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読書紹介文:高瀬舟

弟の喉笛を引いた諸刃の剣 同心庄兵衛のジレンマ



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物語は、江戸時代中期の京都の川を往来する小舟「高瀬舟」が舞台。罪人を舟に乗せて護送する庄兵衛と、舟に乗り込んだ妙な罪人、喜助との会話で物語が展開していく。喜助の罪は弟殺しである。

同心の庄兵衛は家族を養うために倹約生活を送っている。しかし庄兵衛が理想とする質素な生活と矛盾しているため、内心葛藤している。
一方喜助は、子どもの頃に両親を亡くし、弟と二人で西陣織の工人として暮らしていたが、弟が病気になり、生活はさらに困窮する。ある日弟は、兄に面倒をかけること不甲斐なさから、自ら命を絶とうとする。しかし、弟の傷は浅かったため死にきれず、兄に手を貸すよう助けを求め、喜助それを受け入れた。そして、弟殺しの罪で島流しの刑となった喜助は、護送人の庄兵衛と出会うこととなる。

喜助は貧困のため、選択肢は少ないものの、どんな時でも小さな希望が心の満足を生んでいた。島送りの際に得た、人から見れば微々たる二百文でさえ、喜助にとっては、未来を期待するに十分な金であった。そのような知足を知る男であるため、護送される高瀬舟の中でも、まったく憂いていない様子が庄兵衛との対話から読みとれる。

このような男がなぜ、弟を手に掛けることになったのか。喜助が弟を手に掛けるまでの描写が数ページに渡り描かれている。二人の苦悩が、まるで終始目撃しているかのような生々しさだ。元気だった人が衰弱し苦しんでいる様子に出会うと、時に目を背けたくなることがある。それが大切な人であればなおさらだ。ましては喜助の場合、目の前にいる血だらけの弟はまだ生きていて、自分に止めを刺してくれと切実に願っているのだ。

この状況に目を背けることができるのか。苦痛から解放してやる行為、それは罪なのか。同心である庄兵衛は、その疑問をオオトリテエ(お上)に任せよう、その判断を自分の判断としようと考える。しかし、同心として正しい選択をした庄兵衛の、どこか腑に落ちぬ様子で話が締めくくられる。

庄兵衛の葛藤は、社会という重層的で複雑な集団の中で、人間が直面する普遍的な葛藤だ。それは、軍医であった鴎外の、社会的ジレンマなのかもしれない。望むなら、苦から救ってやりたい、激しい苦痛にあえいでいる者たちを見て、幾度も願い、とどまったのではないか。

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