【裁判傍聴】被害者の将来を思うと残念でならない/過失運転致死/49歳男性

23/6/29 14:30開廷

令和5年(わ)第297号 過失運転致死 新件

起訴状朗読

 令和4年10月18日大型貨物で交差点に進入。左折方向の歩行者の安全確保の義務を怠り、20km/hで走行。被害者の自転車に衝突し倒して轢く。16:22ごろ北大病院で死亡させる。

被告人の経歴、心情

 高校卒業後、農業を経てトラック運転手になる。両親と同居。前科前歴は交通違反2回。

警察官の調書

 15:52事故現場に到着。救急隊と人だかりがあり、聴取を開始。運転手を聞くと被告人が名乗り出た。被害者は顔に変形、多量の出血があった。後続車両のドラレコの動画があり時間特定。

勤務先社長

 車両は毎日運行前に点検しており、事故車両も午前中に私が確認して問題なかった。被告人はその車を毎日運転しており操作は問題なかった。8:40に出勤しアルコールチェックはOK 。体調も問題なかった。経路は被告に任せていた。被害者はおじいちゃん、おばあちゃんと暮らしていると聞いていた。謝罪しようとしたが、当日になり「気持ちの整理がつかない」と断られた。
 今後は保険に入っているのでそれて補償する予定。私としては今後も被告に働いて欲しかったが、被告本人より辞表を受け取った。裁判の結果が出るまで保留にしている。

被害者の祖母の手紙

 被害者と暮らして15年。母親代わりのつもりで暮らしていた。高校でサッカーをしていた。1年生は部活一筋で、2年生からは回転寿司店でアルバイトをしていた。被害者は友達のいる学校が楽しみで充実した学校生活を送っていた。卒業後は就職の内定もあった。
 優しい子で私でも友達でも困っている人は助けた。自分をしっかり持っていた。友達が多く、学校、バイト先、スキー教室のみんなから愛されていた。
 当日は普段通り学校に行った。忘れ物を私、「いってらっしゃい」と声をかけたのが最後。前日、天気が悪く自転車を学校に置いて来ていた。15:45ごろに帰ってくると思っていた。ケータイに先生から事故の連絡が入った。容態を聞くと、「わかりません。北大に運ばれました」と教えてもらった。東京の母に連絡し、病院に向かった。病院に着くと「頭がぐちゃぐちゃになっており、処置が出来ず亡くなった。」と聞いた。検死のためすぐには会えなかった。先生に「会えますか」と聞くと、「いいですよ」と部屋に入った。ベッドに横になっている顔が変形しており、母には見せられないと思った。
 夜、布団に入ると被害者を思い出して泣いてしまう。外出もしなくなった。小さいころからずっと一緒だった。一緒に行った場所を思い出す。卒業旅行を楽しみにしていた。車の解体の仕事を楽しみにしていた。母親のすぐに駆けつけたが、まだ受け入れられていない。妹のショックも計り知れない。手紙と現金書留が来たが、受け取り拒否した。生きがいだった被害者を返してほしい。反省をして、しっかり償ってほしい。執行猶予をなしにしてほしい。

被害者の母親の手紙

 被害者と妹とはLINEでコミュニケーションをとっていた。誕生日には札幌に来ていた。アレルギーのないケーキを買っていた。学校行事もできる限り参加していた。東京にも来ていた。令和4年〇月〇日の誕生日に、高校を卒業したらこういう仕事をしたい。祖父母の家から仕事に通うと言っていたのが最後。
 亡くなってからは泣いてしまい寝れない。食事も摂れない。衝突音が聞こえたとき、すぐに車を止めて欲しかった。そうしたらこうはならなかった。私も車を運転するが、こいしや葉っぱを踏んでもわかる。
 子どもとの将来が失われた。その悲しみをわかって欲しい。学校の卒業式の弔辞と記念品を見てほしい。

