なぜ日本の難民認定率は低いのか クルド人難民不認定判決から考える

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要約
・報道で取り上げられることの多いクルド人について、なぜ難民として認定されなかったのか、裁判結果から読み解く。
・裁判から見えてくるのは迫害の危険を証明することの難しさ。高度な証明を要求する現状では、難民に不可能を強いることになっていないか。
・場合によっては難民側の立証責任を軽減する法解釈・運用をしても良いのではないか。
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1 結果だけでなく過程を見る

批判の多い入管法改正案をめぐる議論をきっかけに、難民に関するニュースが今年は多く取り上げられました。

日本は難民認定率が他国に比べて極めて低く、国内外から批判されます。

その中でも特に「クルド人」という民族の方々についてニュースで見る機会が多いかと思います。下の記事のように、難民に対する日本の不寛容さを批判する文脈で、日本で難民認定を得られなかったクルド人の声がよく取り上げられました。

ニュースでは「難民として認定されなかった」という結果は報道されますが、「なぜ認定されなかったのか」という判断過程まではなかなか見えてきません。本当に難民を助けたいと思うのであれば、結果だけを見るのではなく、どうして認められなかったのかという判断過程を見た上で、その判断過程が妥当なのか、妥当でないのならば何がおかしいのかということまで考える姿勢が必要だと思います。

この記事では難民不認定処分を受けたクルド人が国に対して起こした裁判をベースに、難民認定のあり方について考えたいと思います。

2 難民認定と司法の関係

まず前提として司法と難民認定の関係について述べておきます。

難民認定に関わらず行政から何かの処分を受けた時はその処分に不満があるときは取消訴訟を裁判所に訴えることができます。(処分というと「罰則」というような意味をイメージするかもしれませんが、もっと行政法ではもっと広い意味で使われていて「処理」とか「判断」というような言葉の方がニュアンスが近いかもしれません)

国民(外国人も)の権利に関わることは基本的には行政の判断だけで決まるわけではなく、不満があるときは裁判所の判断を受けることができ、司法の監視があるといえます。

先日あった事件では、難民不認定処分を受けたガーナ人に対し、取消訴訟を提起する間を与えずに強制送還をしたことが裁判を受ける権利の侵害であると認定がされました。

「裁判受ける権利侵害」 ガーナ人男性の強制送還で国に賠償命令:朝日新聞デジタル

このように、難民審査は行政が行うものではありますが、裁判で争う道が残っているということはもう少し共通認識として持っていても良いのではないかと感じます。

また、裁判があることで行政の中で完結していた議論が広く国民に公開されるということも重要な点です。難民認定のあり方について考えるにはこうした裁判の判決が良い資料となります。

今回の私の記事ではクルド人が国に対して起こした裁判の平成30年東京高裁の判決からわかることを書いていきます。

3 難民であることは難民自身が証明する「立証責任」

難民の定義は入管法2条3号の2に記載されていて、ざっくりいうと「母国で迫害を受ける恐れがあるため保護の必要がある人」を言います。

そして難民該当性の立証責任は難民側にあるとした上で、証拠不足などを理由に難民に該当しないとの判断を示しました。

この「立証責任」の考え方が重要です。

要するに「難民であることを難民が証明する」のか「難民でないことを行政が証明する」のかどちらであるかということです。

この点について、裁判所は難民が立証責任を負うとしました。これは利益を受ける方がその証明をするという一般原則に則ったものです。

では難民はどの程度の証明をしなければならないのか。証明の程度が問題となります。

4 難民に課される立証責任が重すぎないか

証明の程度について、判決を読んだ私の印象としては少し難民に高度な証明を求めすぎているのではないかと感じています。

シリア政府の弾圧について裁判所は「疑問を入れる余地がある」としています。裏を返せば、疑問を入れる余地がない程度まで確実な証明を難民に要求しているといえます。

確かに、シリアにおける弾圧が実際はそこまで酷いものではなかったのではないかという報告がないわけではありません。

しかし、紛争地域において何があったのかということについて真実を突き止めることはそんなに簡単ではありません。

紛争地域は政情が混乱していますから、情報も断片的なものに限られ、さまざまな説が錯綜するのが当然です。そうだとすれば、弾圧があったということを「疑い余地を挟まない程度」にまで証明することはかなり困難だと想像できます。

5 国際的な見解をどう捉えるか

また、国際機関や他国の政府の見解なども参考にするべきです。

もちろん、日本の裁判ですから、日本の法律の考え方に従うべきではあります。

しかし、難民に関する規定はそもそも国際的な難民条約に則ったもので、純粋に日本国内の法律の問題とは性質が違います。難民を保護するという趣旨に日本政府が同意して締結したのがこの条約です。そうだとすれば、難民というものの考え方については国際的な解釈にある程度沿った判断をするべきです。

そして、国連難民高等弁務官事務所(UNHCRは「国際保護を求めるシリア人の大半は,条約上の根拠の一つと関連した迫害を受けるおそれがあるとい う十分に理由のある恐怖を有するために,難民条約における難民の定義要件を満たす可能性が高い」としています。

つまり、シリア人である時点で難民に該当する可能性が高いということです。

このUNHCRの見解に対して、裁判所は「一律に難民該当性が認められるという趣旨には解されな い」と判断しました。

確かに、シリア人だから、クルド人だからという理由だけで、無条件に難民として認めるべきとは思いません。

しかし、UNHCRの見解によれば、シリア人であれば難民である可能性が高いのですから「この人は難民かもしれない」という目線で見るべきで、1から全てを完璧に証明させる必要があるのか疑問です。

さらに、難民ではない人を間違えて難民として日本に入国させた場合と、難民を間違えて送り返してしまった場合、どちらの問題が大きいかということも考えるべきです。
難民が母国で危険に晒されることと、難民ではない人を間違えて難民として日本にいれてしまうことの不利益を比較すると、難民の命の重さを重視しても良いと言えます。

まとめると
① 混乱した紛争地域での状況を完璧に証明することは困難
②  国際的な見解の尊重
③ 難民を見逃すことの危険の大きさ

という理由から、難民の立証責任の軽減を検討しても良いのではないかと言うのが私が判決を読んだ上での見解です。

6 立証責任の転換、軽減

行政と国民の関係で立証責任を国側に転換する緩和するという考え方は原発訴訟でも示されています。(正確には国ではなく企業ですが理屈は似ています)

https://saiban.hiroshima-net.org/report/2022/pdf/20220224_ido.pdf

証拠を持っているのが企業であることや、力関係が圧倒的に企業有利であることを理由に、住民が原発の危険を証明するのではなく、企業が原発の安全を証明しなければならないという理論です。

立証責任を誰に負わせるのかという点において原則を機械的に当てはめるのではなく、事例の性質に応じて立証責任を転換したり軽減したりしてもいいのではないかということがわかります。

前節で述べた理由から、クルド人であることから難民であるという推定を働かせ、それを疑わせる事情を国が示さない限り難民として認めるというような、難民の立証責任を軽減する運用をすることも検討するべきだと思います。

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