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社会批評気取り(2024.5.19)

今日はピアノの発表会で娘と連弾してきた。昨日のリハでは娘は完ぺき、親父はぼろぼろ、という風だったけど今日は俺も完ぺき…に近い内容だったと思う。今朝出発前に娘と最後の練習をしたんだけど、その時に、渋る娘に対してむりやり嫁が練習させたような場面があって、まさにこういう現象を懸念して、やりたいとも言っていないピアノをやらせることに反対のスタンスをとってきたんだけど…、と思って、その点では改めてピアノ継続への疑義が生じたんだけど、ピアノの演奏終わった娘に、よく頑張ったね!って言える瞬間は好きで、それは俺にとってピアノ継続に向かう要素ではある…とはいえ、俺がその瞬間が好きである、というだけの話なのでその意味では文字通り親のエゴではあるわけだけど。

ピアノの前に読んだ↑の記事が気になった。これまでは質問を受けた際に「条文や過去の回答例を探す時間と手間が職員の負担になっていた」ところ、それらを生成AIに学習させ、「職員が質問を入力すると回答文とともに根拠条文を参照できるシステムを整えた」ことで、「生産性の低い業務の削減に一定の効果があった」とのこと。記事の中では、「生産性の低い業務=(回答作成そのものでなく)根拠条文の抽出」という形で整理されており、それだけであれば情報の整理で、整理がされていないことによってそれを探す時間がかかるとすれば(うちの職場で実際似たようなことは起こっているように思うけど)、まさに生産性の低い業務であって、それを削減できるのは手放しで称えられることだけど、それは情報の整理にすぎないので、生成AIを使わないとできないようなことでもないだろうし、また職場内の地道な改善の域を出ないはずのもので、こんな風にニュースになるようなものでもないと思われる。とすると生成AIを使う味噌、そして当該利用の真のニュースバリューは、「回答文が出てくる」という点に尽きると推測されるんだけど、本来であれば条文調べて、過去の答弁とか調べないと回答できないような質問について、調査を回避して他者(AIというツール)にぶん投げるとか、手抜き以外の何物でもないだろ。そういう調査を経て制度の理解を深めていく、それが制度の改善にもつながる、というはずのものだと思うんだけど、そういう性質を持つ(と俺は思う)制度に関する調査を「生産性の低い業務」と整理するとして、それを削減して真に取り組むべき業務とはいったい何なんだろうか…
ということを考えた。

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