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絵になる美しい街並みを創造する為の粉本/倉敷(くらしき)/岡山県倉敷市/倉敷川を軸とする街並景観がベスト

 

 古い街並みの残っている地方の美しい街を選定する際、常に選ばれるのが倉敷だ。それもそのはず倉敷の美観地区には年間300万人以上の観光客が訪れている。その吸引力は地名の由来と言われる建ち並ぶ蔵屋敷等の伝統的建築で構成される街並や大原美術館、それに倉敷紡績所後の倉敷アイビースクエア等の数多い見所と、その保存・再生整備に当たって倉敷川畔を伝統的建築群保存地区の指定を受ける等、住民と行政が一体となって街並を守る努力、ではなかろうか。
 この倉敷の形成過程を顧みると戦国期までは海辺の集落だったが、室町後期から干拓による開発を行い、関ヶ原の戦いの後、備中松山藩の藩主となった小堀正次とその子、小堀遠州の名で知られる小堀政一父子が統治して繁栄、発展した。
 それを可能にしたのは高梁川と児島湾を繋ぐ倉敷川を利用した舟運による物資の集散地として栄えたからだと言われるが、単なる物資の積み降ろし港として形成したのでは無く、倉敷川を中心軸に据え、水に親しめる護岸や川の両側に敷設した柳等の並木のある街路、その街路に沿って建ち並ぶ蔵のある町家群により、美しい景観の街並みを形成したことも寄与していると思える。それもそのはず、この港は当初大阪冬の陣の軍需港として開花させたようだが、この地を治めたのが前述の茶人であり建築家、作庭家であった小堀遠州であったことが見逃せない。
 事実、往時遠州は高梁にある頼久寺の庭を作庭していることから、立場上この倉敷川に沿って広がる街並のデザインに何らかの影響を与えたと勝手に思っている。


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