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備忘録 良寛

意訳「今日托鉢をしていると俄か雨に遭い、慌てて古い祠に逃げ込んだ。少し落ち着いて辺りを見ると、そこはお寺ではなく古いお宮だった。私はここで、自分という者に気づいたのである。私は破家風(僧侶としてもっとらしい言葉)を吹かせて、托鉢の鉄鉢とお布施を入れる袋さえあれば生涯を清々しく生きることができる、と言っていた。それが、たかが俄か雨でお寺とお宮を間違えて逃げ込むほどに慌てふためいたのである。そんな言動と行動が伴わない愚かな私を、花が咲くように口を開けて笑ってください。」

禅僧/著作家/書道家 良寛 

意訳「(三条の)賑やかな街並みで托鉢を済ませ、八幡宮の辺りを歩いた。その時子どもたちが私を見つけ顔を見合わせて話し合う、去年来た変な坊さんが今年もまた来たよと」

禅僧/著作家/書道家 良寛

生涯身を立つるに懶(ものう)く
騰々(とうとう)天真に任す
嚢中(のうちゅう)三升の米
炉辺(ろへん)一束(そく)の薪(たきぎ)
誰か問わん迷悟(めいご)の跡(あと)
何ぞ知らん名利(みょうり)の塵(ちり)
夜雨草庵(そうあん)の裡(うち)
双脚(そうきゃく)等閑(とうかん)に伸ばす
(訳文)
私の生きざまは、住職になって親孝行しようなどという考えを好ましくないものと思っており、
ゆったりと、自分の心の中にある清らかな仏の心のおもむくままに任せて日々暮らしている。
壁に掛けた頭陀袋の中には米が三升、
囲炉裏端には薪が一束あり、これで十分だ
迷いだの悟りだのに誰がとらわれようか、また、
名誉や利益といったこの世の煩わしさにどうして関わろうか。
雨の降る夜は草庵の囲炉裏端で、(日頃の托鉢で疲れた)両脚を無心にまっすぐに伸ばしている。

禅僧/著作家/書道家 良寛

毬子(きゅうし)
袖裏(しゅうり)の毬子 直(あたい)千金
謂(い)ふ 言(われ)は好手にして等匹無しと
可中(かちゅう)の意旨 若(も)し相問はば
一二三四五六七
(訳文)
 毬子                                                     袖の中の手毬は千金の値打ちがある。
わたしこそ手毬の名人であって、同じ腕前の人などいない。
手毬の極意(奥深い仏法の極意)を尋ねるならば。
一二三四五六七(普通でありのまま、そして繰り返すもの(自然の摂理)、それが仏法)と答えよう。

禅僧/著作家/書道家 良寛


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