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生きる言葉たち ーえまの軌跡ー

22年間。
ずっと、「言葉」に生かされてきた。

このノートには、
わたしをここまで生かしてくれた言葉たちを
詰め込んだ。

こうしてまとめておくことで、
今、ほんの少しでも「生きずらさ」
感じている人たちに
たくさんの息をしっかり吸い込みながら
生きる為の力
を届けられたらいい😌

「自分もあの子みたいだったらな、」
であふれていたわたしに
「「わたし」として生きるための力」
与えてくれた言葉たち。

今は誰にも会いたくない、と
全てを投げ出したくなる時でさえ
そっとそばにいてやさぐれた心を
癒してくれた言葉たち。

大切な人にかけてもらった
大切な言葉の数々は、
たとえその人にもう
会えなくなってしまったとしても
自分の中で生き続け、

どんな時もいちばんそばで
支え励ましてくれる親友
になる。

よし、じゃあ。
今までわたしを救ってきてくれた
その言葉たちを紹介していく前に、
少しだけ、このノートを書こうと
決めたきっかけを話してみる。

@emma__hsp.renaiに寄せられるDMの一部
(公開許可はもらい済)

インスタグラムで発信を始め
半年と少しが経つ今、
こんな言葉をフォロワーさんから
いただけることが多くなった。

いただいた数々のメッセージには、
わたしの「言葉」について言及してくださる方が
とっても多いことに気がついた。

なぜだろうと考えてみた時に、
こんな風に思ったの。

それってわたしが小さい頃から、
「言葉」というものにひと一倍惹かれて
生きてきた
からかもしれないな、って。
自分自身が言葉の力によって生かされてきたからなんだ、って。

わたしの小さな言葉にでさえ
誰かの心を和らげる力があるのなら、
もっともっと多くの人々に届けたい。
それにさらに、
わたし自身を生かしてきた言葉たちには、
わたしの言葉の何倍も、
何十倍も力がある
という確信がある。

じゃあ、もう全部、
今までわたしを救ってくれた言葉たちを
まとめてどこかに書いて、
それを公開してみればいい。
そんな風に思ったのが、
このnoteを書こうと思ったきっかけだった。


…よし、それじゃあそろそろ。
これまでわたしを生かしてきた言葉たち
オンパレードで大紹介。
出会えて良かったと心底思う5つの言葉を厳選し、
その言葉に出会った時の経験とともに
紹介
していく。

心の中に少しでも、「新しい言葉の種」を
撒くスペースがあるのなら、
もう準備は万端✊🏻

今の自分を変えたいという気持ちが
少しでもあるのなら、
今、あなたは正しい場所にいる。
さあ、どんどん下へとスクロール。

よーい、はじめ。


えまの年表

まず手始めに、ざっと今までの22年間を
簡単にまとめてみる。
多分、きっと読み進めるうえで
役に立つと思うから
ふうん、程度に目を通してみてね。

こんな人生を歩んできて今、2023年の夏。

えまの年表

よし、それじゃあ年代順に。
今まで出会ってきた
数えきれない言葉たちの中でも、
特にわたしを支えてきてくれた言葉を5つ
出会った時の経験とともに、
簡単にまとめていく。


「ストーリーは続く」

ここで終わりだったら悲しいけど、
でもね、ここで終わりじゃない。
ストーリーは続いていくんだよ。

中学生の頃 えまの父

「三日坊主」
高校生までの自分を四字熟語で表すとしたら?
と言われたら、
きっとこの四つの文字が最適かもしれない。

「明日から毎朝5時に起きる!」
「今日から毎晩走りにいく!」

威勢よく張り切ることは得意だったが、
何一つとして続かなかった。
本気で何かに取り組んだら
なんだか負けのような気がして、
きっと自分を守るための
予防線を張っていたんだと思う。

ピアノも、部活も、勉強も、絵を書くことも。

中途半端に試してみては、
なんとなくそれなりにできたので
適当にやってみたが、
自分をプッシュして頑張らなければいけない状況に
なりそうになる前には必ずそうっと引いた。


確か中学生のとき。
ある日ふと突然、
自分はいったい何を持っているんだろう?
と、そんな考えが頭にぽかんと浮かんできた。

その問いに対する答えを
真面目に自分の中で探し始めてしまえば、
もうだめだった。

自分の中で何かがガラガラと崩れていって、
重たい泥が体中を埋め尽くしていくような
あの感覚。

だって、なんにも持っていなかったから。
今までわたしはこれを頑張りました、
と胸を張って言えるものが
何一つとして浮かばなかった。

自分はなんで、こうなんだろう?



