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フリマアプリ小説(育休主婦美佳編)第二話『禁止されているもの』


 美佳は法事に出席することになり、産前に着ていた黒のフォーマルウェアをクローゼットから取り出した。幸い、数回しか着用していなかったので毛玉もあまり出ていない。しかし、美佳はため息をついた。産後に体形が大きく変化していたため、妊娠前に着ていた服を着るのが怖いのだった。だが、今手元にあるフォーマルウェアはこれくらいしかない。もし服が入らず、洋服を買いに店へ行くことになり、子どもを連れて試着室に入るなど、できれば避けたい。何度かためらった後、必要に駆られて恐る恐る着てみた。一番懸念していた腰回りも引っかかることなく、案外するすると服が入り、安堵した。産後ダイエットを意識していたわけではなかったが、産んだ直後よりは体重が落ちていることを実感した。美佳は、産後やつれかもしれないな、と思い苦笑した。法事のためとはいえ、赤ちゃん連れで外出するのは気が重かった。娘を外出させるための荷物は最低でも、ベビーカーに抱っこ紐、哺乳瓶数本、固形キューブになった粉ミルク数袋、お湯と湯冷ましの入った水筒各一本ずつ、おむつ数枚、おしりふきシート、おむつ替えシート、使用済みのおむつを入れるための袋、着替え数枚が必要である。しかも、娘は家以外の環境に置くと、突然泣き出したりぐずったりするので、親戚や店にいる他の客などに気を遣わなければならない。法事のあいだ、おそらく美佳は半永久的に娘をあやし続けないといけないだろう。食事の間も落ち着いてご飯など食べられるはずがない。親戚に会うのは楽しみだったが、行きたいかといえば、噓になる。だが、親戚は皆美佳が育休中であることを知っているため、欠席するという選択肢はなかった。

 当日、美佳自身は先のフォーマルウェアに身を包み、娘にはあらかじめネットで購入しておいた黒っぽいベビー服を着せた。アプリで呼んでおいたタクシーに乗り、法事の会場である日本料理店に到着した。玄関の札に書かれた『成瀬様
 法事会場』の文字を見て、店を間違えていないことを確認した。

 美佳たちが案内されたのは個室の座敷だった。今日来るだろうと思われた親戚のほとんどが既に席についていた。

「美佳ちゃん、久しぶりねえ」

 美佳は娘を抱きかかえながら軽く会釈した。手招きされるままに席に着くと、右隣に美佳の実母である真知子、左隣に美佳の祖母の姉が座っていた。娘を料理店が用意してくれていた籠ベッドの中に寝かせると、親戚の女性陣が集まってきた。「小さいわね」「かわいいわね」などと言いながら代わる代わる抱き上げていた。その間は娘を見てもらえるので、ありがたかった。

 全員が会場に到着し、乾杯の音頭がとられた。乾杯の後、娘の様子を見に美佳が立ち上がろうとすると、伯母の佐知子(さちこ)がそれを制した。

「美佳ちゃん、毎日赤ちゃんのお世話大変でしょう。普段ゆっくりご飯食べられてないだろうし、今日は私が見ておくから安心して食べなさいね」

 佐知子は美佳の娘を抱き上げながら微笑みかけてくれた。美佳は涙が出そうなほど嬉しかった。目の前に一つずつ大きな漆塗りの箱が置かれた。中には懐石料理が入っていた。蓋を開けると、刺身、煮物、酢の物などが小鉢に入って並べられていた。野菜の煮つけはまだ温かい。それだけでもとても感動した。美佳は、娘が生まれてからというもの、温かい状態で食べるべきものを温かいうちに食べられた覚えがなかった。だが、美佳が一番食べるのを楽しみにしていたのは刺身だった。鯛の刺身にワサビを少量付け、醬油にくぐらせて口に入れる。妊娠中は母子感染が怖くて生ものを食べられなかったので、刺身が食べられる幸せを嚙み締めた。美佳は食事が一段落した後、娘が心配になり佐知子のほうを見た。娘は眠ってしまったらしく、籠ベッドに寝かされている。佐知子もいつの間にか席について食事をしていた。美佳は、手が変わっても、赤ん坊は案外落ち着いて眠るのだと発見した。

「佐知子おばちゃん、娘を見てくださり、ありがとうございました。おかげでご飯を味わって食べられました」

 と美佳が礼を言うと、

「こちらこそ、赤ちゃんを見させてくれてありがとう」

 と佐知子が言った。美佳は佐知子に心から感謝しながらも、もし将来娘に子どもができたときに佐知子のように対処することができるのだろうか、と不安になった。美佳の中では、まだ赤ん坊の存在が厄介だという気持ちが強い。

「美佳ちゃん、赤ちゃんとの生活はもう慣れた?」

 はとこの夫が少し離れた席から話しかけてきた。

「まだまだです。産んでから三か月も経っていませんし夜泣きもひどいんです」

「そうかあ」

 はとこの夫はそれだけを聞くと興味を失った様子で、自分の食事に視線を戻した。美佳は、はとこに三人の子供がいることを思い出していた。三人の子供の父親。この人は子どもがいるけれど子育てに積極的に関わったことのないのだろうな、と想像した。真知子が祖母の姉に話しかけた。

