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「世界が平和になったら、何がしたい?」「平和なのは困ります」

 タイトルは、自問自答ファッション教室で『コンセプトについて考える』時の質問です。

 私が教室に参加した時にもこの質問がありました。ちなみにタイトル以外にも色んな条件があります。
 白状します。私はこの質問を本当の意味では受け入れていなかったのかもしれません。
 以下完全に自分語りです。

 自分のアイデンティティは『危機的状況で生き抜くこと』


 幼少期から二十歳過ぎまで、私は異様なまでに自信がなく、自意識過剰な人間でした。
 子供の頃の自分の見た目が『可愛い』方ではなく、周りに『可愛い』子と自分への対応が明らかに違う人が何人かいたのが原因だと思われます。
 私は自信をなくし、「自分から話しかけたら他の人も不快だろう」「この見た目でファッション誌なんて買ったら笑われる」とまで思うほど自意識過剰になり、挨拶もしない、いつもムスッとした、攻撃的な姿勢を崩さない子供でした。虐められてもいないのにこの考え!我ながらなんつう子供だ…。
 こんな対応をされた人は当然私に親切にする気も失せる。そして私は自信を失くす。完全に悪循環でした。
 そんなこんなで、私は「自分のことは自分で守らないと、周りに蹂躙されて消えてしまう」「この世界は基本的に危険なんだ」という意識がめちゃくちゃ強い卑屈な子供になり、そのまま成長しました。身体がそんなに強くなかったことも関係してるかも。悲惨なニュースを見聞きする度、きっと将来自分にも降りかかると思ってました。頭の片隅にずっと地獄があった。

 そんな人間にも福音があります。私には『危機的状況やトラブルが起きた時に対応するのがそこそこ上手い』という特性があったようです。
 「危険な世界を生き抜かなきゃ」という考え方との相性は…めちゃくちゃ良かった!最高!最悪!
 
私はそういった職業に就き、適性もあったので順当に実績を重ね、自信を取り戻していきました。
 成長して顔立ちが変わったのも大きかった。化粧とファッションを覚え、見た目にも自信を持つようになりました。
 他人にも親切に出来るようになり、攻撃的でもなくなり、自意識過剰っぷりがほぼ消えるくらいには回復しました。めでたしめでたし。

 …と思いきや、根本的には解決していないことが判明しました。サクセスストーリーじゃないのかよ。

 あきやさんからの冒頭の質問


 きっかけは自問自答ファッション教室です。
「世界が平和になって、お金にも困らなくなっても、やりたいことは何ですか?」
 私の回答は「普通に生きてたら見れないものを見に行きたいなあ。カオスだったり危険な場所の方がそういうのありますよね。」
 危険な場所って。平和になってないじゃん!世界!
 
あきやさんは「平和」って仰ってるけど、私は頭の片隅で「たとえ治安は良くても、みんな考え方が違う以上『違和感』がある地域はあるんじゃないかな」と思ってました。あきやさんの話はあくまで仮定の話なんですが…
 回答を見るに、これは「平和な世界になったら困ります」という意味にも受け取れるのではないか。教室クラッシャーか?勿論、現実世界で誰かに理不尽な不幸が降ってきてほしいとは微塵も思っていません。

 
なんでこういう答えが出たかって、私は自分のアイデンティティが『危機的状況を乗り越えること』にあるからだと思います。そういう仕事が自分に自信をくれたからね。
 手持ちの服も無骨なニュアンスがあるものばかり。『過酷な環境から私を守ってほしい』という願いが込められています。
 そしてこの考えには致命的な欠陥がある。
 私、これから先ずっと危険な世界に身を置かなければいけないんです。そんな環境では他人のことも信用できないし、一生安らぐ日が来ないんですよ。
 今は確かにそこそこの自信を持っている、でも「あなたは幸せですか?」と聞かれると、「違います」と答えるしかない。家族や友人以外のことを信用していないし、なんならそういう環境にわざわざ自分を置いているとも言えます。今の私の自信は『危機的状況を乗り越えること』『もしくはそれをもたらす仕事』ありきの条件付きなんです。

 旧コンセプトからこの調子なんです


 教室前の私の旧コンセプトは「上品で余裕を感じる、なぜか気になる妖精のような◯◯の女性」でした。◯◯には自分の職業が入ります。
 これは私の仕事の成功を前提としたコンセプトでした。

・今の仕事は適職だけど、もっと役職を上げて、見たことのない風景が見たい、使いっ走りで終わってたまるか
・(コンセプトについて)『なぜか気になる』『女性』は何かというと「お淑やかさをアピールして、ついでに自分に興味を持たせて職場に協力者を増やせば動きやすくなる」という意味合い。コンセプトを端的に表すなら、出世欲と、保守的な業界に馴染みきれない自分のコンプレックスです。

 ここ数年、「仕事で自分の信奉者を作りたい」「信奉者は人として問題がある人間の方がいい、そして私の社会的成功を叶えるために破滅してほしい」という思いがありました。
 自分を崇める人を集めて、私に協力してもらい、仕事で成功を勝ち取りたい。でもなぜか私は信奉者を蔑ろにすることが前提なんです。だから普通の人や良い人は信奉者にしたくない。「男尊女卑を地で行くような、差別的な人でいい。そして私が成功する過程で破滅してくれ。」いや、なんで?
 さらに謎なのは『成功』の中身が空っぽなこと。別に私には、他人を犠牲にしても成し遂げたい!みたいな具体的な野心は初めからありません。それでも『成功したい』という穴の空いた空洞の容器だけがある。

