木枯らし

 随分と外の空気が変わった。それはもう、新年を迎えた時みたいな雰囲気で。つい先日まで暑苦しかったのに、今となっては過ごしやすい気温に包まれて夜の散歩が楽しい。年々短くなってきている秋の初日を迎え、心が高揚している。今年は紅葉でも見に行こうか。毎年そう言ってるにもかかわらず結局赴いたことはなく、なんだかんだで冬を迎えている。私がこの季節を楽しむにはあまりにも時間が足りなさすぎるので、思い立ったが吉日という言葉にある通りなるべく早く見に行こうとは思う。秋になるとこぞって企業が「月見○○」という風に、自社の食品を月に準えるようになる。謎の一体感を感じることが出来るから、毎年この季節になると「いよいよか」と思う。そもそも月というものは古来から日本と深く関わりのあるもので、貴族なんかが一句詠んだり月面着陸をしたりと切っても切り離せない関係にあると言っても過言では無いだろう。そういえば今日、なんだかんだ初めて月見バーガーを食べた。ちょっとした記念日になりそうだがすぐに忘れそうだから、ここに残しておく。

 最近、少しセンチメンタルになることが多くなった。時間が余っているせいというのもあるが、とんでもない思考を巡らせてみたり自分の行く末を考えてみたりしていると楽しい半面、自分に対する期待値が下がっていくことを痛感する。この前、自分が経験した精神病について大学のレポートで言及したら学部長に呼び出された。再発する可能性があるということと、もし再発しても教員は味方で居続けるということを伝えたかったらしい。てっきり自分は思い当たる節のない罪を被せられたのかと心配していたので、案外大したことでもないなとか思いながら話を聞いていた。しかし、教授の気持ちになって考えてみたら話がしたくなるのも仕方ないことなのかもしれない。ただ、あの頃を振り返ってみても(個人的にはあまり振り返りたくないが)心の余裕がなさすぎたもんだと思う。受験が重なったり、自分の人間関係が分からなくなったり、あまつさえ存在意義について考えたりしていて思考に余裕がなかったことが主たる原因だろう。若干今も似たような状況になってきているとも思う。身近にいる人のレベルが高すぎて、自分がやっていることのしょうもなさに呆れる。一緒にいることは心の底から嬉しいしそれは本音ではあるけれど「げへへ、自分なんかがすいやせん」とか平然と思う。そこにあるのは謝罪の念ではなくて、少しばかりの嫉妬でそれが私を突き動かす原動力になっている。昔はよく未来の不安を感じており、今は過去の罪を懺悔している気分に陥る。どちらをとっても地獄みたいな生活だが、こういう暗くてジメジメしたような生活こそ自分の身の丈に合っているのかみたいなことを考える。幸いにも周りには自分の肯定感を上げてくれる人が多数存在していて、彼らには感謝を伝えても伝えきれない。だから彼らから嫌われたくないし、彼らのことを嫌いたくもないから自分を嫌いになって、周りの意見に流され続けることが個人的に合ってるのかなと思う。柳の葉が風に吹かれてサワサワと音をたてるみたいに。身の丈にあった生活というものは本当に難しい。日々、模索し続けてそれなりに精査し続けられたらなと思います。

 スズムシが外で鳴いている。今年の夏は蚊も少なかったから過ごしやすかったが、それと引き換えに恐ろしい暑さを経験してしまった。外に出ると、たまに焦げてるような匂いがしたけれどあれは何だったんだろう。個人的に7、8、9月は夏で10月11月は秋という認識でいいと思う。これから夜の散歩が増えるのが楽しみだ。


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