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「強い女」になりたい私は孤独がこわい

突然だが私は、大体のことは受け入れられるし、打たれ強い女だと思っている。

今まで(特に最近)、金銭的にも精神の余裕的にも
ピンチが度々訪れているが
「まぁどうにかするしかない」と
悲観することもなく突っ走ってきたし
それすらそれなりに楽しめるタイプだと思っている。

だけどそれは私自身が「そう思い込んでいる」だけなのではないかと最近考えるのだ。

私が幼い時に両親が離婚しており、
私には父の記憶なんてものは本当に朧げでほぼない。
母が女手ひとつで育ててくれた…わけではなく
おそらく環境にかなり恵まれていたのだと思うが
小学5年生までは母と祖父母と暮らし、
以降社会人になって一人暮らしを始めるまでは、
母と、叔母(母の妹)と3人で暮らしてきた。

祖父母はいろんな経験をさせてくれたし、
母と叔母、母親がずっと2人いる感覚だった。
ひとりっ子なのもあるが、周りの大人たちがたくさん可愛がってくれたなと今でも思う。
周りの大人たちに恵まれてはいたが、
それでも母にかかるプレッシャーはとんでもないものだったと思う。
金銭的にも精神的にもずっときつかっただろうなと…
決して裕福ではなかったが、それでも私は大した苦労をする事もなく、大人になれたのだ。

そして叔母は、母と意見がすれ違ったり、
うまくいかなかったとき、
どちらの味方につくわけでもないのだが
いつだって外に連れ出してくれる、ヒーローみたいな存在だった。
今思うと、ずっと一緒に暮らしていたけれど、母の教育方針には決して口を出さない、そんなところもかっこよかった。

私の身近にはこうして強くてかっこいい女が2人もいて、
気付けば私もずっと「強い女」を自然に目標としていたのだ。
いつだって「強い女」でいたいと思っているし
それが私の人生の指針になっていた。
自立していて、1人でも生きていけるそういう女でいたいと。
だけど、1人でも生きていけるようにと
備えれば備えるほど、進めば進むほど、孤独がこわくなる。

「強い女」でいたいというこの想いが、私を苦しめているのではないか。

だからといって、
この指針を失うのもまた、同様にこわい。
ひとつも答えなんて出ていないのだが、そろそろ人生を見つめ直すタイミングなのかなあとぼんやり考える。

こうありたい人物像を焦らず見つけていきたい。
まだまだ人生は長いのだから。

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