持病のはなし

4年前。28歳の時、バセドウ病と診断された。
女性がなりやすい病気だという。芸能人の方も患っていたのを目にした記憶があって、「甲状腺というところが悪くなるのだな」程度の認識だった。

今回は、自分がバセドウ病だと診断された時のことや、現在の治療について振り返ってみたいと思う。

身体の違和感

最初に違和感に気づいたのは、ひどく息切れがするようになったことだった。スーパーまでの1㎞がやけに長く、さほど重くない荷物を持って歩くだけで、まるで短距離走をし終えたときのように息が上がってしまう。

その時は、仕事ばかりでひどく疲れていた時期で、何かを楽しむより睡眠を優先していたり、運動も徒歩でスーパーや薬局に行く程度しかしていなかったこともあり、夫に相談した折も「多分運動不足なんだけどさ~」なんて笑って自虐していた。

次第に、家の階段を上ることが難しくなってきたり、起き上がりづらかったり、果てはソファから立つまでにも数十秒~数分を要するようになってきた。

入眠は早いほうだったのに寝つきが悪くなり、心拍数がつねに爆速になりはじめて、身体にはどんどん不調が現れ始めた。気づけば体重は10キロほど減少しており、そこで私はようやく「これは運動不足ではなさそうだ」という違和感に至る。

その段階での症状は以下の通りだ。

  • 心拍数が異様に高い

  • 入眠までに時間がかかる

  • 怒鳴り散らしたい衝動に駆られる

  • 息切れ

  • 大幅な体重減少

  • 食欲増加(特に甘味類)

  • 下痢

  • 月経不順

  • 手足の震え

バセドウ病だと分かってみると、これらの症状は「バセドウ病の症状たちだ」と理解が及ぶ。けれど未熟で無知な私は、その病名に自力でたどり着くことができなかった。

とくに心拍数が気になっていたので、心臓に何か病があるかもしれないと思い、近くのクリニックを受診することにする。

クリニックにて

初診ということもあり数時間ほど待って診察を受けると、先生はエコ―、そして血液検査をしてくれた。結果までに数日を要するが、ぱっと見心臓の病ではないこと。

エコーの感じからして、以下の病名が当てはまるでしょうとのことだった。

「バセドウ病」

真白の紙に走り書きの文字が浮かぶ。私はそこで、その病名を初めてしっかりと認識した。あれ、いつだったか、芸能人がなっていたような気がする。眼球が突出することもあるって言っていたような。どんな病気なのだろう。

ぐるぐると頭の中でいろんなことを思い描きながら、その日は血液検査の結果が出なかったので帰宅した。数日後。クリニックの先生から、バセドウ病であったこと、専門の病院を紹介するのでそちらを受診してほしい旨が伝えられた。

治療開始

紹介状を書いてもらった翌日、私は家から少し離れた所に在るクリニックへと脚を運び、バセドウ病の治療を開始してもらう事になった。

女性の先生は柔らかい声で様々な事を聞き、私に「両腕を伸ばしてください」と言った。おそるおそる腕を伸ばしていると、先生はその上に一枚の紙を置き、じっくりとその様子を観察する。

私の腕の上に置かれた紙は私の手の震えに応じて小刻みに揺れ、その上に留まることなく床へと落ちた。

「うん、バセドウ病で間違いないでしょう。10段階の内、レベルは7程度です」とのこと。

私は不安になって眼球のことを聞いてみると、それはもう1、2段階重度になった際に現れる症状なので、これから薬を飲み続ければ大丈夫ですよと言ってもらえた。少し安心する。

血液検査のそれから、バセドウ病がどのような病気なのか詳しく説明を受け、メルカゾールと、黒い丸薬のような薬(ヨウ素が含まれているものらしい)、それからかゆみ止め防止の薬を処方された。

「服薬を続ければ良くなりますからね、長期治療になりますが頑張りましょう」

先生はそう言って微笑んでくれた。私は、服薬で治療ができることに安堵し、深く頭を下げたことを覚えている。

もう4年も前のことなので覚えてないような気がしていたが、こうして振り返って書いてみると結構覚えている。それまで持病もなく、つつがなく暮らしてきた自分にとって、バセドウ病は割と大きなインパクトを与えたからなのかもしれない。