 初めは、映画に影響でも受けてるのか?我ながら痛すぎでは?と思ってました。そして自問自答を続けて解読を試みたところ、このイメージの実像は『私は他人から「あの人は価値がある」と思われたいけど、他人に好かれるほど自分に自信がないから、好意が薄っぺらく、気持ち悪く感じてしまう』『そんな気持ち悪い好意を持っている他人は破滅してもらわないと困る、私が自分に価値を感じることができればそれで充分』でした。
 恐らく元々こういう歪みがあった所に『何かしらの功績を残したい』が上手くはまって、野心として顕現してしまった。さ、最悪…。
 ただ、実際私に協力的な人がいるときちんと丁重に扱うことができました。やっぱり自分の肩を持ってもらえるのは嬉しい。みんな好きです。これが唯一の救い。仕事で自分に自信を持てていたからまともに対応することが出来たのだと思う。
 
昔はよく、他人に嫌な思いをさせられた時は自爆じみた復讐手段を取っていたけど、これも自分に自信がないことの現れだろう。肉を切らせて骨を断つ、みたいな。
 もうそういうことはしたくない。自分を痛めつけたくないし、相手にもそれなりの理由があるかもしれない。

 条件なしで自信を持ちたい


 自分の事を掘り下げていくにつれて、今自分に自信を持てているのは条件付きということが分かりました。でも私は危険な世界じゃなくても自分を認めてあげたい。穏やかに過ごしたい。ファブルか?
 仕事で成功したいという野心があったので、ここ2年ほどは不公平なオーバーワークにも耐えていました。
 しかし前記の野心のカラクリが分かったので「そこまで成功に固執しなくてもいいや」と肩の荷が降りて、生まれて初めて上司に異議申し立てをして負担を軽くしてもらいました。多少評価は下がるだろうが身体とメンタルを壊すよりマシだ。
 昔だったら、わざと心身ともに壊れるまで働いて、色んな診断書をバンバン提出するついでに上司の悪評もバンバン流していたかもしれない。でも今回の件は上司が極悪人な訳ではなく、色んな偶然が重なってこういう事態になってしまったことを私は知っている。それは私がやたらと卑屈にならずに周囲と向き合ってきたから。

 そして「まともに世界と接点を持ちたいな」と思うようになりました。いくら嫌な奴であっても他人を無闇に傷つけたくない。最終的には他人に何かを与えられる人になりたい。やっぱりファブルなのか?
 まずは仕事以外で自分に自信を持つところから始めるつもりです。
 ただ、何から手をつければ良いのか分からない!これ、30年かけて茹でた卵を生卵に戻すってことでしょ…?(30歳なので)
 気が遠くなってきたけど、死ぬまで時間はあるからちゃんと取り組めば半熟卵くらいにはなるかも。
 出来ることから地道にやっていこう。

 シン・コンセプト


 じゃあコンセプトを見直そう!やっとファッションの話に戻ってきたぞ。
 教室でのコンセプトは『活動的でラグジュアリーで自分が好き!いろんな価値観を広める見識のあるジャーナリスト』でした。
 この『ジャーナリスト』を入れたのは、危機的状況に立たされることが前提だからです。これをそのまま入れておくのは「私の『なりたい』は危機的状況ありきの条件付きです」と言っているようなものです。それは如何なものか。
 (他のJJGの方でジャーナリストって入れてる方はもちろん無関係ですよ!風評被害もいいところだけど、ここを正直に書かないとコンセプトを変えられなくてですね…)
 他に私がやりたい事ってなんだ?と考えると、私は暇さえあれば『脳の普段使っていない部分が刺激される感覚』を味わうために際限無く物事に手を付ける節があります。おいまた不穏な話になってきたな…
 ◯ボトミー的な話ではなく、「えげつない珍味や分子料理を食べたら口の中はどうなっちゃうのかな?」とか、「めちゃキツい登山ルートを超えてからいきなり絶景を見たらどう見えるのかな?」などなど、脳内物質を出すことに目がないんです。
 きっかけはナクヤムパンリエッタさんのこの記事。

 しかしこの活動を『職業として』コンセプトに置き換えると…何?出川?いや本当に何!?
 色々な経験をしてハイ終わり、では職業にならない。他のキーワード『いろんな価値観を広める、見識のある』と絡めると…個性的な体験を価値観と絡めて他の人に広める…記事を通して公表するのが現実的かな。じゃあライター?コラムニストか?どっち?
 ライターは基本的に自分の主観を入れず客観的事実で記事を構成することが活動の主旨らしい。ちなみにこの記事は主観まみれである。
 じゃあコラムニストで!

 『活動的で個性的で、自分も他人も好き!いろんな価値観を広める見識のあるコラムニスト
 シン・コンセプト、これで行こうと思います。
 
 新しく『個性的』ってワードを入れたけど、実は教室では『個性的』は嫌なワードに入れてました。
 この経緯はまた別の記事で書こう。


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