人生の羅針盤

人生の羅針盤
はじめに
 あなたは、何の為に毎日働いていますか?食べるため、子供のために、良い学校、良い就職先、良い老後、良い老人ホーム、豪華なお葬式でしょうか。
 私は、小学生のころ眼球震盪という眼の病気でメガネを掛けて0,6がやっとでした。でも度の強いメガネが嫌いで裸眼で過ごしました。運動神経も良くなくて、さらに視力もよくないので、学校の昼休み友達の輪に入れなくていつもひとりぽっちでした。黒板の字が読めなくて私なりに大変つらい小学生時代でした。
 中学、高校生時代、人生について
考えるようになり、探求の旅が始まりました。20歳の時、イエス様の救いの恵みをいただきました。この素晴らしいイエス様の救いの恵み
全世界の人々にお伝えしたい。そしてひとりでもイエス様の十字架のもとに来て担いきれない人生の重荷をおろして新しい人生の一歩を踏み出していただきたい、との思いでこの本を執筆しています。この本は、あなたに生きて来て良かった。私はこのために生かされているんだ。ということをお知らせするためにだけ書いています。

1聖書について
私が最初に聖書を読んだのは、中学2年生の時でした。黒い表紙の新約聖書でした。
『アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。
アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、
ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、
アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、ナフションがサルマを生み、
サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、
エッサイがダビデ王を生んだ。ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、
ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生み、
アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラムがウジヤを生み、
ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、アハズがヒゼキヤを生み、
ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、アモンがヨシヤを生み、
バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。
バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、
ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、エルヤキムがアゾルを生み、"……
マタイの福音書 1章 1〜13節』
ちんぷんかんぷんで読むことをやめてしまいまいました。
新約聖書は、ヨハネによる福音書から読まれる事をお勧めします。
無料で新改訳聖書を、ダウンロードできます。
『聴くドラマ聖書』で検索してダウンロードしてください。韓国のクリスチャンの実業家の方があななに代わって代金を支払ってくれます。
他にも『聖書』で検索してください。文語訳、口語訳、英語、ギリシャ語無料でダウンロードできます。
聖書は、あなたを愛し、あなたの為に十字架であなたの罪の代価を払ってくださった、イエス様からのお手紙です。人生の羅針盤です。聖書全体イエスの事が記されています。
①聖書は、何が書いてある本?
(ア)答え 私たちの救い主イエス様の事
[あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたし(イエス様)について証ししているものです。
ヨハネの福音書 5章 39節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会]
聖書 旧約聖書、新約聖書何処を読んでもイエス様を見いだすことができるんです。
イ もう少し分かりやすく解説します。
[イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
これが、重要な第一の戒めです。
『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」"
マタイの福音書 22章 37〜40節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会]
(愛しなさい)は、ヘブル語で完了形の能動態で(愛するようになります。)となり、命令形ではありません。
命令されていやいや愛するのでは、真実な愛ではありません。自発的に喜んで愛するようになるのです。
 
"キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。"
ヨハネの手紙第一 3章 16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
 イエス様が私たちの罪のために十字架で私たちの罪の代価を払ってくださいました。ですから私たちは、イエス様を自発的に愛するようになるのです。強制されていやいや愛したとしても、愛ではありません。
 聖書を要約すると、イエス様のことが書かれている書物。さらに全部をもってイエス様を自発的に愛するようになる為にイエス様の十字架があり、十字架の血潮は、私たちの罪を洗いきよめ続けています。
 同じように隣人を自分と同じように自発的に愛することができるためにもイエス様の十字架の血潮は、今も流されて続けています。

 ②聖書は、羅針盤です。
大海原で羅針盤がないと、航海を継続できません。
 
 "あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。"
詩篇 119篇 105節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 "イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。"
ヨハネの福音書 14章 6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様こそ定冠詞つきの唯一の道です。

 "イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」"
ヨハネの福音書 8章 12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様こそ人生の闇の中に輝く光です。

 "すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」"
マタイの福音書 11章 28〜30節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 "あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。"
ペテロの手紙第一 5章 7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 "あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。
ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。"
マタイの福音書 10章 30〜31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私たちの髪の毛の数は、私たちには、数えられません。でもイエス様は、ご存知です。