夫に軽く報告を入れ、私は薬を持って帰宅した。

薬で症状がどんどん和らいでいく安堵感

それから、私はしばらくの間メルカゾールを6錠と、ヨウ素の薬1錠。かゆみ止めの薬を1錠飲み始めた。2週間もすると、イライラや手足の震えが次第に収まってゆくのを感じる。

食事のあとすぐお手洗いに駆け込むことや、不意にお腹を下すこともなくなってきて、生理不順も収まっていった。次第に和らいでいく不調を向き合いながら、私はそのタイミングで仕事をいったん休み、家でゆっくり過ごすようになる。

そこから1年、2年と服薬を続ければ、あっという間に元通りに近い生活が送れるようになった。時短勤務に変え、余裕を持って暮らすようになったのだ。

健康であるということはそれだけで財産だな、と。少し大げさだが感じる出来事となり、それ以降は不規則な生活を改め、食生活や運動を取り入れるなどして、意識的に健康を守る生活にするようになった。

その時の私はまだどこか学生時代の何かを引き摺っていたのかもしれない。夫も然り。30代を目前にして、きゅっと家庭のゆるみが締まったような気がした。

現在

2023年現在も、主治医は変わったが病院通いを続けている。薬は2錠まで減った。抗体の数値も、少しずつ安定してきている。

正直、こんなに長期戦になるなんて思わなかったけれど、薬を飲んでいれば体調はもう随分と安定しているし、何かを特別制限されているということはないので苦ではない。

ささやかな変化

治療を開始してから現在に至るまでの間、食生活や健康の見直し以外でもささやかな変化があった。それは夫だ。

夫は激務になることもあり、家に深夜まで帰ってこないこともしょっちゅうだった。生活がすれ違う事も多く、ぎくしゃくした関係性になってよく悩んだものだ。

バセドウ病の治療をきっかけに、そんな夫が少しずつ家庭を顧みるようになってくれた。家事に協力してくれるようになったり、仕事を調整して、寄り添ってくれるようになったのだ。

もともと優しく、おおらかな人柄の人だったが、転勤後の仕事が忙しいせいで心がすこしとげとげしていたのだと思う。それに加え、バセドウ病の症状でイライラが限界点を突破していた私の相手はよほど疲れたことだろう。しかし、きちんと向き合ってくれた。

症状が緩和したり、話合いの場をしっかりともうけて彼と改めて真正面から向き合ったことで、少しずつぎくしゃくした関係性が改善されていった。それまでの数年間、お互いに向き合う心の余裕と時間、心構えが私たちには足りなかったのだ。そのことに気づくまでにも時間を要したが、改善され、仲の良い夫婦になれたことに私は喜びを感じた。

現在も夫は、一緒に料理をしてくれたり、共通の趣味を楽しんでくれたりと、家庭に寄り添った心遣いをしてくれる。治療で自分の身体が少しずつよくなってきたことに加え、私は夫と仲良く過ごせる現在がたまらなく幸せなのだ。

まとめ

違和感があったら病院に行く。
当たり前だろ、と思われるかもしれないが、それはとても大切なことなのだ、と思い知らされたという自戒です。

仕事が忙しいから、心に余裕が無いから。そういう言い訳を並べることはとても楽だし、病気と向き合うことは恐ろしい。でも、健康体で居られなくなるのはもっと怖いと知った。

これからもたくさん身体の違和感は増えていくだろう。日々身体は衰えるからだ。でも、そのひとつひとつと向き合いながら、積み重ねてきた歳月を楽しもうと思う。夫とふたりで。

なんだかひどく大げさなような、まるで大病を患ったかのような締め方になったけれど、私の持病の話はこれでおしまいだ。誰の参考にもならないかもしれないが、備忘録として。

読んでくださった方がいたら、どうもありがとうございました。




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