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短編『五月』

 しばらく土日に雨が続いていた。五歳の娘は、外で遊びたくてウズウズしている様子だった。もちろん室内で遊ぶことができる施設もあるが、娘にとって外で遊ぶことは、鬼ごっこひとつを取っても全く違うものらしい。

「おはよう」

 娘が眠い目をこすりながら起きてきた。朝ごはん何?と聞いてきたので、玉子焼きとミートボールにおにぎりだよ、と言うと、さっきまで眠くてトロンとしていた目が、キラキラと輝きだした。

「お出かけ?」

 僕が休日の朝ごはんで、玉子焼き、ミートボール、おにぎりの三点を用意する時は、同じものをそのまま弁当箱に詰めて、お出かけする時なのだ。

「ちょっと時間はかかるんだけど、電車に乗って、大きな公園に行こうと思うんだ」

 話終える前に娘は、僕の周りをぐるぐる走り回っていた。

「やったー、公園だ。パパ、鬼ごっこ、百回しよー」

 君が笑顔になるんなら、百回でも二百回でも足が取れるまで鬼ごっこをしちゃうよ。笑顔の僕は、はしゃいで走り回る娘に、たくさん朝ごはん食べて、お出かけの準備をしようと言った。娘は宇宙一元気な声で、はーいと返事をした。


「パパ!おっきなすべり台があるよ!」

 すべり台に向かって真っ直ぐ走り出す娘に僕は、置いてかないでと笑いながら言い、後を追いかけた。五月の太陽の本気が、ここまで暑いとは。でも、嫌いな暑さじゃない。たぶん、娘が笑っているからだろう。

 今まで仕事ばかりで、こんなに同じ時間を過ごしてこなかった。もっと時間を作ればよかった。三人で過ごす時間を。

 すべり台、ブランコ、ジャングルジム、ターザンロープに緑の芝生。娘は夢中で走り回る。汗だくで砂まみれ。

 真夏ほどではないが熱中症は怖いから、水分補給は大切だ。お茶飲むぞーって、ペットボトルを渡すと、勢いよくゴクゴク飲む。たくさん飲んでね。ペットボトルはまだ3本あるよ。

 不意に娘がベンチに目をやる。ベンチには老人が座っていた。散歩の途中だろうか、暑そうに顔を歪め、タオルで額を拭っている。 娘はペットボトルと老人を交互に眺めている。優しい子に育ってるな。老人にお茶をあげたいのかな。

「パパ。おじいさん暑そう。お茶あげてくる」 

 走り出そうとする娘を引き留めた。今の時代、優しく人懐っこいと色々心配になるんだ。心苦しくはあったが言った。

「あのね。自分から知らない人に近づいちゃいけないし、知らない人が近づいて来たら逃げなきゃいけないんだよ、それに‥」

 言い終わる前に娘が言った。

「ともだちになってくる。ともだちになら、お茶あげてもいいでしょ?おじいさん暑そうだから」

 ともだちになる、かぁ。

「そうだな。いこうか」

 この調子だと、ともだちがドンドン増えそうだな。ねぇ、君も今の見ただろ。素敵にまっすぐ大きくなってるね。僕は綺麗な青空を見上げた。

 真昼の月が、優しく僕らを見つめてた。

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