海ゆかば 日本を取り戻す
おはようございます☔️
今朝の東京は雨、最高気温17°C、一日中雨の予報です。
さて、今朝の一枚はこの曲にしました。
海ゆかば
海うみ行ゆかば 水み漬づく屍かばね
山やま行ゆかば 草くさ生むす屍かばね
大おほ君きみの 辺へにこそ死しなめ
かへりみはせじ
(意味)
戦いで海に行くなら、水に漬(つ)かる屍(しかばね)となりましょう。 戦いで山に行くなら、草の生える屍となりましょう。 天皇のお側(そば)で死ぬのなら、決して後悔はしません。
この曲を知ったのは恥ずかしいことに5年前です。
大伴家持作詞、作曲者不明
歌詞の意味を理解出来ずに調べました。
日本語は素晴らしいです。万葉集はら86音で出来ているらしいですが、今は50音。
だから理解出来ないのでしょうか?
重光葵が守ってくれてなかったら今はこの美しい言語を我々は失っていました。しかし重光葵が立てたのは国民の援護射撃があったからです。
その援護射撃がなかったために、中川昭一氏、安倍晋三氏を失ってしまったと思います。田中角栄氏、橋本龍太郎氏、竹下登氏もそうなのでしょう?
私は援護射撃を出来なかった自分が情けなくて仕方ないです。
なぜなら、海ゆかばさえ知らなかったのですから。
高校時代から7年間過ごしたこの地にいながら、なぜこんな時間を過ごしてしまったのだろうか?
狭い校庭だったので、放課後は北の丸から皇居一周してたのに、なぜ靖國に思いを馳せられなかったのか?大正天皇は命じられていたそうです。戦地で息を絶えた状況まで思いを馳せ祀るようにと。
先日、勉強会で知った、招魂斎庭から御羽車で正殿まで運ばれる時に演奏されたのは軍楽「水漬く屍」と言う楽曲だそうですが、御羽車は明治天皇がお差し回しになられた御料車なのです。
百田尚樹さんから教えて頂いた「民の竈門」は日本の歴史そのものです。
日本民族は全て神武天皇の家族、本当にそう思います。そんな家に生んでくれて本当に感謝しかありません。
子どもたちには私のような後悔がないように早く知らせてあげたいですね。
思い起こせば今から36年前、葛西で営業していた時、訪問したお客様のお母様が言われた言葉「昔は袖触れ合うのも多少の縁と言ってたのに、今は変わってしまったわね?」
私は下町で近所のお爺さん、お婆さん、おじさん、おばさんに見守られて育ちました。夏は家の前の歩道にたらいを出して水浴び、その世界はもうありません。日中でも常に玄関に鍵をかける、寂しいですね?
いつも間にか、昭和は昔になってしまいました。
私の感覚での明治が今の時代の感覚が昭和です。
でもですね、その平和な日本に憧れているのが外国人なのですよ!
それを日本人が忘れていませんか?
日本はそう言う国なのです。
LGBTや男女共同参画、包括的性教育、仕掛けはされて来てますが、日本人が根本を忘れなければ関係ないと思います。一部の変人が活発ですが、彼らを気にすることよりも日本人が日本を知ることが優先だと思うのです。
大丈夫、私みたなもんでさえ気づいたのですから、みんな気付けますよ!
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