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辞めることは寝かせること

三日坊主はすごく良いことだと思う。

広く浅く、いろんなことをやってみて

飽きたら別のことをやる。

それはとても良いことだと思う。

なぜなら辞めることは「諦めること」ではなく

「寝かせること」だからだ。


何をやっても長続きしない。

計画倒れになり、中途半端になる。

ある意味完璧に物事をこなそうとすれば

物事の難しさに直面したとき

「果たして自分は、苦しんでまでそれをやり遂げたいのか?」

という気持ちになる。


好きなものなら、何も考えずにとことん取り組める。

しかしなんとなく始めたことにおいては

だいたい「思っていたことと違う」局面にぶつかる。

そして、辞めてしまう。

今日、明日、明後日と同じ行為を続けていくことは

すごく大変なことだ。


辞めることは、「諦め」だと思っていたが

最近それは違うのでは無いかと思った。

辞めることは「寝かせること」なのだ。

一旦どこかに寝かせておいて

味噌やワインを作るように

時間をかけて熟成させていくイメージ。


何かを辞め、新しいことを経験していくと

その辞めたことを客観的にみることが出来るようになる。

「日記を書くこと」は三日坊主の代表例だが

日記を書かなくなることは

「日記を書くこと」を「諦めた」のではなく

「日記を書くこと」を「寝かした」のである。

なぜ日記を書かなくなったのか?

日記と自分との関係を知らず知らずのうちに整理し

あるとき、また日記を書こうと思ったとき

以前日記を書いた時とは違った書き方、心境で

書くことが出来るはず。

それは「寝かした」ことで、日記を書くという行為の

深みが増した、ということである。


ここで話したいのは

三日坊主になるべきだ、とか

広く浅く物事に取り組んだ方が良いのだ、

ということではない。

1つのことを徹底して深く追究し、

嫌なことがあっても逃げず

完璧主義者の如く徹底して長く物事に取り組むことも素晴らしい。

(正直私は完璧主義者のタイプだ笑)。

私は、広く浅くでも、狭く深くでも

どちらでも良いと思う。

特に、飽きっぽい人はその性格に自信をもってほしい。

なぜなら「寝かせる」という過程をたくさん経験し

過去に行った多くの行為をより味わい深いものにする

チャンスがたくさんあるからだ。

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