森田涼太郎

太く短く生きるのがモットーってカッコいいからそうしたいけど、きっと俺は細く長く生きてま…

森田涼太郎

太く短く生きるのがモットーってカッコいいからそうしたいけど、きっと俺は細く長く生きてまうんだろう。 自己観測記録

最近の記事

自分の解像度と自信

 最近サボり気味だったので思い出したように更新する。 皆さんはどのくらいの解像度で自分の事が見えていますか? つまりはどのくらい自分の事を深く理解できていますか? 僕は最近になってようやく、自分自身を映し出す映像の画素数が少し上がったような気がしたのでこのノートを書こうと思った。 解像度やら画素数やら、ややこしいメタファーを使っているものの結局は自分の強みや弱みを具体性を持って理解できてるかという話だ。 自分も含め、なんとなく日々を生きていると意外と自分への理解は具体性

    • 塊を溶かす

       僕のnoteはいつもいつも超個人的精神世界をメタファーに落とし込んで書いているものなので、人によっては意味不明に思えるかもしれない。 でもどうにか、皆さんの想像力を信頼して好き勝手に表現したい。 僕は大阪でお笑い芸人をしている。自身に才能があるのかないのか、そんな事もあやふやなまま、ただがむしゃらに歩いてるつもりだ。 個人的な考察だが、人間の才能とは日本社会においていわば"不純物"だ。つまりは社会に溶け込む事が困難な異物であると僕は認識している。 その異物の塊は、その

      • 断面

        久しぶりにnoteを更新する。 この記事は完全に感覚的な話であり、他人に共感が得られるかは分からない内容だ。 いわゆる完全感覚note。dreamerみたいに言いたかったが、頃合いの良い表現が見つからなかった。 僕が思うに、人と人が関わる際には必ず大なり小なり摩擦が生じる。 人と人は、誰しもが持ち合わせている人間性をぶつけ合って関わるのだから当然の事だ。この際の、他者と触れあう精神的な接触部位を"人間の断面"と僕は表現する。 断面がギザギザしている人、カサカサしている人、

        • ヴィンテージ人

          僕は古着が好きだ。古着屋には色んな年代の服がある。その製造年代によって呼び名が変わる。 90〜2000年代 レギュラー品 80〜70年代  オールド品 30〜60年代 ヴィンテージ品 20年代など製造から100年以上経った物はアンティークと呼ばれる などなど、、 年代が古くなるにつれて物が残りにくくなるので古着的価値は上がっていく。 なので僕はヴィンテージと聞くとなんでも良い物に聞こえてしまう。 人間で例えると、、 僕は90年代生まれなのでまだまだレギュラー品だ。歴史的価

        自分の解像度と自信

          内臓と精神と比喩表現

           メンタルが弱い事をガラスのハートと言ったり、強いメンタルの持ち主を強心臓と言ったりする。僕らの中では心の位置は心臓にあるという事が既に常識みたいだ。  メンタルが丈夫な人は"ハートが強い"と表現される。つまりは心臓が強いってことだ。 なんで精神の強さが心臓に直結するんだ。比喩表現とはよく分からない。  あと、急な出来事にも動じない人を「強心臓」と言ったりもする。同じ意味の例えで「肝っ玉がデカい」という表現もある。 心臓が強い人間はもれなく肝臓が大きいみたいだ。肝臓が大きい

          内臓と精神と比喩表現

          正論は優しくない

          この世は正論に溢れている。 ここで具体例を出すととても偏った思想の持ち主のように思われそうだからあえて例は出さない。 大人は誰しも、心の中に2人の自分を飼っている。"感情的且つ衝動的な自分"と"冷静に正論を振りかざす自分"だ。 当然、"冷静に正論を振りかざす自分"はいつだって正しい。間違っているのはいつも"感情的な自分"の方だ。 衝動的に腹が立ったりした時に、汚い言葉を吐こうとしてみたり、最低な事を考えてみたりするが、"冷静に正論を振りかざす自分"がいつも諭してくるので

          正論は優しくない

          共感性知覚過敏

           自分で言うのもどうかと思うが、僕は共感性がすごく高い。 いわゆる共感性羞恥に苛まれることも多いし、その感覚も他人と比べると強度が高い気がする。 自身の共感性が高いと気づいたのは、自分の行動に明らかな違和感を覚えたから。 アーティストのMVを見たりすると、セリフはないがドラマ仕立てになっていてその内容がとても重い時がある。そういったMVを見ると、それに登場している人物の気持ちにのめり込んでしまう。 見終わった後も、登場人物と自分の心がシンクロした状態のまま物語の中に閉じ

          共感性知覚過敏

          重ね着

          僕は普段から私生活で関わる全ての他人に対して、一人一人に合わせて心に違う服を着せて接している。 「この人はきっと僕に対してこう思っていて、こういうキャラクターを期待しているからこの色の服を着て関わろう」と考えて一緒に居たり、はたまた違う人と関わる時にはまた心の服を着せ替えて接したりしている。 つまりは、他人に期待された人間像を演じて日々を過ごしている。きっと僕に限らずみんなそうだ。 僕は幼少期はまだ裸の心で過ごしていたと思う。特に着飾らずありのままの自分だった。 ただ、精神

          通だと思われたい

           僕は漫画やアニメ、特撮、映画等々の創作物を視聴するのが好きだ。 こういった人は世の中に非常に多いと思う。 だから僕が「〇〇の漫画が好きだ」と言った時に、僕も!私も!と共通の話題で盛り上がることも多々ある。そうなると必ず出てくる質問がこれ 「1番好きなキャラクターは誰?」 というもの。 ここで僕はいつも末端のキャラクターを答えてしまう。この回答次第でそのコンテンツの熟練度を推し測られている気がしてしまうからだ。いわば自己防衛的な意味合いが強いが、詰まる所「通だと思われたい

          通だと思われたい

          瞬発力とフィルター

          僕は吉本所属の2年目のしがないお笑い芸人だ。 なんとなく心にゲロ吐かせるためにnoteを始めてみた。 普段、相方や同期の芸人とやるラジオは楽しくあるべきだし、ディープ過ぎる心の吐瀉物を音声と共に披露してしまうとリスナーに悪影響を及ぼす恐れがあるので文章にぶつける事にした。 僕は瞬発力がない。ガッツも勿論ない。 だから、ライブコーナーで自発的に前に出る事は殆どない。見る分には1番好きな平場は、自分が立つと居心地が悪い。 向いてないって割り切るのは簡単ですが、それをする勇気はも

          瞬発力とフィルター