「生贄」思想の正体


弱肉強食。
他責他罰のサディズムの本質。
サディズムとは境界性人格障害の事であり、弱者依存症。

「サービスのS」なんてものは単なるサディスト特有の詭弁に過ぎない。
あいつら四六時中、年がら年中ウソを付く、論理的な根拠が全くない。
主体が無い故のターゲットに責任転嫁するペテンだろう。
単なる特殊な性サービスの建て前であり、非日常の演技指導の事だ。

日常におけるサディストで賢い利他的な人間なんて見た事が無い。
バカ特有の詭弁、「スパルタ教育」同様の他責願望の口実に過ぎない。
ターゲットへのガスライティング、ネガキャンを繰り返すほどに、
サディストはイコールでチクり魔のホラ吹きになる様だ。
本当に思い込みで根拠のない嘘しかつかない。

キリスト教は生贄思想であり、ユダとは依存者・サディストの事だ。

キリストはユダを筆頭とする衆愚のサディズムを甘受し、磔にされた。
当事者達の罪、責任をキリストという無関係な個人が引き受けた。
キリストというマインドリソースを消費して衆愚のリビドーを相殺したと。
プラスとマイナスの帳尻合わせという事だ。

これがマゾヒズムのロジックでもある。

サディストが責任転嫁をしない限り、この世にマゾなんて存在しえない。
自分の分のリスクを自分で背負わないが故、マゾが必要とされる。
故にクリエイターなんてマゾばっかりであり、
逆に有象無象の依存者達は主体性の無いサディストばかりになるワケだ。
責任と責任転嫁。
本質とファッション。
サディストの泥をかぶるのがマゾという事になる。

小説「ミザリー」の構図はキリストとユダの関係性のオマージュであり、
カリスマと狂信者の関係性、クリエイターと純粋消費者、
昇華し循環させず、どこにも還元しないファッションオタクの思想だろう。

ファッションオタクは他人の作品をアイディンティティとし、独占する。
そこに主体を憑依させ、もったいぶって他人に触られるのも嫌なハズだ。
それが宮崎勤の外的基盤「ウルトラセブンのビデオ」である。
この犯罪者のカルトはビデオという「偶像崇拝」によって成り立つと。
そして主体が無い故に、幼女を生贄にした。
相対的弱者である幼女に責任転嫁して、主体を得ようと努力したのだ。

ちなみにこれはリビドーの原則である。
肉体側の欲求は常に弱者へと向かう様になっている、
なぜならリスクが少ないからであり、弱肉強食、搾取思想の根幹だ。
より多くのメリットを追求した場合、必ず子供が犠牲になるハズである。
そこで主体を奪われた子供は更なる弱者を追い求め、悪意を増やす。
これが次々に連鎖していずれ人類は原始人に退化し、破滅するハズである。
破壊と創造はバイオリズムの波なのだろうから、塩梅があるかもしれない。
まぁ自分は巻き込まれるのは嫌だけど、今のところそうなってる。
失敗が無いと教訓が得られないのは寿命があるから仕方ないと。

話を戻すが、まぁサディストを見てて判るが凄まじい。

まずサンプルはガリ勉高学歴のバカ親父。

彼の中身は空っぽ故に、息子の全てにマウントを取ってきた。
まず自分の物は触らせない。
車に家族は乗せない。
TVのチャンネル権を独占。
子供の笑顔にキレる。
子供の創作物を理由もなく怒り狂って破り捨てる。
息子への情報量を厳選し、選択肢を与えない。

で、子供の社内作文の内容を自分の評価が上がる様に書き換える。
印象操作で子煩悩な様子を写真で撮る、ほぼ全部が捏造だった。

アニメは観るな、漫画は捨てろ、オモチャは捨てろ、本読むな
釣りはヤメロ、モデルガンはヤメロ、バイクはヤメロと、
そして終いになぜか「釣りをやらんのか!」とブチキレる(笑)
多分、会社で子供の話題でも出たんだろう。
世渡りのダシにされていたのがよく判る。
ちなみに彼の社会的評価は真面目で勤勉らしかった。

場当たりで子供の否定をエンジョイし、ダブスタを無尽蔵に繰り返す。
このダブスタ、ダブルバインドに逆らえば当然罰が待っていると。
主体の無いサディストのロジックは空虚な自分を相対的に上にする事だ。
その為に依存対象に責任をなすりつけ、罰し、引き下げると。
自分はあくまで現状を維持し、比較対象を下げる事で満たされる。
相対的上昇感覚を得る、が自分の位置は変わって無いと。
つまり内弁慶のシステム、未来ある若者が搾取される社会構造だ。

東京で出会った底辺グループも全く同じ事をした。

彼等も他責他罰のファッションで生活し、内弁慶のクズだった。
相手の強弱で演じ分けが上手いと。
思考停止で主体の無い、傲慢で欲太りの依存体質だった。
地元の優位性を誇示し続け、マウントを取り、水をぶっかけた。
幾度となくデマを流してヘイトを撒き、ハブった。
プライバシーに踏み込み、余所者の全てに介入した。

職場に押しかけネガキャンし、他人の社会生活にウソをバラまいた。
そして出るワードが、
「自己犠牲しろ!」「カースト的に下」「うぬぼれてる」と。
犬だのサルだのバカだのと、散々見下しておいてこれだ。

