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論文執筆において、守・破・離の『守』が最重要である5つの理由

規矩作法  守りつくして破るとも  離るるとても本を忘るな
千利休

▶︎序論

「なぜ、投稿規定というものはこんなに長くて、こんなに詳細なんだ!?」

「投稿規定の上に、『STROBE statementに従うように』って、二重の鎖じゃないですか!?」

論文を一度でも執筆したことがある人なら、全共感いただけると思います。

おそらく、みんなこんな風に思っているんじゃないでしょうか? #もちろん僕も

聞いたり、教わったりするんじゃなく、自分自身が発見する。
自分の問題としてです。
そうすれば自然に、自分自身で、直に芸術にぶつかることができるのです。
(中略)
芸術は絶対に教えられるものではないのです。
(中略)
芸術は、つねに新しく創造されねばならない。
けっして模倣であってはならないことはいうまでもありません。
岡本太郎 『今日の芸術』

英雄的破天荒!
俺の個性を爆発させて、時代を前進させてやろうってのに、ちまちま小せえこと言ってんじゃねえよ、というわけです。
確かに、臨床研究というものは、現時点の集団の既知の一部を破壊し、離れ、もう一歩前へ進めることです。
その意味では、疑う余地もなく守・破・離のうち、『破』と『離』が該当するでしょう。
何を守る必要があるんだ!?、守っていては創造できないだろう!?
これから時代を切り拓く弾頭の最先端になろうというのに!? #英雄的破天荒
この野心的な考え方は、とても良い考え方だと思いますし、一面、正解とも言えるでしょう。
ただし、絶対に、絶対に、上の考え方「のみ」では、ピアレビューを通過して論文に掲載されるということはありません。

僕たちは、このように理解しましょう。

臨床研究のコンテンツ(中身)は『破』『離』であらなければならない
だが、その執筆形式は、ひたすらに『守』であらなければならない

別個の問題だったのです。
ここを1つの問題にしてしまうと、整理がつかなくなってしまいます。
研究を計画して、実行するまでは、『岡本太郎』でなければなりません。
一方、論文を執筆する際には、生真面目な公務員のような人格にならねばなりません。

金属バッドをもった人が、「己の力を、個性を発揮しきりたい」と思って、路上で振り回したらどうなるでしょう?
ただの、犯罪者ですね。
しかし、スタジアムのダイヤモンド内、バッターボックスという狭い場所に立ち、18.44m離れた場所から投じられた全身全霊の1球を打ち壊すためにその力を爆発させたとき、その人は英雄と呼ばれるでしょう。 #大谷翔平
決められた場所で、決められたルールの中で、「驚愕のお前の力」を出すことが求められているのです。

とはいえ、そもそも論ですが、なぜ論文の執筆形式について『守』がそんなに求められるのでしょうか?
「そういうもんなんだよ」といってしまえば簡単でしょうが、意義が明確にわかることで、『守』へのモチベーションも変わってきますし、なによりも、「指導をする際にかっこいい先輩になることができる」利得があります。
なにせ、巻物級の投稿規定がある上に、各研究デザインごとに各種ガイドラインもあるのです。
なぜ、それらを読み込み、遵守する『守』が必要なのでしょうか?
今回は、その理由を、網羅的に考えてみました。

▶︎1. 読みやすい:インデックスが整理されるから

Chance favors the prepared minds(チャンスは、準備された心に降り立つ)
パスツール

地域に根ざして多店舗展開しているとある薬局があります。
その薬局は、「レイアウトがどこの店も全く同一」という特徴があります。
店に入ったとたん、違う店舗なのに、全く一緒に店に入り込んだような不思議な感覚になるのです。
このレイアウト全く同じ戦略の良さは、『目的の商品まで全く迷わない』ことです。
「ポテチが欲しい、じゃ、あの場所ね」「歯ブラシが欲しい、だったら、あの角」という感じで。
これが、なんとも小気味いいのです。

執筆された論文を読む場合にも、似たような感覚を味わうことができます。

「なぜこの研究をしようと思ったんだろう?」→Introduction
「この研究の被験者は何人?」→Abstract or Resultsの最初
「結局、何がいいたいの?」→Abstract or Conclusion

あらゆる論文において『構造が統一されている』ことで、インデックス内の情報の種類が既知となり、圧倒的な読みやすさを実現することができます。このように読むべき部分と読まなくてよい部分を見分け、読むべき部分だけを読んでいく技術は掬読 Skimmingと呼ばれ、学術論文はその『守』に支えられ、最も掬読がしやすい文章となっている。

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概要:論文の構造化が正確であることと読みやすさは時間的に安定していた
https://doi.org/10.1186/s12911-020-01291-y

