日本保守党の道徳講座!飯山あかりジャパンの誕生!
どうも百田尚樹の尖兵どす。
みなさんシコッてますかー!
というわけで、飯山陽が、選挙中におっさんに至近距離で怒鳴られたことを取り上げて針小棒大空騒ぎ!女の弱さを武器に得意の被害者ポジでまーた自己愛シコシコ芸やってるのでそれを解説しまーす!
さて、この事件、我らが百田尚樹総帥もご立腹!もし自分が近くにいたら、その男をボコって私人逮捕していたと勇ましく語る。
もちろん保守総帥にとって男のいかつい筋肉アピールは欠かせない!総帥はボックスとセックスの経験から、相手が20代の若者でも巨根で制圧可能と意気込む!
義理人情(コネ)!鉄拳制裁(リンチ)!これが保守の美学のようだ!
さすが我らがヒーロー!レディへの扱いもエレガント!
ところで、松本人志事件では次期日本保守党リーサル・ウェポン松本人志が筋肉を前面に女性を脅迫しレイプンに及んだとする証言がでている。
その信憑性については諸説あるが、松本人志が女性を呼んだ集まりがホテルで行われたことは事実だと発覚済み。
またこれと別件で松本人志はマッサージ店でのファック強要などの容疑も知られている。普通のマッサージ店で密室のなか筋肉をバックグラウンドに女性に性的サービスを恫喝する松本人志と、飯山を至近距離で怒鳴る奴(ドナルド)、どっちが恐怖であり悪質だろうか。
フッフッ ランランルー
もっとも松本人志の犯行は全て疑惑に過ぎないのではあるが。
しかし10件以上の類似の性暴力被害が訴えられており、十分に犯罪者の可能性があるだろう。少なくとも女性に対して品行方正な人間でないことだけは確か。
そんな恐ろしき男の筋肉と腕力、さらには芸能界での地位にものを言わせた芸能人の卵への暴力容疑はどこふく風!松本人志の誉れを絶唱、白羽の矢をたてたのは何を隠そう我らが英雄!百田尚樹総帥!ビッグマラ!
さらに、この英断を絶賛したのが、百田尚樹のイエスマン飯山あかり!
我らが孤高のヒーロー!
虚言によりアタオカ被害者ポジをとり、十八番の判官贔屓を演出!
われわれヨウブンズからスペルマネーをフェラーリするイスラムの怪物!
女性というステロイドと淡白質を欠いた自分が筋肉~な男に迫られる恐怖をヒステリックにがなりたてる戦慄のイスラーム!その迫力はさながらである!
どうも剣道歴があり武道の嗜みはあっても男は怖いらしい。
なんというかこの人、なにかにつけ被害者アピールであたしかわいそう!みたいなことをしょっちゅう言ってる印象があり自己愛が滲んでいる。
お分かりだろうか、今だけ金だけ自分だけ、自分と関係ない女を筋肉で恫喝してようがしてなかろうが関係なしの興味なし、ところがどっこい、いざ自分や身内が少し筋肉に怒鳴られただけでリンチ宣言!
クーッ!わしラブ100%!
百田尚樹総帥の男の美学!それはわしらの身内ではない女は筋肉や権力でせまって、恫喝してなんぼやで!ということだろうか。
じじつ、百田尚樹総帥は権力によって女性にしつこく性的関係をせまるパワハラレイピスト箕輪を絶賛しコラボまでしている。ちなみに箕輪は犯行を認めているので疑惑ではない。
狂気のダブルスタンダード!
このスタイルは日本保守党最高ビューティーに君臨する美の女神、ナチュラルビューティー亭アリモトにも通じる。
というのもビュー亭アリババは、百田尚樹総帥がシャンペン勃起のトライベイを言論調教している最中、横やりを入れているからだ。
なんでも三浦勃起は安倍ホモの会で我々に対してしおらしく頭を垂れていたので目溢しすべしということらしい。これがビューテー!
この発言はもちろん欧米では意味不明であり義理人情文化の日本に固有だ。
アリババの言い分を要約しよう。
三浦勃起は我々に媚びたから義理がある。我々のコネでここはスルーしてこの問題を報じるのはよそう、ということだ。
よって公の発言について私的な私情を挟み込み、目溢しせよ!とのお達しである。
なんということでしょう。これが数多の文化人類学の研究で示される日本式道徳、公私混同(義理人情)!
つまりロービーイングや賄賂といった汚職によるコネ(義理人情)があれば、公私混同して癒着オッケイ、天下り上等!ということだろう。
すばらしい政治理念である!
このような義理人情型の政治を根源にもつために、松本人志を絶賛しつつ、イイヤマンの被害に発狂というダブルスタンダードが可能となっている。
そしてこのような義理人情スタイルの理念、これこそが百田総帥お得意のザーメン政治の真骨頂!
