2024振り返り①(1~3月)

※この記事は私、スオシが書いた詩をただ一方的に褒めていく記事となっています。ご覧になる際は予めご了承ください。








このタイミングで、2024年(1~3月)の振り返りをしたいと思います。
今年既に20記事ほどの詩を投稿しているようで、昨年1年間の投稿数に迫る勢いだったので、思考整理も兼ねて、自分の頑張りを褒めていこうかなと思います(笑)。

今年の1作品目。めちゃくちゃ雰囲気の良い詩です。
この詩で言いたいのは、最後の方の「何でもないと感じたものすべてが
心の中に残っていく 物語として残っていく」ですね。

普段見過ごしがちな、どうでもいいようなことが意外にも『自分』というものを作っていく。部屋にただ座っているだけの日々でも、後々振り返った時に「ああ、あの時間は自分にとっては大切な時間だったんだ」と気付く。

この詩をたまに読むと、私自身が励まされることがあるんです。自分で作った詩で自分が励まされるなんて幸せ、だから詩を作ることをやめられないんです。


どの詩も私らしい詩となっています。
『蟻みたいな犬』というのは、具体的にどんな犬なのかは、まあ自分でもよく分かっていません(笑)。なんとなく犬を見てそう思った、ただそれだけです。でもそういうのが良いという感性は信じたいと思っています。

『カラマリ』とは、何がからまっているんでしょうか。自分でもよく分かりません(笑)。ただ、何かがからまっていたんでしょうね。

『不確実さ』に関しても同じかもしれません。ただなんとなく、こう書けば雰囲気出るかなと思って書いた感じは強いです(笑)。

何が言いたいのかよく分からないけど、抽象的な面白さがある詩が個人的には好きですね。はっきりと、直接的に言うのも気持ちがこもっていいのですが、読んでいて想像の余地がある詩が書きたくて、日々試行錯誤しています。


「肝臓の気持ちが分かる」とありますが、事あるごとにお酒に頼る自分が一番分かりたくないことなのかもしれません(笑)。いつもありがとう、私の肝臓。

ダークとライト。自分にはそういう2人の自分がいる。理不尽で法にも触れかねない『怒り』を抱えたダークな自分を、ライトな自分が押さえつけることでこの社会を何とか渡り歩いている。

しかし、ライト(光)というのは実はダーク(闇)から生まれるのであって、あるがままの自分を受け入れるには、最終的にはダークな自分を受け入れなければならない。

だから「ダークな俺の片翼である『怒り』の翼をもいで」しまってでも、『怒り』の翼の声を聴こうじゃないか。そうすることで、怒りを受け入れ、ダークな自分を受け入れることができると思うのです。
翼をもぐのは痛みが伴います。つまり、自分と向き合うのは時に痛みが伴いますが、それを乗り越えることで初めて心の底から自分自身を認めることができると思うのです。


これは私としては、ちょっと挑戦してみた詩といいますか、
少し短編小説風に書いてみた詩です(小説は書いたことがありませんが)。
挑戦することで新たな発見があり、そういう意味でこの詩は私にとっては印象深いです。

ゴミ箱を見て、この詩を書きました。
対照的に書くことを意識しすぎたかもしれませんが、徹底して真逆の運命をたどるも、どちらも最後は流されていく2つのティッシュについて、想像力を膨らませられたのはとても良かったと思います。

この後ティッシュはどこへ行き着くのでしょうか?私が知る限り、行く末を知る者は誰もいないらしいです。
「ちなみに、軽い言葉は水に浮き、重い心は水に沈むそうです。」



これ、一つ一つが面白い詩だと思っているんですが、なんか急に自信が無くなって、3つを1つの記事にまとめてしまったんですよね(笑)。『意味不明な詩シリーズ』もやっているくらいなので、別におかしな(?)詩を投稿するのは構わないだろうと思うのですが、まあ自信を持っていきたいですね。

