神経膠腫という診断

もう少し頻繁に更新したいと考えていたのだけれど、間があいてしまった。
母が私の住む県にある大学病院に来て、本格的な治療が始まったためだ。

母が脳になにかしらの病気を抱えていることが判明した記事を書いたと思う。今日は、それについて少しだけ進展があったため書き記している。


当初、地元の医師には「悪性リンパ腫か別の病だろう」と言われ、悪性リンパ腫でなければ投薬でどうにかなるような病気であると伝えられていた。

その可能性に縋る気持ちで受診した大学病院では、MRIやCTを再度撮ってもらったのだが、やはりその際も病名をつけられない。医師は「悪性リンパ腫である可能性が高い」と言っていた。しかし、放射線医は「神経膠腫の可能性が高い」と言い、判断が割れていると言う。

急遽、翌日に生検と呼ばれる、腫瘍の一部を採取して検査に出す手術が決まり、母はそのまま入院した。病名がつかないというのは思った以上に厄介なもので、私たち家族を精神的に蝕んでゆく。

どうなるのだろう。どうなったのだろう。そんな気持ちで一夜を過ごし、翌日病院へ向かった。

手術を終えた医師から「神経膠腫で確定でしょう」と言われる。付け加えるようにして「きわめて悪性のものです」とも。早急に放射線治療が始まるので用意をしてください、と言われた。手術で摘出できない場所にできているらしい。生検後は速やかに放射線での治療を勧められた。

私と家族は、病名を伝えられた瞬間、「やっと治療が進められる」とほっとしたものの、きわめて悪性の腫瘍という言葉が引っかかって離れなかった。調べてみると、悪性腫瘍の場合、生存率が1~5年に満たない場合が多いらしい。

とてもショックだった。今も、そのことを思い出すと涙が滲む。けれど、それ以上にショックを受けているのは本人と、そして父だった。父はほんとうにやつれる勢いでショックを受けていて、仕事もままならないほど憔悴している。

ボーっとしているかと思えば泣き出し、母に縋るようにして傍についている。病院は面会時間が決められている上に、時間指定もあるからそういった面でも寂しさや不安が募るのだろう。

話が右から左へと受け流されているような、なんとも地に足のついていないような状態である。そのため、書類や様々な手続きは私が代行することにして、ひとまず母の様子を見て貰ったり、できることだけをやってもらうようにした。

心がぐちゃぐちゃで、正直未だ受け入れられないでいるのは自分も同じだが、父と同じようにただ泣いてばかりいるわけにもいかない。

来週から、放射線の治療がはじまる。週5日、6週間かけて行うようだ。その治療でどれだけ進行を遅らせられるか、あるいは、腫瘍が少し小さくなるように治療をするという。あわせて、抗がん剤の治療も行ってゆく。

先が見えない治療のようだ。まだ、生検の結果が出ていないため、医師からの詳しい説明もない。おそらく来週、確定した診断結果をもとに説明されることだろう。とても恐ろしいが、出来るだけ母に寄り添って乗り越えなければならない。

まとまりもないが、記録として残しておきたかったのでここまでにする。

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