わたしのお父さんは自宅で翻訳業をしていた。
小さい頃から何かあると、
お父さんの部屋に行き、
机に向かって仕事をしているお父さんのとなりで
ベッドでごろんと寝転んでみるのが好きだった。

自分の部屋より一回り大きい窓の、
薄いカーテンを通って入ってくる
あのあたたかい日差しと

自分のベッドより広くてふわふわのベッドが
とてつもなく心地よかったから。

「なんかさ、なんかやっぱり全部わたし中途半端なんだよね」

だらっとベットの上で寝っ転がりながら
そう言うと、
わたしの声から何かを感じ取ったかのように
お父さんがこういった。

「まあさ、例えば三日坊主ですぐやめてしまったとしても。
そこで終わりだと思ったら悲しいけど、少し休憩してまた気が向いた時に始めてみればそれは続いてることになるよ。
大丈夫。ここで終わりだったら悲しいけど、でもね、ここで終わりじゃない。ストーリーは続いていくよ。」

えまの父

ストーリーは続いていく。
今、ここで終わりだったら
悲しい事はたくさんあるかもしれない。

人間関係。
仕事、テストの結果。
恋愛、部活、病気。

でも、ここで終わりじゃない。
ストーリーは続いていく。

そう思ったら、
なんだか自分に言い聞かせてあげる言葉が
変わってくるような気がした。



小さい頃から、それなりに絵はかけた。
でも中高生の時は
趣味程度に描いてはやめて、の繰り返し。
大学に入って、デザインのクラスをとってみた。

その後、少し本気で頑張って、、今では
初めましての方から受注を受けて
イラストでお金をいただくように
なったりしている。

えまのイラストたち。☝️タップしたらえまのinstagramイラストアカウントに飛べるよ。
イラストリクエスト興味ある人はいつでもDMへ。(ちゃっかり宣伝🫣)


「自分を必要としている人が必ずいる」

「皆さんがいくどの場所にも、
寂しい思いをしている人や試練の中で友人を必要としている人、
あるいは居場所がないと感じている人が必ずいます。
皆さんはどのような場所においても、価値ある貢献をすることができるのです。」

2017/10 ボニー・L・オスカーソン

次の言葉はこれ。
17歳、高校二年生の時に出会った言葉。
当時のわたしも、相当な厄介者だった。
だって、ものすごくものすごく、
受け身の人間
だったから。

学校へ行っても、
話しかけてもらえば話をするが
自分からは話せない。

初めましての人がたくさんいくところなんて
なるべく避けたい。
自分はこんなんじゃない、
と叫ぶ自分を外にさらけ出す勇気はない。

そんな性格がとことん嫌だった。

わたしは小さい頃から教会に行っている。
この教会では年に2回、
「general conference」と呼ばれるものが
アメリカで開催される。

生きていくうえで大切にするべきことを、
土日の二日間をかけて
教会のリーダーたちがたくさん
お話をしてくれるの。
その様子は衛星放送と
インターネットで世界中に放送される。

高校生のその日までは
ただ退屈でしかなかったそのイベントが、
その日を境に、
一年で5本の指に入るほど
楽しみなイベントに変わった。

2017年の10月。
家族と一緒にその放送を視聴していたら、
ある人から、その後のわたしの人生を
大きく変える言葉を聞いたから。

「どうして自分が何かを得…ようとするの?
皆さんがいくどの場所にも、寂しい思いをしている人や試練の中で友人を必要としている人、あるいは居場所がないと感じている人が必ずいます。皆さんはどのような場所においても、価値ある貢献をすることができるのです。」

2017/10 ボニー・L・オスカーソン

受け身で生きることが
デフォルト設定されていたわたしにとって、
物事の見方を180度ひっくり返すような、
そんな言葉たちだった。

頭をがんと殴られた感覚、なんて描写を
たくさん小説で目にしたことがあるけれど、
その時の感覚はけっこうそれに近かった。

わたしは今まで何をするにも、
どこへいくにも、
自分が何かその場に貢献しようなど
考えてもいなくて、

友達がだれもいないかもしれない、
うまくできないかもしれない、
そればっかりで、自分が世界の中心にいた。

彼女は、こんな風に続けた。

「今日、自分を必要としているのは誰だろう」と自問してみてください。
手を差し伸べて仲間の人生に影響を与え、
人知れず悩んでいる友人を励ますという重要な役割を果たすのは
みなさんかも知れません」

