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眠気との闘い(2023.12.25~27)

25日は月曜だったのでとうぜん出勤だったわけだけど、一方でクリスマスでもあったので、出勤前に重要なイベントをこなす必要があった…まぁそういう義務感で対応したものでは当然ないけど、要はサンタさんがクリスマスプレゼントをくれたことを娘と一緒に喜ぶという超重要かつエモーショナルな仕事があったわけだけど、まあなんというか、うれしかったです本当に。プレゼントが来たことが嬉しいとかでは当然ない(だって俺が買って/置いたプレゼントなんだからね)んだけど、娘が喜んでて、それを一緒に喜べることが嬉しかったというか。日常を奇跡にしてくれる存在がいてくれることがほんとにうれしかった。
26日は判決が3件あったんだけど、3件とも勝った。うち1件は相当筋悪で、確実に負けると思っていたんだけど、それすらも勝った。当該筋悪案件の判決の要旨はまぁ一言で言うと、申請主義なんだから、申請ちゃんとしなかった方(原告)が悪いでしょ、って論調だった。行政の助成制度等について、ある人が申請しない=当該人において当該制度は必要でないということであると推認するというスタンスは一つのスタンスとしてありうる(他のスタンスを排除するつもりはないが、少なくともデフォルトのスタンスではあるように思える)ところ、真に必要としない者に対し税金を原資とした給付を行うことのどこにも合理性を見出せないのであって、そう思うともともと負け筋と思い込んでいた自分の見立てにこそ問題があったんじゃないかという気がしてきた。案件をつぶさに見ると行政側に落ち度があったことは否めなくて、そういう細かい要素も含めて考えたときに敗訴相当だと考えられたわけなんだけど、とはいえ敗訴相当と考えたことのコア部分に、申請がなくとも行政側で一定程度寄り添った対応(=職権での認定など)を行う必要があったんじゃないかという発想があったことは確か。で、この発想は一見住民(弱者)へのきめ細かい対応として称揚されるもののようなんだけど、違う角度から見てみると、要は目の前の個別具体の市民の歓心を、目に見えない抽象的住民の負担によって買うということに他ならないのであって、悪くすると財政破綻とかへの道を開きかねない発想だと。まぁその意味で言うと、行政の責任というものを改めて自分の中で徹底ししていく必要があるなと思える。
27日は訴訟案件の進め方について事業担当部署の係長と話をする機会があり、まぁ一定の妥結を見たので良かったんじゃないかと思う。まぁでもこの案件についても、今うちの役所が取ろうとしている方向性が本当に正しいのか、疑問を持ち続けることは大事なのかもしれない。

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