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誰とも違うユニークな私・2

今日はしばらく歩いた場所にある、大きめの八幡宮へ。良い気を感じる神社に来ると、無条件で充電される。今日は風が揺らす葉音があまりにも気持ちよかった…!(画像は参道で見た雲。龍に見えて思わず…。皆さんは何に見えますか?)

ここからは、前回のつづき的なお話を。
バシャールが教えてくれる、本当の私とは?についても交えて書いてみます。

バシャールは、

あなたたちはそれぞれが違う周波数を持つ「パズルピース」だ。
といいます。
あなたと同じ周波数の人は、一人もいない。と。

さらに、
他の人とあなたが同じように見えても、思っている以上に違う。同じりんごの別種かと思いきや、りんごと金柑くらいに違うものなのだ。

むむむ!?
さらに続きます。

あなたが他の人に似ているという「設定を演じる」ことに「同意」しない限りは、全く他の人には似ていない。
そして私は、他人と違いがあることも認識している。
その違いは、私が思っている以上だ。

『世界に一つだけの花』にもあるけれど
「えっ、そんなに違うの〜?」って思いますよね?
花!とか、果物!くらいの大きなカテゴリーでは同じでも、「りんごと金柑」「バラと桜」くらいに違う…!?

さらには。。

だから、他人と自分を比べて「自分は足りないと感じる」。そんな衝動にかられたなら、
自分がどれだけ他の人と違うか、どれだけ特別でユニークなのか」を思い出して欲しい。
あなたがいかに、真に特別で、固有の視点かということを。
この宇宙において「私という視点」は
他には絶対に存在しないのだ、ということを。「あなた」という「唯一無二の存在」を大切にしてください!何があっても、その存在を否定したり、蔑まないでください。
あなたのそのユニークさこそが、「宇宙が「全て」として存在できる理由」なのです!


前回にも触れたように、これまでの長い地の時代、私たちは他の人と比べ、競い、他の人よりも秀で、勝ち、自分の価値を証明すること、そのような価値観を当たり前に正しいこととし、そのように促されてきました。

ある意味、社会の決めた「幸せの形」「成功の形」を求めなければいけないのだ、それができる人々が勝ちだと。


私自身も、そこにずっと違和感がありながらも、そう思えない自分の方がおかしいのだ、ダメなんだと、自分自身を責めて続けていたように思います。(はー、長かったな…。)

そして、大きく価値観の変化が起きていることは誰もが感じるところだと思うけれど、
それでも、ここまでそれぞれが違うものだ
ということをはっきりと知らせてくれているこのメッセージ。

そして、その本来の自分の形(誰とも違うパズルピースの形)になることがまた、それに触れる他の人たちを、その人それぞれの形になることの助けになるのだ、と。
本当の自分らしく生きる私を見た誰かに「それでいいんだ、それが良いんだ!」と気づかせるきっかけになる、ということです。

もっとなんか必死で、見える形になるものを打ち出したり、驚くような結果を出したり…しなくていいの?そんな思考も出てくるかもしれない。

けど、嬉しそうに生きてるな〜、緩んでるな〜、本当の自分らしくいるなぁ。
そんな人を見るとたしかに、こっちまでホッとしたり、安心したり、緩んだり、笑顔になりますね。。
うん、そういうことか…!

もう少し、バシャールの言葉を続けます。

その違いを完全に認めることが、あなたと周囲との調和を作り出すことになる周りの人と似ている周波数を感じることができる。
逆説的だが、「他の人との完全な違い」を認めるほど、他の人との違いを認めている人たちと同じ周波数での一体感を得られる。

ほほう〜。
似ているものだ、同じだと思うから、自分の価値観に沿わない人を叩いたり、わかりあえるという前提で、実際にわかりあえないと落ち込んだり、怒ったり、悲しんだり…。

まさに、地の時代的な価値観、「皆が同じものを良しとし、それを欲し、達成することが幸せ」
みたいな価値観。
それこそが、やはり違っていたのよね。
せっかく必死で走って、ゴール!!!してみたら「あれれ?こんなものを僕は欲しかったのかな?」となる。

「本当の自分」が好きなもの、楽しいと感じられること、心が躍ることやワクワクすること。
それは、他の人からはバカにされるかもしれない。
ダサっ!って引かれるかもしれないし、
ヤバいやつだ〜と嫌われるかもしれない。

でも、そんなのは当然なこと。
だって、りんごと金柑、バラと桜なんだから。
違うのが当たり前で、わかってもらえないのが自然なことなのかも。
実は私自身も、最近、好きなものへのストッパーがあったことに気づきました。
「魚座」である自分の特性、を改めて見直す機会があり、それがきっかけになったのだけど(今度詳しく書けたら書きます)、私が「小さな頃から今もでも、なぜか好きなことはなに?」「好きなのにそれはいけない、と感じていることはなに?」
そんなふうに自分に問いかけてみたのです。

その中に、スピリチュアル、占い、天然石などがありました。
どれも20歳ごろに詳しい友達や仕事にしている友達たちを通して、それらにかなり縁があったり、特にスピリチュアルには深く触れて生きてきたのに
「SNSなどで書いたらあの人は引くかな?仕事関係者には偏見を持たれるかな。」
そんな思いがどこかにあり、全面的に「好き全開!」で向かえてなかった。わずかにストッパーをかけていた。

そこに気づいた時、ようやく「全面オッケー❣️」にできたのです。

自分と他人は、全然違うものだ。
それに遠慮したり、気にして、別のものになろうとしても意味がない。

むしろ、本当の私らしいこと、本当の私の喜ぶこと、本当の私が心地よいと感じることを選んで、本当の私の周波数になること
それこそが、その周波数とマッチし、似たものを呼び寄せる。

だから、どんな自分だとしても、どんどん出して、本当の自分として、さらにのびのびと思いっきり笑っていこう❣️


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