてきてくださるという見方。ルカの神様は善人にも悪人にも等しく恵みの雨を降らしてくださる、という場面も思い出す。私はキリスト教信仰の核心はイエスの死と復活も含めて、この点にあるのではないかと思っているので、ああ、ここでも神様が下りてきてくれるパターンだなあと思っている。自分を低くして人と出会う。自分を差し出す。これはとても難しいことなんだけれど、これができることによって人間関係や自分の気づきも随分と変ってくる。
 21:15彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する(アガパオー)以上に、わたしを愛する(アガパオー)か」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛する(フィレオー)ことは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
21:16またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛する(アガパオー)か」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛する(フィレオー)ことは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
21:17イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか(フィレオー)」。ペテロは「わたしを愛する(フィレオー)か」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛している(フィレオー)ことは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。 ・・・」
 無償の愛のアガペー、友愛であるフィリア。どんな人を大切にすることをも超えた無償の愛。それを求めるキリスト教の愛。かなわない、できないからこそあこがれる。たぶん自分はアガペーだと思いつつ、フィリアで人に返してるんだろうな、と。お前は出会ってるよ、お前は大切にされてるんだ。だからつらくても、人に出会いに行け。その子に私がいるから。その出会いの中でお前は愛することを少しづつ知っていくんだよ。なんか、そういわれている気がした。それを知るために失敗するし、自分をさらけ出す。フィリアもエロースも美しい。しかし、それを超えたものって何。それだけでもなんか興味深い。人と出会うためには自分がいろいろ身についていなくてはならない。だから日々勉強し、面倒くさがらない。寂しさからもにげない。孤独に取り組む時間も作る。やらなければいけないことは見えているのだ。「弱さに打ち勝つ強さをください」。マザーテレサの言葉が思い浮かぶ。正解を100%作れない「愛」(アガペー)を思いながら、今日も傷つき悩み、いいことがあるとうれしくなり、笑い、時に涙する。そいう気付きこそまさに復活(体験)。また新たに歩む。


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