トップシークレット

 電車の車窓が歯車が滞った街を写していく。やけに遅い電車に乗りながらそんなことをふと思う。そういえばディズニーで買ったお土産がまだ残っているなとか、今日は何を食べようか、とか考えるこの時間は結構好きだ。片道1時間半の通学もさほど苦痛ではなく、ただひたすらに考え事に費やす。もしくは寝てる。電車の中には片手で数えられるくらいの人数しか乗っていなくて、彼らもまた寝てるか外を眺めている。謎の一体感が生まれつつも誰も他人のことに興味など持ち合わせておらず、精々下車するタイミングでチラッと見るくらいだ。

 秘密、と聞いてどんなものを思い浮かべるだろうか。誰にもいいたくないことや見せたくないもの、聞かれたくないものは割に存在する。私にとってこのnoteはトップシークレットと言ってもいい。最近になって漸く一部の人に教えることが出来ている。そもそも人に伝えるべきなのか、相手にとってそれはただの広告みたいなもので目には付くし知ることは出来るが大して興味もないのではないか、という葛藤も存在するけれど。ありがたいことに寧ろ褒められることも稀なことではない。「この表現が好きだ」とか「視点がすごい」など思ってもみなかった励ましをもらうことができ、モチベが上がる。まぁ、秘密を公表してしまったらそれは秘密として成り立たなくなりなんの変哲もない趣味として成立してしまうわけだけど。私がこのコンテンツを利用していることを隠していた大部分の理由として「変な目で見られるかもしれない」という一抹の不安があった。小学校の頃、自分が描いた絵をバカにされたり自分が書いた文章をバカにされたりして自分の作り上げるものは世に出してはいけないものなのだ、という認識が強くなった。否定されることはこわい。まっこと当たり前のことだが当時の私にとってそれは衝撃的な事実で、目を背けることなんて絶対にできない大きな問題だった。そのトラウマが根を生やし身体中を張り詰めていた。

 曖昧な言葉で表現することは人を無下にする。だから少しでも語彙力を増やしたいと思うし、言語化する能力を身につけたいとも思う。ただ、感受性が豊かであることは一種の不幸だ。元々生きずらさを感じている人が、人より情報を多く受けとってしまうと自我の崩壊に繋がりかねない。そして、豊かな人間は「豊かでは無いこと」を知らない。ワンピースで天竜人が奴隷の生活を知らないように、環境が良すぎてもそれらは欠損に過ぎない。そういった意味では、貧しい人の方が実は豊かであったりする。例えば、めちゃくちゃ幸せな時に何か創作活動をしたとしてそれは人の心に響くだろうか。私は今まで日陰で生きてきた人間なのでそうは思わない(無論、その逆の意見があったとしてもそれは受け入れるべきだ)。そのため、人間の本質はいかに貧しく泥臭く生きていけるかというところに表れると考える。

 先日高校の友達と外食に行った。定期的に集まって他愛もない会話をダラダラとしながら、気がついたら閉店時間が差し迫っているなんてことはザラだ。自分にとってこの時間は守るべき時間だし、それを奪われたらもうどうしようもなくなるだろう。当然、各々が抱える秘密はあるだろう。そんなものが関係なくなるくらい、ひいては秘密が秘密で無くなってしまうくらいの時間が築けますように。心の底から願っている。

 電車はとっくに目的地に到着し、駅のホームには冷たいアナウンスの声だけが残る。風が涼しくなって幾許か過ごしやすくなった。改札には誰もいない。もちろん、ホームにも。帰ったら何をしようか。


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