ここではイエ社会としての日本文化からこれを鳥瞰してみせよう。
まず日本は母性原理であり、母子一体が文化規範となり、天皇家の公私観にまでそれが及び、国体を形成する。
そのために兄弟同盟(ヨコ連帯)より母子一体(親子の縦連帯)が人間関係の中枢となる。
したがって日本では師弟関係が強い仏教文化から丁稚制度にまでタテの連帯が形成される。
よく武井壮みたいな学校の先公に媚びるチンカスが多いのも日本のしきたり。
ちなみにマルクス主義は労働階級闘争において労働階級というヨコの連帯によって、親(資本家)を殺すモデルとなる。
これは一神教文化に特異的な構造だ。
いわゆるエディプスコンプレックスも兄弟同盟によって父を殺すフロイトの神話からなり、いかにも西洋的である。
そんな西洋と対照的な母子一体の日本文化では言語より言語以前の感情が優位で人間関係もどぶ臭くなる。
義理人情とは兄弟同盟的な言葉による契約とは根本的に異なるからだ。
義理人情は言葉の背後にあるもの、言語外の直接的な感情の相互感応にある。
さてそもそも言語とは何か、それは三人称性につきる。
言語が三人称性つまり客観性をもつからこそ、言葉は当事者を越えた第三者にもその意を伝達可能となる。
でなければ言語は伝達ツール、コミュニケーションツールとして機能しない。
よって言葉とは母子の直接的一体化を禁止(性的禁欲)し第三者の視点でその言語的意味を構成する父の禁止をベースとする。
ここで父なる神とは第三者の視点、三人称の比喩である。
したがって母子関係が強く分離が弱い日本文化あるいは日本語においては無媒介の共同主観的な要素が優位となる。そしてこの無媒介の共同主観が義理人情を構成する。
日本文化が古来より性的多様性に富むのも分離=性的禁止や規範化が弱いため。
だからそれは本質的に言語外の直接性に通じるのである。したがって言葉による契約によって兄弟同盟をなす西洋と違って日本では母子一体の義理人情によって自他未分の空気=共同主体としての公へと帰依する生き方が主流となる。
ここに日本文化を構成する滅私奉公や死即生の本質もある。
あるいは日本語で人間を人の間と書くことの理由もある。
間とは自他の分離以前の一体性の場所、個々の主体は自他未分の間(共同主体)より出立して個々に分離し、後に間は人の間と呼ばれるようになるというわけだ。これが人間を人間と書く理由。
ちなみに欧米における人間とはインディビジュアル(個人)という言葉に集約され、これは分割不能の最小単位としての人間を示す。分離がアプリオリであって初めから分離済みの自己と他者が、後から関係を結ぶと考えるのだ。間より自他が析出すると考える日本とは真逆と解るだろう。
ともあれ、感情が優位となるために、日本ではそのつどの今が決定的となる。今この瞬間の情動に振り回されるといってよい。
言葉による契約(法律)では、過去から未来への不変にして普遍の一貫性が要請されるわけだが、言語以前の日本の義理人情ではそのつどの心理的な接続体験としての情の喚起が要請される。
それゆえ、場当たり的となり流されやすくもなり、現実の関係が途絶えるといっきょに心理的疎遠となる。つまり定期的にあっていないと縁がきれてしまうわけだ。
ちなみに欧米では10年疎遠でも、それで情が薄れることはない。言葉の契約(同一性)によって互いの関係が保存されるため。
百田政治がそのつど今の思いつきで場当たり的に前後相矛盾することを、その矛盾について無自覚に乱発するくせもここにある。当たり前だが適宜、前言の撤回は重要であるがそれは場当たり的なものであってはならない。
小学生向けに少し難しい話を避けて説明すると日本文化と百田政治(ポストモダン)の関連はこんなところだ。
まとめよう。日本では母子関係の縦優位の義理人情がベースとなるために、公私混同がおこる。
つまり公は共同主体としての空気であって、私と公が言語を介さずに直接につながるため公私が一体化し、安易に公私が混同する。
さらに二者関係が優位で言語的三人称性が希薄となるため、自分たちと直接の関係がないもの、他人は殺されようがレイプされようが関係がない。
よって感情的な繋がり、身内だけが全てとなる。旅の恥はかきすてとはこのことを示す。
これによりビュー亭アリババの三浦勃起には義理があるから公的な発言で目溢しせよなどという公私混同の癒着宣言も起こる。
また百田尚樹流の飯山事件簿におけるダブスタも可能となる。
このようにいうと日本文化批判かよ!
欧米コンプのハイカラ野郎!との謗りを受けるかもしれない。
しかしことはそんなに単純ではない。
結論だけを示せば日本文化の最奥にある共通感覚、共同主体性がもつ他者性の引き受け(死即生)、これを取り戻すことで、翻って西洋的な理性の獲得と止揚がなされるのである。
一神教より根源的なアニミズムにおいて一神教の止揚ありといえる。
ポストモダンとはつきつめれば一神教そのものの幻想による自壊に他ならない。
このメカニズムの解説はもう中学生レベルになるので割愛する。
さて、被害者アピール姦しいオナニー候補、崇めようではないか!