「恐らくgood luck」は韻を踏んでみました。ただそれだけなのですが、日常生活でもふと口をついて出てしまう言葉です(笑)。

星を見上げていれば、自分がちっぽけに思うこともありますが、自分の小ささより宇宙の大きさに胸を打たれるタイプの人間でして、最近はまともに星を見れてないので、久々にゆっくり見たいなとこの詩を振り返って改めて思いましたね。


※『詩3篇』はもう一つ投稿していましたが、間違って削除してしまいました(泣)。評価してくださった方々、申し訳ありません。


まず、最初の「自分を肯定してくれるような公園でブランコに乗って一日を棒に振ってみたい」が最高に良いですね(笑)。

そして「思考回路は結露している 起きたら雑巾はびしょぬれだ」も最高に良い。

これは詩『何も』に通じるところがあって、無駄なことも無駄ではないというか、無駄なことをやって分かることもあるので、それを大事にしたい、ということなんですよね。

コスパ?タイパ?
いやいや、『無駄の妙味』もなかなか良いですよ。


私には憧れているアーティストさんがいて、その方々へのあこがれを素直に書いた詩です。私にしては珍しく直接的な表現が多くなっている詩だと思いますが、熱い気持ちを伝えたくてそうなりました(笑)。

音楽っていいですよね。毎日生きるので精一杯の時は、1日でも長く彼らの歌を聴いていたい、それだけで十分だ、と思うことがあるんです。だからそういう時は彼らの歌を聴くのが一番の幸せだし、その幸せを私はもう既に手にしている、これ以上一体何を望むのか?という気持ちに一瞬なるんです。

『幸せ』というのは、自分で妥協点というか、満足するレベルを決めておかないと、際限がないと思うんです。「自分はこれをすれば満足だ」というものを持っている人は最高だと思います。
そうはいっても、私も次から次へと欲は出てきてしまいます(笑)。彼らの音楽だけで十分だ、と心の底から思えるように自分に言い聞かせている、というのが私の弱さと言いますか、正直な所なのかもしれません。


出た!意味不明な詩シリーズ(笑)。
私の詩のほとんど(8~9割?)は、実はこういう詩なのです。
noteに投稿しているのは、その残り1~2割の「まだまともなやつ」(それでも上手くはないと思いますが)なんですね。

ただ、こういう詩を読んでると笑えてくるし、楽しい気持ちに私はなります。本当に何も意味のない脱力した感じの詩で、これぞスオシの詩、と言いたくなるほど、案外私の本音みたいなものが含まれていることもあります。

これからも意味不明な詩はちょこちょこ出していこうと思います。


雲の上→雲の下となるような構成にしました。
もっと言うと、法の下→雲の上→雲の下というように
上下に交互に方向が向くようにしたのが工夫です。

また、風来坊と風見鶏、
『風』の読み方が違う同じ3文字の言葉を並べたのも工夫です。

更に、全体的にリズム感も意識しましたが、こちらはなかなか上手くいかなかったように思いますね(笑)。

構成はシンプルだと思いますが、いろいろ工夫してみた作品です。
良い詩だと思います。


詩『ステージに立つ男』にも出てきましたが、こちらの詩にも『劣等生』という言葉を出しました。実は私は劣等生だったのではないか?劣等生だったのかもしれない、と思い、この詩を書きました。

しょうもない人間だろうと、天才鬼才であろうと、要は自己満足できればそれでいいということ。自分が最高だと思えればそれでいいということ。互いに自己満足できれば、そこに人間の平等性、普遍性を見出せると思うのです。
(私の自己満足=あなたの自己満足、つまり私はあなたと同じく自己満足していて自分が最高だと思っている、その心の満たされ具合は私もあなたも一緒でしょ?という風に)


この詩の題名が思いつかなかったので、最初の一行を題名に持ってきました。最高ですね。

「ミリオンビリオン~中学生に」までは、一気に書きました。
後は読んでみてください(笑)。最高の詩です。


(②に続く)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?