「美佳はね、今フリマアプリで副業してるのよ」

「フリマアプリねえ。私は使ってないけど友達が使ってるって聞いたことあるわね。美佳ちゃん、儲かるの?」

 祖母の姉がデザートのメロンを食べながら美佳に聞いた。

「もうやめてよ、ママ。副業じゃなくて趣味よ」

「でも、結構売れてるんでしょ」

「まあまあよ」

「売りたいものがあったら美佳に声かけてやってね。すぐに出品してくれるから」

 真知子はにやにやしながら話した。美佳はそんな母の態度にいらつきつつも、

「うん、もし売りたいものがあったら言ってね。副業じゃなくて趣味だから、売り上げは全部渡すし」

 としっかり付け加えた。実際、美佳は売れたものを発送する生活をほぼ毎日送っていた。取引件数は百件近くなり、フリマアプリを使って不用品を売ることは既に生活の一部となっていた。

「あら、美佳ちゃん、そうなんだ」

話に食いついてきたのは、意外にも美佳の従妹の亜美(あみ)だった。亜美は美佳より六歳年上の専業主婦である。数年前に結婚したものの、亜美にまだ子どもはいない。

「主人からマッサージ器をもらったんだけど、正直使ってないのよ。部屋にあっても邪魔だから、美佳ちゃん売ってくれないかしら。お金はいいから」

「あ、そうなの。お金がもらえるなら助かるけど、いいの?」

「うん。いいわよ。私も本当に助かる。他にも売れそうなものがあるかもしれないし、今度まとめて送るね。美佳ちゃんの家の住所教えてちょうだいよ」

 その場で美佳はスマホを開き、亜美にLINEで住所を送った。

「また送るね」

 亜美はそう言うと、軽やかにほかの親戚との会話に戻っていった。


後日、亜美から段ボール箱が届いた。中には亜美の言っていたマッサージ器の他にタグのついた服や通販番組で買ったと思しき健康食品なども入っていた。美佳は亜美にお礼のLINEを送った。     
早速、段ボールが届いた当日、娘の寝ているすきに、亜美のくれたマッサージ器を出品することにした。出品にあたって、過去にどのくらいの値段で取引されていたのかを調べてみることにした。すると、七万円近い値段で売られていたので驚いた。正規品だといくらなのかと思い、箱に書いてある商品名をウェブで検索した。公式サイトには高級そうな商品の写真がずらりと並んでいた。マッサージ器というよりも美容機器に近いようなものが多い印象を受けた。亜美のくれたモデルは売れ筋のようで、定価が一〇万円以上だったので驚いた。一〇万円もするマッサージ器をくれる夫がおり、それを惜しまず他人にあげてしまえるような亜美の生活を羨ましく思った。商品写真を撮ることと検品を兼ねて箱を開けてみると、亜美の言った通り、マッサージ器には使用した様子もなく、肌に接触する部分にはフィルムが付いたままだった。箱に付いたバーコードを読み取り、写真を撮る。七万円くらいが相場だが、早く売ってしまいたいので六万円という価格を付けて出品した。

 数分後に、フリマアプリから通知が届いた。美佳が、もう売れたのかと思って、メッセージを読んでみると、どうやら様子が違う。赤字で、「禁止されている商品の出品」という題名がついているのだった。驚きながら、文章を読むと、どうやらマッサージ器の出品が規約違反に当たるらしい。許可なく私人が管理医療機器を売ることは医薬品医療機器等法という法律に違反する、と書いてあった。よく見てみると、確かに、箱に書いてある商品名には『管理医療機器』という文字がある。

 美佳は改めて先ほど出品した商品と同じものを検索してみたが、ざっと見ただけでも全く同じ商品が二十件以上は売却済み、もしくは現在も売られている状態だった。なぜ自分だけがこんな目に遭うのだろう、という思いが去来する一方で、手違いで売ってしまい逮捕されるようなことにならずに済んでよかった、とも思った。

 少しショックを受けながらも、次に美佳は美白目的の健康食品をめげずに出品することにした。過去に売れた商品を検索し、検索ワードや価格を決め、健康食品の写真を撮り、出品した。すると、一分も経たずに再びフリマアプリから通知が来た。美佳はスマホの画面を二度見した。また赤字で警告文が表示されていたのだった。今回は薬事法違反だと書いてあった。警告文を何度も読み、健康食品の箱の裏面をよく見ると「第二医薬品」と書いてあった。しかも、警告文には商品の出品停止のみならず、十二時間のフリマアプリ使用停止という文言までが書いてあった。美佳はスマホの前で脱力した。

 衝撃のあまり、しばらくぼんやりとした後、気持ちを落ち着かせるためにコーヒーを淹れた。完全に他人のものを売る際に自分自身が確認を怠ったことが原因だと言うことは分かっていたが、どうしてもどこか納得できない部分が残った。フリマアプリのホームページの「禁止されている出品物」の一覧を検索して、アドレスをお気に入り登録した。今コピー機を使うと騒音で近所迷惑になってしまうので、翌朝に印刷することにした。普段なら受け流せるような話であったが、産後の精神不安定のせいか、ぐるぐると自分の失敗を繰り返し考えるループに入り込んでしまい、眠れる気がしなかった。明日も娘の面倒を見なければならないことを考えれば深夜にコーヒーを飲むべきでないと分かっていた。それにもかかわらず、自傷にも似た行為と知りながらコーヒーを一口飲んだ。

改めて同じ商品をフリマアプリで検索すると、高値で売られていたり、既に売却済みであったりした。美佳はもやもやとしながら、まだ売られている同じ商品を次々と事務局に通報していった。出品が禁止されている商品が禁止されている理由には納得していた。が、事務局の網から零れ落ちているものが多過ぎる。禁止するのであれば、紛らわしいので包括的に禁止してほしい、と思った。

了(原稿用紙11枚)

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