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専門性のあるおっさんに認められるための闘い

今日は訴訟の関係で弁護士とかなり長時間行動を共にした。以前書いたけど今の俺の業務は調整が命で、その調整の主な対象として弁護士がいる。で、前提として俺には法的素養がほぼ無いので、そこ以外の部分で信頼を得るなりして調整を円滑化させる必要があり、その意味では今日のような、例えばお茶するとかで法を少し離れたような話を弁護士としうる機会というのはだいぶ重要だったんだけど…ほぼ話に入ることができず。なぜそうなったのかと分析するに、自分が当該弁護士から認められていないという認識が自分にあり、その負い目があるので法を離れたような話をすらするのをためらってしまったと。
この分析は正しいと思われ、当該分析を踏まえて今後どうするかと言うと、当該弁護士から認められるようになるしかない。しかし法的素養のない俺が弁護士から認められることなど果たして可能なのか?
この問いに対して俺は堂々と、可能である、と言い切りたい。というのは、訴訟における裁判所の判断というのは事実認定と当該事実に対する法的評価からなるところ、後者はともかく前者について言えば、時間と労力さえ惜しまなければ、法的素養のない俺が、法的素養に満ち溢れた弁護士がたどり着けない事実にたどり着くことができるから。だから要は当該労力をかけていく覚悟があるかどうかなんだよね。そして俺にはその覚悟がある…というか仕事に莫大な労力をかけることを厭わないことこそ俺の強みであるはずで、したがって今のシチュエーションにおいて俺の勝ち筋は見えてるということ。
逆に言うと、現職を2か月こなしてきた今の段階で弁護士の信頼を得られていないのは十分な労力を投入してこなかったから、要は怠慢だと言え、まぁ今その現状に気付けた以上は、明日から労力投入モードで頑張っていこうと。
ほんとに、〇〇の事実のありやなしやの確認で弁護士との打合せとかいくらでも中断するからね。そのタイミングで、その事実は乙◯号証に書いてあります、とすかさず言う。それを連発することによって、お、こいつやるやん。ってなりうるだろう。まずはそこを目指す。
で、今の話は事実認定のレベルに特化して整理した話だけど、もう少し法的議論にコミットする論点においても、労力を惜しまないことは強みになり得る…すなわち判例の探索とかね。つか他の弁護士とか部局の案件ならそういうようなことができたりもしており、要は今日の弁護士に対する苦手意識なのかもしれないけど…仮にそうだとして、結局それを乗り越えようと思えば信頼を得るしか無いと思われ、そうするとまた結局労力を投入していくしか無い話になるので、まぁ当面その方向で家庭を顧みず頑張ってみる…たま〜にね。

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