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#聴いてみた モーツァルトのピアノ四重奏曲🎹

NHKFM[「音楽の泉」のモーツァルトのピアノ四重奏曲変ホ長調を聞き逃し配信で聴いてみた。

曲目

ピアノ四重奏曲 変ホ長調 K.493
ディルク・モメルツ(ピアノ) 、 エリカ・ゲルトゼッツァー(バイオリン) 、 サーシャ・フレンブリング(ビオラ) 、 コンスタンティン・ハイドリッヒ(チェロ) 、 (以上、フォーレ四重奏団)
作曲: モーツァルト(27分32秒)
<ユニバーサル UCCG-1282>
🖊曲解説にて

ホルン協奏曲 第4番 変ホ長調 K.495から 第3楽章
ラデク・バボラーク(ホルンと指揮) 、 チェコ・シンフォニエッタ(管弦楽)
作曲: モーツァルト(3分41秒)
<EXTON OVCL-00441>
モーツァルトの親友のホルン奏者ロイドケープのために書いたホルン協奏曲第4番変ホ長調のフィナーレをお送り致します。先ほどお送りしたピアノ四重奏曲変ホ長調が出版されたのが1786年6月上旬、これからお送りするホルン協奏曲は6月下旬に完成しています。

歌劇「フィガロの結婚」序曲
クリーブランド管弦楽団(管弦楽) 、 ジョージ・セル(指揮)
作曲: モーツァルト(4分)
<Sony Music Labels Inc. SICC10270-2>
オペラ全体は1786年4月下旬完成、5月1日にウイーンのブルク劇場で初演されています。

歌劇「フィガロの結婚」から もう飛ぶまいぞ、このちょうちょう
ブリン・ターフェル(バス・バリトン) 、 スコットランド室内管弦楽団(管弦楽) 、 チャールズ・マッケラス(指揮)
作曲: モーツァルト(3分40秒)
<ユニバーサル UCCG-1337>
歌劇フィガロの結婚を代表するアリア、 第一幕の幕切れでフィガロが歌う「もう飛ぶまいぞ、このちょうちょう」です。
女性が大好きで何かと騒動を起こした少年ケルビーノはアルマヴィーヴァ伯爵の命令で軍隊に入隊することになりました。
それをからかうフィガロ。
もう君は自由自在には飛べないんだよ。
軍隊での生活が待っていますよと歌うアリアです。
曲の後半、軍隊を表すところでトランペットとティンパニが入ってきます。

曲解説(奥田佳道先生解説からの抜粋)

🖊今朝はモーツァルトのピアノ四重奏曲をお送り致します。
ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが紡ぐ室内楽の逸品をご一緒致しましょう。
(♪~)曲が始まったところを少しお送り致しました。
何か楽しいこと、素敵なことが始まりそう、そんな感じですね。
早くも心踊ります。
今少し聴いて頂いた付点音符を交えた行進曲風の調べは、モーツァルトの勝負モチーフでもあります。
オペラに通じる調べでもありますね。
実はこの曲、歌劇フィガロの結婚とほぼ同時進行で作曲されました。
19世紀後半にモーツァルトの作品を作曲年代順に整理したオーストリアの学者ルートヴィッヒ・フォン・ケッヘルのケッヘル番号で言いますと、歌劇フィガロの結婚がK.492、ピアノ四重奏曲変ホ長調がK.493です。
ただこのピアノ四重奏曲は出版こそフィガロの結婚初演の直後ですが、出来上がっていたのはフィガロの結婚が初演される少し前のこと、一方、この時期にはモーツァルトはピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491、それにホルン協奏曲第4番変ホ長調K.495も書いています。
いずれも1786年の作品です。
しかしモーツァルトの音楽が前年の1785年辺りから以前にも増して表情豊かになり深みを増していくにつれ当時のウイーンの聴衆や音楽出版社との好みの違いも明らかになってきます。
端的に言えば、芸術性と娯楽性の問題 、 天衣無縫とも言うべきモーツァルトの新作は音楽を楽しみたいウイーンの貴族や市民にとって技術的にも音楽的にも難しく映り始めました。
当時の聴衆は聴くだけではなくアマチュアの演奏家でした。
ですので、モーツァルトの新作、特にピアノを交えた室内楽は気軽に楽しく演奏できるものではなくなっていったのですね。求められていたのはみんなで楽しく演奏できる作品です。 
そうなりますと当然楽譜の売れ行きにも影響が出ることが予想されます。
モーツァルトはピアノ四重奏曲を2曲、ト短調と変ホ長調を書いていますが、ウイーンの音楽出版社ホフマイスターとの契約では3曲のピアノ四重奏曲を書くことになっていました。
その頃のことをゲオロク・ニコラウス・ニッセンなる人物が報告しています。
ニッセンはモーツァルトと死別した妻コンスタンツェが再婚したデンマークの外交官、そして伝記作家でした。
ニッセンは1820年代にモーツァルトの評伝をコンスタンツェの協力を得ながらザルツブルクで書いています。
少々信ぴょう性に欠ける内容もあるのですが、最も古いモーツァルト研究の1つとしてニッセンの文章をご紹介します。
ピアノ四重奏曲ト短調を巡る文章です。

☆曲はごく一部の人々の心を捉えただけだったので音楽出版社のホフマイスターは次のような条件を付けた。それは契約済みの残りの2曲のピアノ四重奏曲を書かないこと、ホフマイスターは 契約の前払い分はモーツァルトに支払った。

確かにホフマイスターは1785年秋に完成したピアノ四重奏曲ト短調しか出版していません。
一方、契約を解除したのはモーツァルト側だったという見方もあります。
近年の研究によりますと、ホフマイスターはモーツァルトが2曲目に書いたピアノ四重奏曲変ホ長調の印刷の下準備はしたようでパート譜を作成しています。
その原盤はライバルの音楽出版社アルタリア社に渡り後にアルタリア社でこの2曲目のピアノ四重奏曲の楽譜は出版されました。
この経緯にモーツァルトが関わっていたという指摘もあります。
例によって謎が謎を呼ぶモーツァルトの音楽の背景ですが、分かっているのは2曲のピアノ四重奏曲は別々の出版社から初版の楽譜は出版された、そして当初契約にあった3曲目のピアノ四重奏曲はついに作られなかった、となります。
しかしモーツァルトが前例のない素晴らしいピアノ四重奏曲を2曲作ったことで19世紀ロマン派の時代にはメンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ドヴォルザーク、フォーレ、マーラー、レーガーと言った作曲家がピアノ四重奏曲を書いています。

🖊モーツァルト ピアノ四重奏曲を聴いてみて

芸術性と娯楽性、音楽出版社としては売れ行きの良い方が良いに決まっている。
しかし、後年、残る作品には必ずや音楽の力が宿っている。
モーツァルトさん、よくぞ残してくださいました。

これはジャンル問わず今の音楽シーンにも言えることなのではないだろうか。
所謂〝消費音楽〟はあっても良いが、やはりそれだけでは空しい。
最後は『芸術性』の高い作品。
そんなことをモーツァルトの作品を聴きながら思ったのだった。




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