ホスト売掛金と旧統一教会① 共通するキーワードは「マインドコントロール」

ホストにハマった女性が多額の借金を抱え、売春等に走ってしまうという実態は以前から知られていましたが、最近になってニュース等で扱われることが増えてきました。

実はこの問題、旧統一教会をめぐる問題と共通することが多いと私は感じています。(去年、旧統一教会をめぐる議論をみながら「あれ?ホストってどうなんだろう、、、」と思っていました)

この2つの問題は宗教的信仰心を利用するか、恋愛感情を利用しているかというだけの違いであって、どちらも相手の心理に働きかけてお金を使うように誘導するという方法には変わりがないからです。

私の記事では、これから3回に分けて、旧統一教会とホスト売掛金問題に共通する問題点を考えていきたいと思います。

まず、第一弾となるこの記事では、売掛金とは何かということに触れた後で、2つの問題に共通する「マインドコントロール」というキーワードについて考えます。


1 売掛金という形態について

そもそも、売掛金とはホストが店への代金を立て替える営業形態です。

このこと自体に現状の法律では法的な問題があるようには思えません(強いていうなら民法474条の第三者弁済の要件を満たしているかどうかが気になるくらい)。

ただ、その場で払うわけではないので客としても安易な注文をしてしまう、また、ホストがナンバーワンになりたいという思いから自身の売上をカサ増しするために売掛金を多用するということも考えられます。

現状法律的に売掛金という仕組みを問題にすることは難しそうですが、この仕組みが債務が膨れやすい性質を持っているということは言えそうです。

そしてこの性質が売掛禁止条例を求める運動の根拠になっていると考えられます。

売掛金を条例で禁止することが可能かどうかということについては法律上の論点がいろいろありそうですが今回は割愛します。


2 ホストも旧統一教会も消費者契約法の問題

ホストの問題について、消費者庁は消費者契約法の要件に該当すれば取消しができるとの見解を示しています

消費者契約法は旧統一教会の霊感商法の時にも問題になりました。少し解説しておきます。

そもそも、契約というものは約束ですから簡単に取り消すことはできませんが、詐欺などで騙されて契約をしてしまった場合は民法の規定により取り消すことができます。

しかし、詐欺はそんなに簡単には認められません。

そもそも、民法は民間のあらゆる取引について定めた法律です。それに対して、消費者と事業者の間では力関係に差があるので消費者側に「甘く」しておく必要があります。つまり、厳密には民法上は詐欺ではないけれども、事業者が力技で消費者に契約させた場合には消費者を守る必要があるのです。

そこで成立したのが消費者契約法です。(民法と消費者契約法のこの関係を一般法と特別法と言ったりします)

消費者契約法には消費者が契約を取り消すことができる場合がいくつか列挙されていて、いわゆる押し売りなども含まれています。

その中に恋愛感情を利用した商法や、宗教感情を利用した霊感商法に該当するものも同じ条文の中で並んで記されています。

ただ、あまりにも簡単に契約が取り消されたら社会は成り立たないので取り消せられる場合については結構細かく書いてます。どれだけ細かく書いているか実感してもらうために条文を載せておきます。

消費者契約法4条3項

6号 当該消費者が、社会生活上の経験が乏しいことから、当該消費者契約の締結について勧誘を行う者に対して恋愛感情その他の好意の感情を抱き、かつ、当該勧誘を行う者も当該消費者に対して同様の感情を抱いているものと誤信していることを知りながら、これに乗じ、当該消費者契約を締結しなければ当該勧誘を行う者との関係が破綻することになる旨を告げること。

8号 当該消費者に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、当該消費者又はその親族の生命、身体、財産その他の重要な事項について、そのままでは現在生じ、若しくは将来生じ得る重大な不利益を回避することができないとの不安をあおり、又はそのような不安を抱いていることに乗じて、その重大な不利益を回避するためには、当該消費者契約を締結することが必要不可欠である旨を告げること。