これこそが総帥の究極シナリオなのだから!
百田尚樹総帥はこれらすべての理を完全掌握し、全てを計算によって演出、低知能な愚民どもを勃起の桃源郷へとメスイキさせるショーを開幕した!
そして序曲ははじまった!
第一楽章、序、ハッテンドー69、安倍マラオの死!ヘンズリキング百田尚樹の登場、恋のオナニーゲーム!狂喜の性治家デビュー!
すっかりマスを書き忘れていたが、闇のクマとかいうゴキブリがいる。
このアホ、さんざんぱら百田尚樹総帥をオヤビンと呼び、自らをコビンアピールして総帥の威光にすり寄ってきた俗物。
そんな俗物ゆえ、自民党幹部にチンシコされるや百田総帥を裏切り、批判を開始する。
もちろん闇クマがオヤビンと呼んだのも縦の親子関係で紐帯する母性原理ゆえ。
しかも最近、自分と百田はウィンウィンの関係であり対等だったとか抜かしているようだ。
バカだろうか?だったら親ビン呼びと矛盾するだろう。てめぇで勝手に子ビンアピールをさんざんぱらしてきて対等風が通るとでも思っているのだろうか?
ちゅーわけで闇クマのそのつど今の義理人情でコロコロ変説するところも日本の義理人情的である!
よく闇クマについて義理人情への裏切りとの批判があるがこれがとんでもない的外れな批判だと解るだろう。義理人情は持続性がなく刹那主義的な自己関係に特徴されるのだから鞍替え、裏切りは基本である。
さらにゴシップ系YouTuberオバKAZUYAの自分と百田は対等宣言も母性原理の典型である。
一聞して親子関係でなくヨコでつながろうとしてるかに聞こえるがこれをプエルノイローゼという。
つまりKAZUYAはかつてホラの門ニュースにキャストされ多額のギャラを受け取った。
しかし彼は事実としてあまり数字に貢献せずそればかりか野党議員のツイートの誤字を取り上げてバカにし笑うという情報番組の信用を大きく毀損する企画を持ち込む。
ちなみにキャリア初期にはテレビにも出たがまともに話せず即消え。
昔から、できない仕事を引き受けて、ずっこけてギャラ泥棒し悪びれないアホである。このアホ、さんざんぱらマスゴミを叩いたあげく当のマスゴミの仕事を引き受けズッコケてるわけだから真性のバカだろう。
仕事として引き受けたからには、その要求に応える義務があり、果たせないならその仕事は受けるべきではない。実力不足で期待を裏切り番組の沽券を貶めたあげく、ギャラだけくすねて、どの口が対等だと抜かすのか。
KAZUYAは他にも多くの発言がダブスタや論理矛盾に満ちているが界隈が知的障害しかいないので、つっこまれずに済んでいる。こういうバカを政治世界から追放することなしに民主主義の再生はありえない。
そしてKAZUYAお得意のゴシップと政治の混同、これもまた日本的な公私混同のなせる業なのだ!
ちなみに保守党でいえばイイヤマンと池ちゃんマンとの熱いゴシップバトル(私)がいつのまにかイスラエルの政治問題(公)に短絡したのもこの一例である。
また闇クマの件といい親子関係で繋がる日本保守党においては将来的な政治腐敗も予測される。
つまりどこぞの民間企業の幹部が百田総帥のチンコ、しゃぶらせてもらいまーす!と2億ばっかしスペルマネーをぶっかけた場合、ビュー亭アリババあたりが心得てるじゃなーい!便宜はからせていただきマスかきー!とあいなる可能性も否定できなかろう。
政治権力には誘惑が多い。三浦勃起のストリップ外交をなんなく躱した天才百田総帥は、この先にひかえる喜び組の誘惑にしゃぶりつく算段なのかもしれない。
国家権力に味を占め、自我肥大(インフレーション)を起こす可能性も否定できない。
ちなみに百田総帥は闇クマの前にも舎弟として可愛がっていたアホめの飼い犬YouTuberに手をかまれている。
日本保守党万歳!
崇めよ!飯山ボッキを崇めよ!
このようにいうとこの日本保守党急進派の僕をアンチと誤解される方がいるかもしれないのではっきりさせておくと、僕は百田尚樹の狂信者であり日本保守党カルトである。
少なくとも日本保守党は完全に腐った自民党よりは日本をよくすると思っている。
さらに現状の知名度のある政党の中ではもっともバランス感覚のまともな政党かもしれないとも思う。
考えることをやめない限り、人も政党も暴走することはない。だから党首が問い考え続けているあいだは安全なのだ。
逆に思考停止した政党は全体主義に陥りナチス化する。
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