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2023.11.4

昨日は地域の飲み会で、まぁお酌のタイミングを常に気にしながらその場にいた感じだったけど、まぁ酒を飲めたので別に嫌な気持ちでもなく。会話にすごく関与したわけでもないんだけど、なんというか一定の存在感を出せたんじゃないかと思うし、ちゃんと動く人間だなと思って貰えたんじゃないかと勝手に思っており。職場の飲み会でもあの意識さえあれば、要はそれで主体的であると言えると思う。会話をちゃんとしようと思うと、相手があってのことゆえうまくいかないこともありうるんだけど、適時に適当にお酌するとかは意識さえしてれば普通にできることであり、それでいて一定の評価につながるので、気乗りしないけど行かないといけない飲み会とかはそれだけやりに行けばいいんじゃないかという気がしてきた。まぁけど飲みで嫌なのってそういうことじゃなく、自分が誰とも話せず一人になったりとか、そういうことなんだった。けどそれとて、「誰とも話せず一人になっ」てる人ってきっとその空間の中に俺以外にも一人や二人はたいていいるわけで、そこも結局お酌の話と同様、気遣いだけの問題(要は失敗を観念しえない)なんじゃないかという気もしてきたり。

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