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分類とジャッジ

人の悩みの根本て…

自分自身や自分が人と接する上で、
常に上下、勝ち負け、良い悪いを、
無意識に「分類とジャッジ(判断)」をしていることが原因かも知れない。

本来、人は皆んな違ってて良いはず。
得意不得意があってこそ、誰かと関わって埋め合わせや助け合いができるのに。

今の世の中は、アイツより強い、あの人より頭がいい、あの人より美人(カッコいい)、あの人より背が高い、アイツらより高収入で良い暮らしをしてる、他の人より健康。
逆に、(あの人達と比べて)運が無い、(アイツと比べて)不細工、背が低い、(他の人と比べて)仕事ができない、(人と比べて)よく騙される、(人と比べて)不幸な事ばかり。

学校でも家でも、
◯君(兄弟)よりできない、◯君(兄弟)を見習いなさい!と言われたり、すべて評価して上下、良い悪いと優劣をつけて、順位が付けられる世の中。
それは、仕事もスポーツの世界でもすべて同じ。

生まれて直ぐの子どもから、
家族、学校でそれが当たり前の基準として扱われる。

だから、皆んな疑問にも思わない、
それが異常な事だと…

もし、世界に自分一人だけだとすると、そんな風な気持ちが湧くだろうか?そんな風に人を見るだろうか?

例えば、
人間の身体だって、脳の働き、心臓の働き、筋肉の働き、皮膚の働き、それぞれ違う。

内臓同士、脳の領域(大脳、小脳など)同士などが、その働きを見て
良いな〜!
私よりあの働きしてる方が優れてる!
私は目立たないしダメだ…
私は小さい(大きい)な…
なぜ見た目が良くないの?

…などと考えて、悲観していたりするだろうか?

もちろん、働きの重要性はあるけれど、だからといって批判したり、虐めたり、惨めに思っていたりするだろうか?

自然界でも、宇宙でも、そんな優劣をつけて存在している?

桜の木は、花が咲いている時だけ価値があるの?
人に観られる桜が価値があって、人の目に付かない山桜は価値が無いの?

自然をじっくり見ていると、今の世の中の不自然さに氣づける。

私は小さい頃から、スポーツやゲームなどの遊びに、勝ち負けがあるのが不思議だった。

買った人が負けた人の悔しがる姿を見て、喜んでいるのがとても不思議だしとても不快だった。
それは負けたからでなく、買っても嫌な気分があったから。

「なぜ、皆んなが一緒に喜べないの?」と。

それをふと人に言うと「勝負があるから面白いんだ」「それが普通だ」と言われる。

だから、私の感覚が変なのか…と思ってきた。

でも、今はハッキリ言える!
自分の感覚は可笑しく無かったんだ、と。

もし、ネガティブな気持ちになった時、改めて自然の中に浸って取り戻したい。
本来の人間は、何でも有りだということを✨

🌈自然がすべての答え🩷

水や太陽の光や酸素も「分類やジャッジ」せずに、どんな生き物でも恩恵を受けている。

それが答え✨
皆んなが、本来は素晴らしい存在❣️

それが分かると、自然と生きている喜ぶが湧いて来る🥰

🌸早く、皆んなが不自然さに氣づいて抜け出せることを祈りたい✨

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