入管法改正案きょう成立へ 難民の「命を守る」とはどういうことか

========================================================
要約
・批判の多い入管法改正案が今日成立見込み。
・今回はわかりやすさ重視で書いたので法律に馴染みのない人もぜひ読んでほしい。
・改正案について、どちらの意見を主張するのも自由である。しかし改正案が「難民の命を軽視している」というような極端な論調は好きになれないし、むしろ恐怖を感じる。
・どちらの意見を言うにしても、問題の本質を理解する努力が必要。
========================================================

1 入管法の議論の整理

批判の多い入管法の改正案が今日成立する見込みです

入管法とはざっくりいうと外国人の受け入れについての法律で、今回は難民の受け入れについての項目でいくつか改正があります。

最も批判が多いのは難民申請の回数が今まで制限がなかったのを、原則3回までに制限するという案です。

難民申請とは国に「自分を難民として認めてください」と申請することで、本来在留資格が認められない場合でも、母国で迫害を受ける危険のある難民として認められる場合は、日本に在留することができます。これは、迫害を受ける難民は各国協力して保護していこうという国際協調的な考え方に基づいています。

しかし、難民とはいえないような外国人が、不法に日本に残るために難民申請を濫用するケースがあるとして、それを防ぐために難民申請を原則3回までにするという改正案を政府が提出していて成立する見込みです。

これに対し、難民を支援する人たちを中心に、母国で迫害を受けるおそれのある難民が送り返されてしまう、として反対しているわけです。

両方の立場の記事を貼っておきます。

いろんな記事が出ていますがそれなりに詳しく書いてありそうなものを選んでいます。

どちらかというと改正案に賛成の立場の方が説得力のある議論を展開していると私は感じています。その理由は今までの自分の記事でかなり詳しく書いているので時間のある方はぜひ。

2 「命を守る」とはどういうことか

自分はどちらかというと改正案に賛成の立場です。それは自分の考え方なので、反対の意見を持つことは自由です。

ただ、反対派の方々の意見の主張のやり方が好きになれません。

「命を奪う法案だ」という主張。

山本議員はかなり極端な例ですが、「難民の命を守れ」や「政府は外国人に冷たい」「人権を軽視している」という強い口調の報道が多い印象です。

しかし、ここで落ち着いて考えてほしいことがあります。

あなたが難民の審査に関わる職員だったとします。

難民でもないのに、適当な理由で難民申請をしてくる人が大量にいたらどうでしょう?本当に助けを求めている難民が紛れていたら見逃してしまうと思いませんか?そうだとすると、濫用する人たちに紛れて、難民を見逃してしまう状況こそまさしく「難民の命を危険に晒している」ことになるでしょう。

そう考えると、難民申請の回数に制限を設けることで難民として認められる余地のない人の申請を排除して、本当に助けが必要かもしれない人の審査に集中した方が、難民の「命を救える」かもしれません。

(あと、何度も役所に申請するくらいだったら裁判所に取消訴訟を提起して公平な立場で判断してもらうという方法も残っているはずなんですけど、なんで誰も指摘しないんだろう。。。)

上で述べている議論は、賛成派の言っていることが正しいと仮定した場合の話なので絶対に正しいとは言えません。

ただ、法律を改正することが、返って難民の命を救うことになるかもしれないという考え方もあり得ます。

それに対して、「命を奪う」とか「人権を軽視している」というような言い方は論理が飛躍しているだけではありません。

もはや怖いんです。

3 感情論はある意味言論弾圧

「命を奪う」「人権を軽視している」という言い方が怖い理由。

それは議論の対象を相手の人格的要素に転嫁することで、実質的に反論の機会を奪っているからです。

改正に賛成する立場でも、この国を良くするための建設的な意見はあり得ます。もちろん「外国人は出て行け」みたいな差別的な言い方は論外ですが、ちゃんと守るべき難民を守るための建設的な意見として、賛成の意見を言うことは可能です。

それに対して反対派が「自分達は命を大切にしているんだ」「弱い人たちの味方だ」みたいな正義感を振りかざすような言い方をされるとどうでしょう。

怖くて意見が言えません。

その人たちに反論すれば「あなたは命を軽視している」「弱者の気持ちがわからない」という人格攻撃をされるように感じるからです。

難民の命を救いたいという思いは共通です(少なくとも私は)。そんなことは当たり前です。その上でうまくいかないことがあるから色々考えてるわけです。

今までこの問題についていろんな記事を書いてきましたが本当に怖かったです。

「命の大切さがわからない」「弱者の気持ちがわからない」そういうレッテルを貼られるのではないかと思っていました。さらに、「こんなことを考えている自分は人間としての心がないのではないか」という自己嫌悪を感じたことすらあります。

でも、本当に難民を救いたいのなら、いろんなことをちゃんと考えた上で建設的な議論が必要だから自分に考えられることは書いてきました。

自分だって感情論で書きたい。カッコつけたい。でもそれじゃ意味がないから書けない。

世間にお願いしたいのは、議論はあくまでも論理的・建設的にするべきであって、これを感情とか正義感みたいな人格的要素に落とし込むのはやめてほしいです。

怖くて物が言えなくなります。ある種の言論弾圧です。それで世の中良くなりますか?

恐怖を感じながら毎回記事を書いていることは知ってほしいです。


入管法改正案は今日成立するのでしょう。それが正しいことなのかは自分には断言できません。妥当な案なのかなとは思っていますが。

どちらにしろ、建設的な議論を経なければ絶対に世の中は良くなりません。

それがちゃんとできているのか。

疑問を感じざるを得ません。


(追記)

マスコミ出身なんでマスコミにも一言言わせてもらうと、難民の命を守りたいのであれば「どうしたら難民認定を勝ち取れるか」を難民向けに報道してほしいです。

どういう証拠が必要かとか。どういう事情が有利に働くかとか。それを外国語で流してもいいかもしれないですね。

政府の批判もいいですが、困っている人に必要な情報を届けるという報道機関としての役割を全うしたいのなら、そういうことをしてほしいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?