2017/10 ボニー・L・オスカーソン

自分のことを必要としている人が、必ずいる。
どこに行っても。
新しい概念が、ざわ、と自分の中に
吹き込んできた。

それと同時に、今までの自分が
とんでもなく情けなく感じた。

ーーーわたしは、今まで。
自分を中心にしていたから、
こんなに苦しかったのか。

そうか、じゃあ、これからは。

実は、このお話を聞いてから三ヶ月後に
このお話をした方が偶然日本に来て、
ものすごく特別に直接彼女と
お話をする機会をいただいた。

本当に本当に特別な経験で、
今でもよく覚えている。

高校生の当時は英語なんてできなくて、
通訳者さんが、
「彼女のお話を聞いて
わたしの人生が変わったんです」、
ということを伝えてくれた。

そうしたら、
彼女はこんな風にわたしにいった。

「わたしはね、どんなことを話そうか、
何回も何回も祈り続けてきました。

でも、大切なのは
わたしが言った言葉じゃない。
あなたが、わたしが話した言葉から
何を感じたか。
感じた気持ちを、
大切にしていってくださいね。」


今日、自分を必要としている人は誰だろう。

「WHO NEEDS ME TODAY?」
と彼女はいった。

このフレーズは今でも
わたしの土台となっている特別な言葉。
その言葉をもとに、
ステッカーや絵本の動画を
作ってしまうくらいに。


学校、職場。
バイト。
友達や家族に何かを誘われた時。

ああ行きたくないなと
見ないふりをしてしまいたくなる時が
あるとしても。

自分のためにいくんじゃない、
自分を必要としている誰かのために。

「あなたがどこへ行くとしても、
あなたのことを必要としている人が
必ずいます。」

左: 2022に作成したステッカー
右: 2018/1 彼女と会った時
水彩で絵を描き、彼女の言葉をもとに絵本を作成☝️タップしたらyoutubeで動画が見れるよ
(高校生が頑張って作ったから
暖かい目で見守ってね)


「なりたい自分」

” You are free to choose to become who you want to be."
ーわたしたちはいつでも、なりたい自分になることを選ぶことができる

2020/3 ディーター・F・ウークトドルフ

だんだん今に近づいてきたね、
これは2020年の出来事。

この言葉に出会ったのは、
人生で初めて「挫折」を経験した時。
初めて渡米し、
アメリカでの大学生活が始まって
数ヶ月の頃。

TOEFLの点数をとるためだけに
三ヶ月英語を勉強をしただけで
アメリカに飛び込んでみたわたしは、

「あ、自分って今社会的弱者すぎる」

を大痛感していた。

初めてアパートに入った日、
本物のアメリカ人を目の前に
一言もまともに話せないような英語力。

テストで点数をとるための英語と
日常生活をするための英語は
全く違うものなんだと、
アメリカ生活開始後に、即、悟った。

3ヶ月で一応「ルームメイト」と
言えるくらいには仲良くなりました


生まれて初めての
「できない」の経験は、
思ったよりもしんどかった。

周りで何が起こっているのか
わからないまま、
また次に何が起こるのかもわからない不安にも
身を委ねてしまえばもうOUT。

授業で悔しい思いをしては
必死で涙がこぼれるのを我慢して
自分は本当はこんなんじゃない、
そんな風に叫んでいる自分を
どこか遠くで、情けない、と
一瞥している自分がいた。

授業後にトイレでただ泣くことで、
「ああ、生きてる」を実感した。


そんな時、ある方の講話を
学校一の大ホールで聴く機会があった。
大学全体の一大イベントだった。

なんとなくこんな話をしているんだろうな、
という雰囲気だけで
スピーカーの話を聞いていた。

でも、スピーチの終盤、
なぜかそこだけ鮮明にはっきりと
耳に飛び込んできたフレーズがあったんだ。

急に0.5倍速再生になったように感じた
その声は、こう言っていた。

”You are free to choose to become who you want to be."

わたしたちはいつでも、
なりたい自分になることを
選ぶことができる。

なりたい自分、?

