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大学について1

今月大学を卒業した。

卒業には5年かかり

5年かけて卒業した大学は

思えば自分が志望していた大学では無かった。


高校では割と成績がよく

模試では、いわゆる難関大学の判定は

常にAかBだった。

進路指導の先生からは

「学部トップで合格しろ」

と言われていたくらいだった。


しかし、センター試験、二次試験

共に結果がふるわず

滑り止めの私大に泣く泣く行くことになった。

文字通り、大泣きである。

逆転不合格に打ちひしがれていた私は

先生や友人から冷たい目で見られた。

浪人するメンタルもなかった。


入学してからも

いつ大学をやめるか、ということばかり考えていた。

しかしやめる「勇気」がなかった。

それは私の場合、やめることで親から何を言われるのか

というのが怖かった。

親の顔色をうかがいながら生きてきた私にとって

親との話し合い(=ケンカ)は何より避けるべきことだった。

アルバイトもやる気がしなかった。


ただ、せっかく大学に来たのなら

何か1つ「変わったこと」をしたいと

思うようになった。

そう思うようになったきっかけは、ない。

心が重い毎日の中で

偶然思ったことだ。

そしてそれは私の場合、中国語だった。

中国語を勉強して、留学して

中国各地を旅行することを目標とした。


中学の頃から、中国の歴史に興味を持っていたが

中国語という言語には全く興味がなかった。

しかし1年の春学期に第二言語で中国語を履修したことがきっかけで

なんなら極められるところまで極めてやろう、と

思うようになった。

そう思ったきっかけは、やはりない。

めちゃくちゃ悩みまくった中で

あるとき、ふとそう思ったのだ。

そうして中国語の勉強に打ち込むようになった。


しかし根本的なところは変わっていない。

志望校に受かった友人の話を聞くと

悔しさで何度も泣いてしまう。

教務課から退学届を取り寄せ

これを出せば これを出せば と

毎日退学届を出す脳内シミュレーションを繰り返した。

今思うと

何もかも忘れたいがために

中国語を勉強していたのかもしれない。

遊んでいる大学生を横目に

一日中中国語を勉強していた。

語学学習は決して自分のやりたいことではなかった。

中国語の勉強は、すればするほど難しくなる。

しかし、嫌いなことでもやり続ければいつか好きになるのではないか?

そういう思いにすがった。

それが、志望校に落ちた私の

大学で「戦っていく」ためにすがりついた藁だった。

(続く)


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