 詩篇
139篇
指揮者のために。ダビデの賛歌。
1,主よあなたは私を探り知っておられます。
2,あなたは私の座るのも立つのも知っておられ遠くから私の思いを読み取られます。
3,あなたは私が歩くのも伏すのも見守り私の道のすべてを知り抜いておられます。
4,ことばが私の舌にのぼる前になんと主よあなたはそのすべてを知っておられます。
5,あなたは前からうしろから私を取り囲み御手を私の上に置かれました。
6,そのような知識は私にとってあまりにも不思議あまりにも高くて及びもつきません。
7,私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて。どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて。
8,たとえ私が天に上ってもそこにあなたはおられ私がよみに床を設けてもそこにあなたはおられます。
9,私が暁の翼を駆って海の果てに住んでも
10,そこでもあなたの御手が私を導きあなたの右の手が私を捕らえます。
11,たとえ私が「おお闇よ私をおおえ。私の周りの光よ夜となれ」と言っても
12,あなたにとっては闇も暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗闇も光も同じことです。
13,あなたこそ私の内臓を造り母の胎の内で私を組み立てられた方です。
14,私は感謝します。あなたは私に奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいはそれをよく知っています。
15,私が隠れた所で造られ地の深い所で織り上げられたとき私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
16,あなたの目は胎児の私を見られあなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。
17,神よあなたの御思いを知るのはなんと難しいことでしょう。そのすべてはなんと多いことでしょう。
18,数えようとしてもそれは砂よりも数多いのです。私が目覚めるとき私はなおもあなたとともにいます。
19,神よどうか悪者を殺してください。人の血を流す者どもよ私から遠ざかれ。
20,彼らは敵意をもってあなたに語りあなたの敵はみだりに御名を口にします。
21,主よ私はあなたを憎む者たちを憎まないでしょうか。あなたに立ち向かう者を嫌わないでしょうか。
22,私は憎しみの限りを尽くして彼らを憎みます。彼らは私の敵となりました。
23,神よ私を探り私の心を知ってください。私を調べ私の思い煩いを知ってください。
24,私のうちに傷のついた道があるかないかを見て私をとこしえの道に導いてください。

 『主よあなたは私を探り知っておられます。
2,あなたは私の座るのも立つのも知っておられ遠くから私の思いを読み取られます。』
 すべてをご存知の御方の御腕に抱かれるときに私たちは、帰るべきところに帰ったという安心、喜びを与えられます。
 私たちは、100パーセント必ず死の問題に直面します。能登半島地震のようにお正月も関係ありません。

 ローマ人への手紙
8章
1,こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
2,なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。
3,肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。
4,それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。
5,肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。
6,肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。
7,なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。
8,肉のうちにある者は神を喜ばせることができません。
9,しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。
10,キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。
11,イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。
12,ですから、兄弟たちよ、私たちには義務があります。肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。
13,もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。
14,神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。
15,あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
16,御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。
17,子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。
18,今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。
19,被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
20,被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。
21,被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
22,私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。
23,それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。
24,私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
25,私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。
26,同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
27,人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。
28,神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
29,神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
30,神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
31,では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32,私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
33,だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
34,だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
35,だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36,こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
37,しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
38,私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
39,高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

コリント人への手紙第一
15章
1,兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
2,私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
3,私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4,また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
5,また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
6,その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。
7,その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。
8,そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。
9,私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。
10,ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
11,とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。
12,ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。
13,もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
14,そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。
15,私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。
16,もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
17,そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。
18,そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。
19,もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。
20,しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
21,死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。
22,アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。
23,しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。
24,それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。
25,すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。
26,最後の敵として滅ぼされるのは、死です。
27,「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。
28,そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
29,そうでなかったら、死者のためにバプテスマを受ける人たちは、何をしようとしているのですか。死者が決してよみがえらないのなら、その人たちは、なぜ死者のためにバプテスマを受けるのですか。
30,なぜ私たちも、絶えず危険にさらされているのでしょうか。
31,兄弟たち。私たちの主キリスト・イエスにあって私が抱いている、あなたがたについての誇りにかけて言いますが、私は日々死んでいるのです。
32,もし私が人間の考えからエペソで獣と戦ったのなら、何の得があったでしょう。もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。
33,惑わされてはいけません。「悪い交際は良い習慣を損なう」のです。
34,目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしなさい。神について無知な人たちがいます。私はあなたがたを恥じ入らせるために言っているのです。
35,しかし、「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。
36,愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。
37,また、あなたが蒔くものは、後にできるからだではなく、麦であれ、そのほかの穀物であれ、ただの種粒です。
38,しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。
39,どんな肉も同じではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違います。
40,また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、
41,太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれ違います。星と星の間でも輝きが違います。
42,死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
43,卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、
44,血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
45,こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。
46,最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。
47,第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。
48,土で造られた者たちはみな、この土で造られた人に似ており、天に属する者たちはみな、この天に属する方に似ています。
49,私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。
50,兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
51,聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。
52,終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
53,この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。
54,そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に吞み込まれた。」
55,「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」
56,死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57,しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
58,ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。
イザヤ書
53章
1,私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。
2,彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。
3,彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
4,まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
5,しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
6,私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
7,彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
8,虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。
9,彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。
10,しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
11,「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。
12,それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」
注 彼=イエス様
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?