ネットでも上手い事、彼等の世渡りに利用されたようである。
よそ者の信用を骨の髄まで食いつくさないといけないのだろう。
ネガキャン努力して上手く犯罪行為にたどり着いたようである。
ターゲットを完全に滅ぼさなければ気が済まないという事だ。
彼等のアイディンティは常にこちらの上位であるという事になる。
眼を付けられれば最後、ポジション取りの為無限に引き下げると。

パトロンマインド。
消費マインド。
ユダのロジック。

これが「サディストの正体」という事。


キリスト、或いは巫女、人柱、生贄。
これはロジックがあるハズである。

実は最近ハイヤーセルフという概念を学んだ。


この辺は他記事にも目を通して貰えるとよく判ると思う。
おそらくはキリストの言う「三位一体」の「聖霊」にあたる部分だろう。
どうやら人間という存在は、肉体と精神の二つで成り立っていると。
それらの全ての母体が「神」なのかもしれないがよく判らない。
そして日本の八百万の「神」というのは「聖霊」の事だと思われる。
これはおそらくハイヤーセルフは人間に限らず万物に宿るからだろう。
結局は一神教の神と多神教の神はニュアンスがずれてるという事だ。
ネイティブアメリカンの精霊というのもハイヤーという事。

ハイヤーは個体の肉体のみならず相互干渉できるらしく、
これはテレパシーになり得るし、おそらく物理干渉をもしている。
人と虫とも繋がっているだろう。
既にこの技術は存在しうるし、よく判らんが量子力学の事かも知れない。
まぁよく判らんけど、引き寄せは個人的にはさんざん実感しているので。
結局は知識なんてヒントでしかなく、多くの物は個人に内在すると。

で、この聖霊というのが文化・文明・発明等のモチベとなると。
昆虫が絶え間なく進化するのはおそらくハイヤーによる物だろうし、
全てに宿るだろうハイヤーセルフというモノは、
最適解を求め四六時中試行錯誤を繰り返し、全てに進化を促すと。

これを阻害し、現状の肉体文明を維持したいのが下降欲求、
すなわち「サディズム」だと思われる。
HSPが上のベクトルを担う役目であるように、サディストは下を担う。

マインド欲求と肉体欲求。

おそらくハイヤーに従い進化を進めれば、肉体側が滅ぶハズだ。
これはガンダムにおけるニュータイプのイメージだろう。
逆にサディズムは肉体を維持するが、精神は消え去り人はサルになる。
肉体準拠の弱肉強食とは生物における退化のロジックだ。

人類というのはこの上振れと下振れのハザマ、
つまり中央値の価値観によって進化と退化を繰り返すようになっている。
まぁおそらくそうだ。

小説「蠅の王」に描かれるように、生贄思想の弱肉強食はイノセントだ。
共食いチンパンジーは純度の高い肉体のみの人類であり、
人間は本能に従う動物というのが幸福なのか、
それとも苦悩し肉体に抗い、進化を求める事が幸福なのかという事だろう。

毒親や底辺貴族を観てりゃわかるが、自分から観て人間じゃない。
それっぽく知識をひけらかすが空っぽで何も入っていなかった。
権威の指示で是非を決めるなら、まるで会話が成立しないワケだ。

リビドーに従い、場当たりでやりたい放題やって原始社会に戻るか、
試行錯誤を繰り返し、ハイヤーセルフに従って未来社会を作るか。

可視化しづらいだけで日本に蔓延した生贄思想は、原始社会のロジックだ。
権威主義がマインドを淘汰し、ハイヤーからのアクセスを断ち切れば、
おそらく全員サルになる。
がり勉高学歴が暗記脳の共食いチンパンジーになる理由だ。

おそらく眼を見た時に澄んでいるほどハイヤーからのアクセスが強く、
それが濁っていればハイヤーから断絶した肉体のみのアニマルだ。
これアルコールで簡単に切り替えられるが、常態化する可能性が高い。
眼というのは中に何が入っているか、かなり判り易いディスプレイだ。
リビドーとマインドの綱引きの中で生きているのが人間だ。

ビッグモーターの事件は弱肉強食にのっ取った、
リビドーによる生贄思想の一部に過ぎず、今の日本の縮図だろう。
今に始まった事じゃなく、中央値があんなもんだ。
教育制度により是としてきた肉体の本能はアレを目指しているという事、
要は全体リソースを減らし続ける勝ち組の正体がアレ。

ワザワザ破滅する為に隣人と競ってきたのが日本人だという事だろう。
旭川のイジメ事件を見れば判る様に、賢い程に生贄に選ばれてしまうのだ。
これまでどんだけの賢者が愚者によりトサツされてきたか想像に難くない。
現在、バカしか生き残れない様になっているという事だろう。
やがてすぐにそのバカも自業自得で滅ぶと。

生贄を求めるのか、生贄を必要としない様に価値観を変えるか。
肉体の欲求か精神の欲求かという綱引きだろう。
そして現在、これが顕在化し始めたという事になるね。

ひょっとしたらこれ、ワザと見せてるのかもしれない。
気付くかどうかの踏み絵だろう。
イーロンマスクの警告から察するに、

「日本人そのモノ」が生贄にされてる気がしてならない。


そういう話。

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