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誰のための日記か

 今日でnoteは12日連続投稿らしい。一回寝落ちしたのを除けば2週間近く投稿したことになる。行動に一貫性のない僕の性格を考えれば、ずいぶん長く続いている方だと思う。まあ同校の生徒へnoteを布教したいという野望を持っているので、そのために連続投稿は当然と言えば当然であるが、まあ継続できてるのは嬉しい。
 でも僕は何のためにnoteを書いているのか。たまに見失うときがあるのでもう一度ここで再確認しておきたい。惰性で書き続けるのが一番無駄なことなので、目標ははっきりさせておこう。


・自分のことを知って欲しい

 僕は時々、他人から「何も考えずにぼうっとしている」という評価を受けることがある。勿論それは的外れではないし実際そうなのだが、流石にただのほほんと幸せに生きている人間と思われるのは心外だ。僕には僕なりの苦悩もあるし、人並みとまではいかなくとも生きる障壁はある。それを無下にしてただお花畑だと評する人への反抗心が、僕をnoteへ駆り立てた一つの理由だと思う。承認欲求もあるかもしれない。
 ただ、苦悩が沢山で可哀そうとも思われるのも嫌だし、実際そんなに苦しい訳ではない。自分へのネガキャンはほどほどにしておきたいと思っている。まあtwitterよりは病むかも。

・文章力

 一応文芸部に入って小説を書いているはいいものの、あまりに感情表現の文章が稚拙で、もうちょいどうにかならないかと思っている。1日1000文字という制約をかけながら日記をつけていけば、多少感情や状況を説明する力がついてくるのではないかと思うし、そうでなきゃ駄作を文化祭で披露することになる。我ながらテーマは上手くできてると思うので、これをなんとか形に持っていきたいと思い、とりあえず日記でトレーニングをしている。
 このとき大事なのが、第三者に見せる前提で書くことだ。どんな難解な小説でも、結局は読み手に伝わるように書かなければならない。どれだけ素晴らしい理念や思想も伝わらなければ、小説に費やした時間は全て徒労だ。そういった意味で、このように文章を公開することは重要だ。読んでくれる人ー本当に存在するかはともかくーが何も突っかからずに目を通し切ってくれるように、僕は文章を磨いていきたい。

・努力

 日記は残酷なもので、書くときに必ず今日した行動を顧みなければならないのだ。今日はゲームしかしなかった、会話のキャッチボールに失敗した、忘れ物をした。日記に書くかはともかく、そういう内省の時間が日記によって生み出される。これが深く心に傷を負うようになると、これを回避するために努力をせざるを得ない。努力が自分を変えてくれるのは昨日書いた通りだが、それを促進する役割を日記は担ってくれる。これに関しては公開だろうと非公開だろうと関係なく、なんとなく努力できていないと感じた人は日記をやってみると良い。

・人生の華

 最後は情緒。何気ない会話の内容だったり、小学校時代の平和な日常だったり、電車でおじさんに足を踏まれて中指を立てられたり(8割実話)、夜11時に大人が町中に響き渡る声で泣き叫んでいたり(実話)。それらについてもう一度思い返し、このとき何を思ったか、そこから何を学べるか、もしくは笑えるか。そういったことを繰り返して自分をよりよくしていく。いや、そんな堅苦しく考えなくても、結局思い出に更けること自体が面白いのかもしれない。もしくは、こういうエピソードを人に共有する。笑ってもらえれば万々歳。結局最初の偏見払拭の話に続くが、僕の考えていることを人に聞いてもらえるのは嬉しい。


 こんな15歳の若造ですが、良ければ僕の稚拙of稚拙な日記を見て何かを感じて頂ければと思います。いつもよりも長々と失礼しました。


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