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どっちの目線でみる?映画「LOVE LIFE」と「リコリス・ピザ」

「LOVE LIFE」 ぴったり☆の木村文乃さん、永山絢斗さん

感情豊かな演技をみるのがどうも苦手な私は、俳優さんが泣いたり叫んだりするシーンでは、画面から目をそらすことが多い。
この映画「LOVE LIFE」で主人公・妙子(木村文乃さん)が、おぼれた息子を見つけたシーンでも
これから始まる泣き叫び演技を覚悟して、目をそらした。
「あーー、、来るぞ、これは」と、体が固くなった。

ところが木村文乃さんが驚いて嘆く声は、びっくりするほど(私には)ぴったりだった。
派手な泣き叫びじゃない、でも物足りないわけじゃない。決してウソっぽくない、胸にグッとくる苦しさ、悲しさ。

続く葬儀シーンでもそれは同様で、喪主としてなんとか立っている、打ちひしがれて何も見ていない、心はここにない様子や
思いもかけないハプニングに泣き出し倒れ込む、その瞬間のプツッと糸切れた様子。
どれも派手じゃない、でも物足りなくもウソっぽくもなく、感情の塊がこちらの胸にグッとくる。

なんて(私にとって)心地よい演技をする女優さんだろうとびっくりした。
こんな悲しみ嘆くシーンで、心地よいと表現するのも変だが、、

永山絢人さんの画面内での在りようも、私にはぴったりだった。
複雑な感情を次々に味わっているだろう立場で、理性で平静と思いやりを保とうとしている、その様子には
主人公の旦那・二郎の人柄や生い立ちすら想像されて、それをまた永山さんご自身のお人柄にまで感じるほどだった。
この人の演技は過去に見たことがあって(南の島が舞台の映画だった)
あまりにも抑揚も存在感もない在り方に、こんな設定の主要人物ってある? 
もしかしてこの人、ものすごい大根?と疑ってしまったが
今回でその疑いは完全に晴れた。

他の役者さん達もみなさんステキな演技だったけど、とりわけこのお2人は
ステキ+私の心地よさにも、あまりにもぴったりだった♪

で。その上で
劇中、反射的に「いやそれアカンやろ」と感じたシーンがいくつかあった。
いずれも主人公・妙子の行動に抱いた違和感だった。

「LOVE LIFE」あらすじ、かいつまんで

この作品は、福祉関係で働く女性(妙子)が勤め先の男性(上司?)と再婚したが、
唯一の連れ子(敬太)を自宅内の事故で失い、
そのお葬式に現れた元旦那(敬太の実父で、過去に妙子のもとから失踪したパク。ろう者で現在ホームレス)と再会して
その元旦那の暮らしを、職業上お世話することになる、その展開を描いたもの。
現旦那(二郎)の存在がその展開に深みを与えていて、私はどちらかというと二郎の心境に共感した。

二郎の心情を想像してみるに

二郎の複雑な心境を(私の想像で)説明するとしたら以下のようになる。
妙子とパクの意思疎通は韓国語の手話で、その2人の会話に介入できる人は2人の周囲にはない。そのため2人きりの世界が生じやすい上に
なんといっても元夫婦、しかも失った息子の父と母という間柄。職業上のお世話とはいえ、それは親密なものとなる(もしくはそう見える)。
2人に疑いやイラだち、嫉妬を抱きながら、自身も福祉業界で働く身。
妙子のお世話ぶりは「支援者によくあること」もしくは「職業人としてあるべき姿」とみるべきか、その葛藤。
また自身も敬太を可愛がっていたため失った悲しみはあるものの、妙子のそれに比べるべくもないこと、その妙子の悲しみを
パクが自分よりも共有できるのではないかという恐れ
といったところだろうか。

特に妙子とパクの世界に入れない、そのことに怒りも示せない状況におちいるエピソードが秀逸で
こんなもどかしい立場でいながら、いらだちや焦りを抑えられる意志力と誠実さ、善良さがすごいと思ったし
なにより妙子への気遣いに満ちた数々のふるまいに感心した。
(元カノとの関係に関する感覚は、私にはまったく不明だが)

この違和感は、誰のもの?

