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人間になれたかもしれない!やったあ!

 今日は担任との面談があった。僕は教卓の横の座席に座っているため担任との交流は多いが、やっぱり礼儀というのはあるので気を付けて話す。間違っても承認欲求が爆発して、自分のことを不用心に話すことだけは避けなければ。
 僕は人から注目を注がれることに快感を覚えてしまう人間なので、面談というのは僕にとって嬉しい時間だ。そういう心持ちが担任に読まれないよう、自分のエゴを慎ましくしまっておかなければならない。もし音MAD好きとか、インターネットに革命を起こしたいとか、余計なことを言って担任に軽蔑の目で見られたらこの先1年間に影響してしまう。
 とはいえ面談のペースは終始担任が握っていたので、僕は軽く受け答えるだけ。TrueかFalseかの受け答えがほとんどで、過剰に喋ってしまうようなシチュエーションは一切無かった。担任には感謝しかない。

 さて、そんな緊張の中でも嬉しかったことが1つある。面談の前に事前アンケートを書いたのだが、その中に「悩んでいること」という項目があった。僕は「コミュニケーションが壊滅的だ」と書いて提出していた。
 こういうのを知って欲しいと思うのも承認欲求なのかもしれない。もしくは先生と仲良くしたいのか。どちらにせよTwitterでは基本的に良い人間としては描かれないだろう。今思うと、こういう余計なことをする一面によって僕は嫌わてしまうのだなと後悔。でも反省はしない。反省しないからnoteを5日連続投稿するのだ。
 
 話を戻して、面談でコミュ力不足について触れた担任は、「いや、普段の君を見てても別に普通だけどね」と言った。言ってくれた。
 死ぬほど嬉しかった。自分のコミュ力不足を隠せている。隠しながら生活ができていることが証明された気がした。去年の文化祭で失敗して、コミュ力に悩んで、discordサーバーで無理やりリーダー気どりをして、棋道部を辞めて、それでも対人関係で病んだときには逆戻りして。新学期に去年仲良かった人達と同じクラスになって、新しい友達もできて。でも結局距離感が掴めなくて何度も倦んで。
 普通の人なら当たり前にできることだが、僕には長い訓練が必要だったのだと思う。まだ訓練修了とまではいかなくても、担任は僕を抱きしめてくれた。彼は僕の喜びに気づいてはいないだろうが、本当にありがたい。

 と、ぬか喜びしたは良いが、担任はかなり鈍感な所がある。彼には気づかれていなかったが、他のクラスメイトはコミュ力の不甲斐なさで苛立たせているかもしれない。というか、担任がお世辞を言った可能性だって低くない。結局根拠の無い達成感だったと今は思う。

 今日の放課後に友人3人と会話をしたのだが、人の話を聞くのが手一杯で、会話をリードしていけなかった。最近起こった話をしようとした時、何回も言葉に詰まってしまって話術の不備を痛感した。僕のコミュ力奉行はまだまだ続きそうです。

↑これも陰キャエピソードです。良ければどうぞ。

 


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