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すばらしい心のプレゼント #20 

(平成21年7月1日 S小学校学校だより引用)
 『校長室には、毎日いろいろなお客様が来られます。町内の会長さんや各種団体の会長さん、そして学校の保護者であるPTAの役員さんや委員さん達もよくいらっしゃいます。時には、一般の保護者、地域の方もいらっしゃいます。
 5月の下旬のことでした。
 年配の女性の方が校長室に来られ、学校に寄付を申し出たいとおっしゃられました。私は、その方のお話がすぐには飲み込めず再度聞き直した所、その女性は、学校においてあるリヤカーの中にタイヤがパンクをして動かなくなったのがあるので、ぜひその修理代を出すので直してもらいたいというお話でした。私も、その方の思いを感じましたので、そう思われたわけを改めてお聞きしたところ、持参されたお手紙を元に次のような話をされました。
 「今から75年程前(太平洋戦争前?)、当時小学校の高学年だった時のことです。急に自分の父親が病気で倒れてしまい、母親がリヤカーを引いて行商を始めました。朝3時に起きて2時間リヤカーを引いて魚市場に魚の仕入れに行きそれを販売し、その後今度は、青果市場にお客さんからの注文品を仕入れに行き配達、販売をする生活が始まりました。母はよく躰が続くと思われるほど働き続けた結果、父親が病に倒れた私の家庭を救ってくれました。私も、日曜日だけでなく時には平日も、母の手助けをするためにリヤカーを後ろから押し続けました。・・・・
 そんな学校時代、母と共に仕事をし、母を少しでも楽にさせたやりたいと思い働いたことが、今では走馬燈のように思い出されます。今でも、全然苦労したなど思ったことはありません。私だけではなく、当時の子どもはみんな親孝行したものです。・・・・ 中略 ・・・・
 今の子ども達は、リヤカーを引く時代のことはきっと想像しにくい事と思います。しかし、物は大切にしなければなりません。大切な物はいつの時代も変わらないと思います。だからこそ、私は壊れかけたリヤカーを直せるものなら直して使ってもらいたいと思ったのです。だから修理代の一部にしかなりませんが、ぜひこのお金を使っていただきたい。・・・・」
というお話でした。私は、その申し出られたお金は丁重にお断りをするとともに、壊れかけたリヤカーは学校で必ず直すことを約束しました。
 
   リヤカーの話。
このお話は、私達教職員だけでなく、子ども達にも忘れていた心、大切な気持ちを教えてくれているような気がしました。お母さん、「すばらしい心のプレゼント」ありがとうございました。』

 この話を学校だよりに載せてから、はや12年になります。丁度一ヶ月前の日曜日、この学校から運動会に呼ばれる機会がありましたので行って来ました。ふと技術吏員さんの作業場の後ろを覗いたら、新しいリヤカーが置いてありました。でも私にはあの時の古いリヤカーが「元気でがんばっているよ。」と声をかけてくれてるような気がしました。(令和5年7月22日)

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