武田先生は何故変わったのか?
前提として、自分もこの方を尊敬している。
が、この人はもう自分を権威化してしまったのだろう。
事汗水たらし、命を削って必死に頑張ったのだろう。
「党に貢献した」事実。
だが、その事で大局観を見失った。
おそらくロジックじゃなく「ポジション」で考えてしまっている。
はるかに年下の神谷氏より自分を「含蓄がある賢者」というアイコン化、
これで観えている物にバイアスをかけてしまっているのだ。
そのせいでモノの道理が観えない状態になっていると。
その為に発言が情緒的な内容に、ほぼ無関係な単語をおり混ぜて、
必死に自分の優秀さ、見識の深さを並べ立てつつ「演じようと」している。
まるで武田邦彦というキャラクターを自分でロールプレイしている状態だ。
精神が本人から乖離して、自分自身を俯瞰して観れなくなっている。
自分はこれと同じ物を知っている。
それはあの尊敬すべき大漫画家であり、創造主である、
「松本零士」先生だ。
この方も晩年になり、自分の存在をアイコン化し、
その影響力を考えずに「パクリ騒動」を起こしたハズである。
「時間は夢を裏切らない」か忘れたが、松本先生は自分の矜持を
固定して、自分の「アイディンティティを奪われる」として怒ったと。
これまで長年かけて築き上げた自分のブランド、哲学の独占欲。
自分のポジションを乗っ取られると感じたのかもしれない。
人はきっと苦労した分、そこに自分の魂を置いてきてしまうのだろう。
大事な物であればこそ、そこに自分を刻み込んでおきたいのだ。
苦悩した自分がそこに居た事を、誰かに覚えておいて欲しいのだ。
だからこそ、武田先生を責める気にはなれない、が。
もうそろそろ、神谷氏にバトンタッチしていただきたい。
先生の生み出した多くの物はもう大勢に行き渡っているハズだから。
おしまい。
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