社会の矛盾


成果を求めると、もう必ず横やりが入る。
どこにいっても妨害する人間が発生する。
要は有象無象の利己主義者、例の如くサディストだ。
他人軸の彼等は何でもかんでも「突き上げ」と感じてしまうらしい。
主体が無い故に、常に他人と比べ続けないと自分の地位を築けないのだ。
粘着し、依存し、逆恨みし、足を引っ張る。

こういうのを切り離そうとすればするほど、リソースが持ってかれる。

本質と無関係な領分違いの穴を突かれ、そこをひたすら責められる。
服がどう、性癖がどう、コミュ力、フィジカル、容姿から学歴と非難する。
その全てを完璧にこなさない限り、彼等の妨害は続くのだ。
大事な時間も労力もモチベから何から、彼等に全て消費され続ける。

それで結果が出せなくなれば、非難されるのはむしろ逆である。
「裏切ったな! 嘘つきだ!」と彼等は周囲を扇動し、また責められる。
加害者が被害者を非難する、そういう風になっているのが世の中だ。

若い頃は気さくで、付き合いの良かった人物がいたとして、
人生経験を積むほどに嫌世的でドライになるのは必然だと思うべきだろう。
要はこれ、金貸しが非情じゃ無いと務まらない理由であり、
宝くじ高額当選者が人間不信になってしまう構造だ。

芥川の蜘蛛の糸、賽の河原の鬼、それが現実世界だろう。
誰かが上昇しようとすればするほど、必死に引き下げられるのだ。

米国映画ではファミリーをやたらと大事にする場面があるが、
個人の安全地帯はそこしかなく、外に出れば戦場だという事だろう。
このどうにもならない相互不信には必ず欲が絡む。

誰かにリスクを負担させ、自分は少しでも得をしたいと思うが故生まれる。
そうならない為には、常にそれぞれが対価を用意する必要があると。
リスクリターンのバランスでしか平穏は訪れないだろう。

そういう価値観を個人個人が持たなければ、
どうしてもリスクが集中し、マトモな人間から淘汰されていくだけだ。
やがては全員が食人族になり、原始宗教の悪魔を崇拝するだろう。
より無垢な生贄を厳選しつつ、無限に下降し続けるだけだ。

それが社会に蔓延したオウム以上の「一般論」というカルト宗教だろう。
このカルトに洗脳されてない人間はおよそ1割しかいないのが現状である。

そう、「大人の対応」などと綺麗ごとを言いながら、
やがては子供をレイプする、共食いを始める、そういう国が日本だ。
極論じゃなく、やがてそうなる必然がある。

価値観の刷り込みは固定じゃなくグラデーションで行われ、
ゆでガエル理論のまま、誰ひとり気付かぬうちにレイプが常態化する。
ペットボトル、レジ袋、マスク、注射、コオロギ、ヘルメット、
弱肉強食、LGBTという段階的マインドコントロール。
その全ては全部が繋がった一つの洗脳プロセスだという事だ。

常識は人為的な物であり、人間の行動全ては心理学で行われる。
意味不明な法律が作為的に押し付けられ、その意図には誰も気付かない。
先祖返りを強いられ、思考を食人族に書き変えられている。

つまりそれが「現在の日本」だという事。


そういう話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?