ホストクラブでの営業が6号に該当する可能性はあります。ただ、現実問題取消しは認めれられるのかということは実務経験のない私にはわかりません。(判例を調べたらわかるかもしれないので具体的事案が見つかったらまた記事にします)

ただ、相当極端じゃない限り認められないんじゃないかなという気はします、、、


3 「マインドコントロール」とは何か

去年、元首相殺害をきっかけとして、旧統一教会をめぐる霊感商法が問題として大きく取り扱われた結果、霊感商法で多額の献金をしてしまった人やその家族を助けるために不当勧誘防止法(いわゆる救済新法)が成立しました。

不当勧誘防止法は「寄附」の勧誘についての法律なので、厳密にホストの問題に適用可能かはわかりませんが、考え方には共通することが多くあり、不当勧誘防止法の成立における議論は、ホストの問題を考える上でも参考になります。

この法律の成立の際、国会でもさまざまな点について議論が交わされましたが、キーワードは冒頭でも述べた「マインドコントロール」でした。

与党が提出した案には勧誘に当たっていくつか禁止行為が列挙されていて、その内容は消費者契約法をなぞったものでした。

これに対し野党からは「禁止行為が限定的すぎる、マインドコントロールに当たる行為をもっと広く禁止するべきだ」と批判がされました。

ここで「マインドコントロール」とは何か、法律的に定義できるのか、ということが問題になりました。つまり、具体的にどういう行為がマインドコントロールに当たるのかということが不明確であれば法律で規制することは困難であるということです。

これに対し、当時の担当大臣の河野消費者相は「法律的に定義することは困難」と述べ、結果的に条文で明記することは見送られました。

国会答弁においてその理由として河野大臣は「寄付者が自由な意志において寄付をする場合にはこれを禁止することはできない」としています。

確かに、宗教にのめり込んでいる状態が周りから見れば異常であっても、本人からすれば本人の意思で寄付しているのであって、自由な意思のもとに権利を奪うことはできないのかもしれません。


今までの議論はホストの問題についても当てはまります。

「マインドコントロール」という言葉は冒頭で引用したホストの記事でも使われていて、記事の中ではホストによる客に対するマインドコントロールが行われている実態が当事者の証言から明らかにされています。

今のところ、ホストのマインドコントロールに対する法規制をするべきという議論は聞こえてきませんが、そう考える人もいるでしょうし、感情としては理解できます。

法規制をしようとしても、客が自分の意思でホストにお金を使っていると考える限り去年と同じような議論が展開され、結果的にはマインドコントロールの定義は難しいため法規制は難しいという結論になることが考えられます。


しかし、それでいいのでしょうか?

法の理論としては規制が難しいとしても、宗教やホストのために貧困に陥る人がいる事態はおかしいと思うのが私個人としての直感・正義感です。客観的な法的議論はもちろん大切ですが、感情としての直感的な正義感というものも大切にするべきだと私は思っています。

ではどうすればいいのか。

今必要なのは「自由な意思とは何か」という法律論を超えた哲学的な問いに対する議論だと私は思っています。

宗教を信じている人、ホストにハマっている人、この人たちの意思は本当に自由な意思と言えるのか?自由な意思に見えて、実は宗教団体やホストに操られているだけではないか?

もう少し前提に立ち帰って考えてみます。

そもそも私たち人間は完全に自由な意思で動いていると言えるのでしょうか?なんのマインドコントロールも受けずに自分の自由な意思で動いていると断言できる人は果たしてどれくらいるのでしょうか?

例えばブランドものの鞄や時計、高価な車、これらにはその値段に見合った価値があるのでしょうか?これらのものに価値があるというマインドコントロールをされているのだけではないでしょうか?
学歴や社会的地位を追い求める姿勢についても、そこに自分の意思は本当にあるのでしょうか?学歴社会の中で、周りの環境にマインドコントロールをされてそれを追い求めているだけではないでしょうか?

そう考えると、私たち「一般人」と宗教やホストにハマる人の違いは何か。その違いは言語化できるものなのか。

その問いに対する答えが見つかれば、法規制への道が開けるのかもしれません。





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