当時の自分を振り返ってみると、
わたしはなんだかもう、顔を覆って
どこかにいなくなりたい気持ちになった。

英語がわからないが故に常にビクビクし、
そんな自分に自己嫌悪。
なりたい自分とは、ほど遠かった。

わたしたちはいつだって、
なりたい自分になることを
自分で選ぶことができる。

なりたい自分になりたい、
と心が叫んでいるのを感じた。
 

なりたい自分に、なりたい。

そう気づいてからは早かった。
もっともっと、自分で英語の勉強に
本気で取り組むようになり、
とりあえず外国人から誘われる遊びには
行ってみた。

今でも、その時の事はよく思い出せる。
あの時、あの言葉を聞いた時に感じた鳥肌も。

わたしはホールに埋め尽くされる学生のうちの
たったひとり、
ちっぽけな存在でしかなかったけど、
あの時壇上から語られたあの言葉は
どう考えみても、
神様が、
当時のわたしに
プレゼントしてくれた言葉だった。

左: 当日の日のインスタのストーリー(小さくて見えないかな、この言葉ちゃんとシェアしてた)
右: 頑張って行動したことで中国人の大親友に出会えました、今も仲良し😌


「半年後には、別人になっているよ」

これから毎日、全力で、「変わりたい」望みをもって過ごしなさい。
そうしたらあなたはね、半年後には別人になっているよ。

ボランティア中お世話になった、大尊敬する人

いつの間にかもう4つ目の言葉の紹介。
これは、コロナにより大学を休学して
日本に帰国し、
北海道で一年半教会のボランティア活動を
していた時に出会った言葉。

わたしが行っている教会は、
末日聖徒イエス・キリスト教会という。
この教会では、希望する20歳前後の若者が
それぞれ地元を離れて一年半から二年の間、

見知らぬ土地の人々に
ボランティア宣教師として
イエス・キリストの教えを伝える。

信じることの大切さや
変わることの大切さについて説き、愛を届ける。
二人組で特定の地域を割り当てられ、
2人で活動する。

そんなボランティア活動を初めて数ヶ月たった頃、
ひょんなことが重なって、
わたしは棒きれになった。

言葉を発することが、
どうしようもなく怖くなった。
人と目を、合わせられなくなった。
それまでを生きていた記憶が
ぼんやりとしか思い出せなくなった。

毎朝4時頃目を覚ましては、
頭の中をあらゆる負の考えが
ぐわんぐわんと回っていく。

ああ今日がどうか始まらないでと願えば願うほど、
時計の針が無慈悲さを増しながら
ただコンスタントに進んでいく。

今思い返すと、
当時は自尊心の「じ」の最初の濁音さえも
持ち合わせていなかったと思う。

自分は、ただの棒っきれ。
なんの疑いもなくそんな風に
自分のことを考える日が来るなんて、
想像もしていなかった。

電話でわたしの様子を見た両親は
さすがに少しまずいと思ったのだろう、
わたしに伝道部会長
(若いボランティア宣教師たちを
見守り導く父親のような人)
に連絡するように言った。

わたしが自分の状態を伝えるメールをすると、
伝道部会長夫婦はその日の夜、
わたしが当時担当していた地域まで
足を運んでくれた。

伝道部会長と小さな個室に2人。
全くうまく話せなかったが、
「でも変わりたいと思っているんです」
のフレーズは何度も何度も言った記憶がある。

わたしの話を一通り聞いた会長は、
柔らかい笑みを浮かべてこう言った。


「変わりたいという望みを強く持ち、
信じればなんでもできるということを信じて全力で毎日過ごしなさい。
そうすれば、あなたは半年後には別人になっていますよ」

会長の、言葉を語る力強さに半分圧倒されて、
ああそうか、
わたしは別人になることができるのか、
とどこかぼんやりそんな風に思った。

それからだんだん言葉の意味が
自分の中で噛み砕かれていくと、
今度はあ、そうか、自分は変われるんだ、
という感覚が体中にあたたかく満ちていった。

別人になることを切望しながら
全力で生きていきたい。
自分の中で死んでいた何かが
また火を灯した気がした。


それからの半年間。
冗談抜きに、語り始めたらきっと
分厚い分厚い物語が3冊ほどかけるくらいに
様々な経験をした。

そして、半年後。
わたしは、別人になっていた。


ボランティア活動を終えて
その時の頃を振り返っていた時。
鬱とは、と調べると羅列される症状の
ほとんど全てが当時の自分に
当てはまることに気がついた。

あの頃から2年経った今、
わたしはSNSで自己受容の大切さについて
フォローしてくださっている方々に発信している。


大丈夫、大丈夫。
どれだけ今自分がどん底にいると感じても、
自分に自分で限界を設けさえしなければ。

信じることと、
望むことさえ忘れなければ、
あなたは別人になることができるから。


「全ての経験が潜在能力」

全ての経験が自分にとっての潜在能力。

事業と財産を失い裸一貫、絶対の窮地からの出発であったからこそ、並ではない潜在能力が発揮出来たのではなかろうか。
逆説的に言えば、私に事業失敗がなければこれほどの充実した瞬間は持てなかっただろう。

