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書けなかった5年日記

20歳くらいの時、5年日記をつけていたのだけれど
書かなくなってしまったことを唐突に思い出した。

5年日記というのは、
例えば今日、12月21日だったら1ページに
5年分の12月21日の出来事を記入できるようになっているというもの。
ほんの5行くらいしか書くスペースはないのだけれど、
毎年そのページに戻ってその日の出来事を書く。
ちゃんと5年間書けば、5年分の今日を振り返ることができる。

3日坊主の私が、結構楽しんで半年以上は続けていた記憶がある。
5年日記などと言っておいて半年しかやっていないのなら
3日坊主も同然では?と感じるかもしれないが、普段3日坊主の私からしたら快挙だ。
そんな中で書かなくなってしまったのには理由がある。

それは大失恋だ。

そもそも日記をつけ始めたのだって、彼との思い出を忘れぬように、来年も再来年も思い出せるようにと書き始めたものだった。
それなのに私の毎日から彼は消えてしまったのだから、書けるはずもない。
それに半年後ページを開けば、まだ仲良く、楽しく過ごしていた頃の事が書き綴られているに違いない。
それに耐えられる気がしなかった。
だからそこで日記は途絶え、1年前の今日を振り返ることすらできなかったな。

もし、あのままきちんと書き続けていれば
5年目の最後の欄を埋めていたはずの頃だなと
なぜか急に思い出したのだ。
その日記も実家に置きっぱなしだし、
また開く勇気もないけれど、きちんと書いておけばよかったと思った。
たしかに大失恋をして、とても辛く悲しい日々もあったけれど、友達や家族とのかけがえのない時間もそこに存在していたし、今はきちんと思い出になって、乗り越えて、前を向いている。
そこに至るまでの毎日をちゃんと記録しておけばよかった。目を逸らさずに。
しかもこの5年間はあまりにたくさんのことがあったのに
何にも残っていないなんてもったいなかったな。

たくさん遊んで、学校を卒業して、就職をして、友達と笑い合って、また恋をして、友達とぎくしゃくして、また学校に通って、転職をして…また恋をして…(?)
こんなに愛おしい毎日があったのにな…

2024年からまた、5年日記に挑戦してみようと思う。
これはこの宣言の為に書いたみたいなものだ。
きっとまた、5年間の間に目を逸らしたくなるくらい辛い出来事もあるかもしれない。逃げ出したくなるかもしれない。それでもひと言だけでもいい。とにかく明日に繋げてみようと思う。
毎日明日につながれば、1年後、2年後、5年後の私が生きる希望にきっとなると思うから。
どんなに辛いことがあっても、過去になってみたら、
いつだってキラキラと輝いて、戻りたくなるくらい尊い日々だったと思えるってこと

今の私は知っている。

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