妙子がパクを自宅や義理の両親の元宅に連れて上がるシーン
息子の事故をのり越えるために、パクに依頼したこと
妙子が元旦那に着いていくと決め、二郎をふりきるシーン
自宅に戻った妙子が自然体で過ごし、帰宅した二郎と何のためらいもなく会話するシーン
いずれにも私は違和感を感じた。

それは批判的な感情ではない。
妙子の耐えがたい悲しみも、今に至るまでの人生経験も私には推し量ることもできない深さとボリュームで、
ゆえに妙子の言動が私に理解できなくても共感できなくても、それは仕方ないことだから。
じゃあこの違和感はなにか。

二郎への同情のような気がした。
いや、それ、二郎があまりにかわいそう。二郎も頑張ってるんやから、メンツ立ててあげて?って感じだろうか。

私はこの作品を二郎の目線でみていたんだろう。
妙子のとほうもなく膨大で複雑な心境を理解することを、早々にあきらめて
(まだ想像しやすい)二郎の身に立ったのだろうか。

誰の目線でみるか、それをはっきりと意識するようになったのは「リコリス・ピザ」なる作品を見てからだ。

誰の目線でみるか、評価まで変わった「リコリス・ピザ」

15歳の少年と25歳の女性の恋愛を描いたその作品に、私は自発的に興味は抱かなかったが
ラジオのDJさんが手放しで絶賛していたり、情報誌に載る推薦文が不思議に熱かったりで
誰もが共感する甘酸っぱいラブストーリーとして、業界?の評判がとびきり良さそうだと感じた。

で。見終わって、さて?と。。
確かに見ている間、納得できなかったり消化できなかったり、淀みや 中だるみを感じることもなかった。
多分、とても精巧につくられているのだろう。
70年代の映画界も見事に再現されているらしく、その空気を知っている人達にはそれもたまらないんだろう。
でもラブストーリーとしてみると、私には、さて??という感じ。
どこでドキドキ、キューンとするんだろうか、と。

そこで考えてみた。DJさんは男性だったな。推薦文を書いていたのも男性だったかも。
そうすると、きっとその人達は15歳の少年の目と感覚でこの作品をみてたんだろうな。

私は25歳の女性として見てた。
自分は仕事しててパッとしなくて、家では3姉妹で恋愛も自分だけパッとしてなくて?結婚への焦りもあって?
そんなとき10歳下の中学生に言い寄られて
15歳にしてはこの子は賢いし、一緒にちょっとしたビジネスしたりできるけど、、肉体関係ももてるけど、、
でもなんなの? どうするの? 10も年下だよ? 一生ずっと一緒に居てくれるわけないじゃん
大人の世界に憧れてる少年が一時的に私を相手にしてくれてるけど、大人になったら離れていくよ とか。

そして女性目線でドキドキ嬉しい恋愛シーンも、作品中にはあまりなかったと思う。
何に胸ドキドキするかなんて、それこそ人それぞれだとは思うけど
じっと見つめられたり優しさを示されたり、うっとりするセリフだとか男らしさだとか
それらに一瞬、息がつまって キューンとする数秒の間(ま)とか。
そういうのは無かったと思う。

その代わり私の気付かないところで、15歳の男の子がドキドキ、キューンとする場面はあったんだろう。
きっと男目線でみたら、たまらなくいい恋愛映画なんだろう。

誰の目線でみるか、それだけで作品自体の評価も変わっちゃうんだ。
それこそが単なる好き嫌い、で済む話なんだろう。
でもそれってちょっと恐ろしいことだと思った。

誰の目線でみるかって大事だな。それを「リコリス・ピザ」で意識できたから
「LOVE LIFE」での違和感から、自分が二郎目線で見てたことに気付いた。

まぁ結論は、それだけになっちゃいましたけど。。

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