安藤百福(カップヌードルの開発者)

最後に選んだのはこの言葉。
少し今までとテイストが違う言葉だが、
とっても大好きな言葉の一つ。

北海道でのボランティアを終え、2022年の6月。

アメリカに住む友達家族が日本に来たため、
一緒に横浜観光をしようということになった。

訪れたのは、横浜にある
カップヌードルミュージアム。

せっかくだから、と
カップヌードルの歴史を
真面目に学んでいる最中に、
わたしはこの言葉に出会った。

「全ての経験が、自分にとっての潜在能力。」

安藤百福

ミュージアムには、
カップヌードル開発者の安藤百福が
残したとされる多くの言葉が
紹介されていた。

ただ、この言葉だけがなぜだろう、
心にずん、と居座った。

潜在能力、という言葉が
自分にとってあまり馴染みがなかったから?

ううん、きっと、この言葉が
今後のわたしの人生に
大きな影響を与え得ることを神様は知っていて、
だからそのことに気づかせようと
してくださっていたのかもしれない。

その言葉を目にした時、
今までの22年間経験してきた
様々な経験が脳裏を駆け巡った。

小さい頃に人見知りで
悔しい思いをしたことが、
自分を変えたいと
アメリカに留学する決意になった。

アメリカに留学したが
コロナで日本に帰ってきたことで、
教会のボランティアに行くことになった。

点と点がどんどん線となり
つながっていくような、
そんな不思議な経験だった。

多くを成し遂げる人は、
日々経験する一つ一つのことから
学べることを全て学びきる。

カップヌードルの開発者、
安藤百福もその例外ではなかったらしい。

どんなに些細に思える経験からも、
この世界の多くの真理と原則を学んでいく。


生きていれば、理不尽なことが起きる。
むしろ、理不尽なことの方が多いかもしれない。
涙が止まらない夜も、
どうしようもなく
明日が来ないでほしい夜だってある。

でも、全部全部、つながっている。
無駄な経験なんてひとつもない。

あなたが今出会っている人、
感じている気持ち、
経験している出来事は
居心地の良いものばかりじゃあきっとない。

でも、その全ての経験は
あなたにとって益となる。

あなたの潜在能力を増し加え続けている。

だから、もしも今。
あなたにとって
愛することが難しいと感じる「人」がいたり、

愛することが難しい「気持ち」を感じていたり、

愛することが難しい「経験」の
真っ最中にいるとしても。

それらは必ず、
あなたにとって益となる。

だから絶対、負けないで。

まとめ

「ストーリーは続く」
「あなたを必要としている人が必ずいる」
「なりたい自分になることを選ぶことができる」
「半年後には、別人になっているよ」
「全ての経験が潜在能力」

今日紹介した言葉と経験は確かに
「いまのわたし」の土台を築いている。

今日は5つだけ厳選したけど、
でももっともっといくつもの
数えきれないくらいたくさんの言葉に
出会ってきて今のわたしがある。

この世界って、
ふさわしい時に、
出会うべき言葉に出会うように
できていると思う。

でも、その言葉が
自分に伝えようとしているメッセージを
学び切れるかどうかは、
きっとわたしたちにかかっている。

少しでも、あなたがこのノートから
何かを感じてくれたなら
わたしはとっても嬉しいです😌

最後に:ありがとうムービー🎬

ここまで読んでくれて、本当にありがとう。
ありがとうの気持ちと、
人生一緒に頑張っていこうねの
エールの気持ちを込めて
ありがとうムービーを撮りました。

インスタでは顔出ししてないけど、
ここまで読んでくれた皆さんに
特別に初めましてで初顔出し笑

え、気になる!という方は、
えまの公式ラインに

「ありがとうムービー」

とメッセージを送ってください。
すぐに動画が届きます😌


最後にね、こんなことを思ったよ。

ここまでこのノートを
読んでくださった人はみんな、
今、この言葉たちに出会う必要があって
ここに導かれたということ。

わたしと出会い、
こうして繋がったという経験が
あなたにとっての潜在能力に
なることができるように、

これからもできる限りのことをしていきたい。


付録:生かしてくれた音楽リスト

これは、おまけ。
わたしの人生に
大きな大きな影響を与えた
音楽の歌詞リストを作りました。
(ついでに少しだけ大好きな本も少し紹介)

気になる人は覗いて見てね🌷

ここまで読んでくれて、
本当にありがとう。


ーーーーーーーーーーーーーー
あ、いいな
また読みたいな、

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