被害者の妹の手紙

 兄は毎日友達を家に呼んで充実した生活を送っていた。迷惑だったけど楽しかった。急にポツンと寂しくなった。犯罪者のせいで寂しい。なぜ犯罪者がのんきに過ごしているのか意味がわからない。一生許さない。人望もお兄ちゃんのほうがあるのに。葬儀も100人くらい来た。運転するなら左右の確認しろ。自傷行為の回数も増えた。お兄ちゃんのことが大好きだった。

被告人の調書

 私は富良野の運送会社で運転手をしていました。富良野、札幌間の荷物運搬。AM7時に家に帰り7時間睡眠その後PM1時発で札幌に向かう。事故を起こしたのは、あと2kmで目的地というところだった。ワイン、ドライフレークを1,000kg積んでいた。車は1年10か月専用車として使っていた。左ミラーを見ながら左折した。巻き込み防止のミラーはあったが左ミラーを見れば十分と思い使っていなかった。事故当時、止まっていた時左側に歩行者がいなかったため左を確認していなかった。いつもはミラー、目視で確認していたが、その日はしていなかった。タイヤがゴトンといったとき縁石を踏んだと思った。ミラーに黒いものが映り、すぐに車を降りた。倒れてピクリとも動かなかった。周りの人が110番、119番してくれた。釈放され、新聞のお悔やみを見て手紙と現金を送ったが受け取り拒否された。私は今まで事故を起こしたことはなかった。20km/h出ていたのは間違いない。左ミラーを見ていなかったのは私の過失。見ていたら事故を回避出来たと思う。

被告人質問

弁護人質問

 言い訳はない。100%私が悪い。左側の確認が足りなかった。最初にぶつかったときにサイドミラーを見てたら気づけた。亡くなったのは高校3年生。志半ばで夢と希望にあふれていた。私の不注意で。遺族の方も楽しみにしていたと思う。このようなことになり申し訳なく思っている。遺族の方は毎日苦しい思いをされている。
 5月10日に免許が取り消しになった。その間も運転はしていない。もう大型に乗る気にはなれず自分から会社に断った。罪悪感から眠れず、一日も頭から離れない。

検察質問

 過失は左側の確認をしなかったこと。交差点までの間も確認していなかった。被害者の自転車にも気づかなかった。それまで2車線の右側を走っていた。交差点直前で左車線によったため歩道を見ていなかった。いつもは確認していたのに、なぜその時確認しなかったかはわからない。不注意だった。いつもより眠いとか考え事をしていたとかはなかった。ぶつかってからしばらく走行したのは縁石でも踏んだかと思った。死角に入っていたため少し進まないとミラーではわからなかった。タイヤで踏む前に自転車に当たったのは気づかなかった。なぜかはわからない。車のラジオで道路情報を聞いていたが、それに気をとられるようなこともなかった。被害者に気づいて駆け寄った時、すでにぐったりしていた。手の施しようがなく、救護措置はとらなかった。荷台の毛布で覆った。それくらいしか出来なかった。110番、119番は周りの人たちがしてくれた。私はパニックで状況が理解できず、会社と家に電話した。
 当日は一度も休憩はとっていなかった。昼食は出社前におにぎりと小さいカップラーメンを食べた。食後の眠気はなかった。
 遺族の手紙も読んだ、母の手紙を読み母親思いのいい子だと思った。祖母には就職も決まっていたのに残念だ。妹は強い言葉が使われていたが、もっともだと思った。学校の書類を読み被害者がほかの生徒からも人気があることがわかった。私の不注意で不幸な、重大な事件を起こしてしまった。申し訳ない。遺族は悲しい気持ちでいっぱいだと思う。遺族の気持ちを思うと心からお詫びしたい。自分にも両親と娘がいる。娘とは5年連絡をとっていないので、いまどうしているかはわからない。子どもを失うのは悲しい。許せない気持ちは当然だと思う。私が遺族なら極刑を望むと思う。
 被害者の将来を思うと残念でならない。そういう気持ちを忘れずに生きたい。今後、被害者の写真に手を合わせに行きたい。誠意を尽くしたい。


終わりに

 検察側の席には被害者の母親が座り、被害者の名前が出ると涙を流されていました。傍聴席でも声を押し殺して泣いている人が見られ、心が押しつぶされそうになる裁判でした。


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