▶︎2. 書きやすい:羅針盤、灯台になるから

そもそも考えるということは、「質問」し、それに「答える」プロセスにすぎないのだ。したがって、人生の質を変えたければ、毎日自分自身や周りの人に、どんな「質問」をすれば質の高い答えに導かれるかをいつも考えていることだ
アンソニーロビンズ

真っ白なキャンバスを渡され、「さぁ、自由に絵を描いて」と言われたとき、
校則ガチガチ学校のちょいワルヤンキーが、「明日から校則は何もなくなる。全て自由だ、やっちゃえ日産」と言われたとき、
はだか一貫で大海原に向き合ったような気持ちになりませんか。主題や柱がないことは、大海原にひとつの灯台も、羅針盤もない状態で立ち向かう感覚に似ています。
論文の執筆において、その主題・柱を与えるものが、投稿規定であり、各種ガイドラインなのです。
イントロダクションにおいて、「研究テーマのこれまでの背景は?」と問われるから、それに回答するように執筆ができるのです。
これまでの知の大河によって磨かれてきた定型的な「問い」こそが、投稿規定であり、各種ガイドラインです。
僕たちが、論文を迷いなく書き進めていけるのは、これらの「問い」があるからこそと、感謝すらすべきと感じました。

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概要:質問は、組織の価値を引き出すためのユニークで強力なツールである。学習からアウトプットへの移行を促進し、イノベーションとパフォーマンスを向上する。また、予期せぬ落とし穴や危険性を発見することで、リスクを軽減することもできる。

▶︎3. 質が上がりやすい:テスト問題をすでに知っている状態を作れるから

人の頭には上下などない。要点をつかむという能力と、不要不急のものはきりすてるという大胆さだけが問題だ
司馬遼太郎

テストを受ける際に、2種類の人間がいます。

岡本太郎気質:自分が重要だと思った部分をとにかく盲目的に勉強する型
秋山真之気質:先生がテストに出しそうなところを予測してピンポイントに勉強する「ヤマハリ」型
※秋山真之に興味 ▶︎ 「実践のための秋山真之の勉強法」を参照してみてください

後者の方が点数がいいことは、誰もが経験則として持っているでしょう。
ピンポイントに労力を集中した方が、効果性が上がるのは当然です。
これは、「一個人のもつ全エネルギー量を、どう分散させるか」という問題です。

そして、論文の執筆においても類似のことがいえるのです。
論文を「投稿規定」も「各種ガイドライン」も知ることなく、岡本太郎気質で書き始めることは、明らかにエネルギーの霧散を生じさせます。
虫眼鏡で光を集めるから、新聞紙も燃えるのです。

ところで、テストの場合には問題を「予測」する必要があります。そして、それはとても難しい作業になると思われます。
安心してください!!!
論文執筆は、簡単です。
なにせ、問題がすでに「投稿規定」「各種ガイドライン」という形で用意されているのですから。
コンテンツの面白さ(Interesting)、新規性(Newly)が満たされていた場合、上の問題にしっかりと答える回答用紙(論文)が作成できれば、掲載の確率はかなり高くなると思われます。
逆にいえば、雑誌側、編集者側、学術体系側は、「投稿規定」「各種ガイドライン」という問題を設定しておくことで、執筆者のエネルギーを質が高くなる方向に集中「させる」ことができるのです。
つまりは、誘導尋問です。水が流れる堀を掘っておくことです。

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概要:アイデアの発想から原稿の出版までのプロセス全体に費やす時間の3分の1が、適切な主要研究質問を見つけるために投資される可能性があることが示唆されている。[適切な疑問を見つけることに必要な労力がいかに大きいか、その部分がガイドラインによって省けることがいかに大きいかを示唆していると思う]

▶︎4. 査読しやすい:両者納得、個人間の差が少なくなる

「春が来て桜が咲く。ありゃうそだ」
人間の目と心があればこそ天地万物が存在するというのである。
河井継之助

学生のころ、テストの採点について、ずっと心に秘めていた思いがあります。
それは、『なぜ現代文を採点されなきゃいけないんだ!?、この文を読んでどう思うかは、自由だ』です。
採点がしやすいものと採点がしにくいものが世の中にはあります。
採点がしにくい場合、採点基準が『恣意的になる』という問題が生じます。

例えば、同じ論文をレフェリーAとレフェリーBが見たときに、Aは「Accept」、Bは「Reject」、その理由を尋ねると、Aは「好きだから」、Bは「嫌いだから」と答えました。これが恣意的になるということです。

科学論文は、当然、学術体系の求める一定の質が担保されたものでなければなりません。一定の質を担保するためには、一定の評価基準が要ります、そこに恣意性が入り込んではなりません。
恣意的になりやすいか否かを規定している、2つの軸を考えました。

恣意的になりやすい質問、なりにくい質問

軸①:Closed-ended or Open-ended
・質問が「Yes or No」で答えられる→Closed-ended、自由回答→Open-ended
・Closed-endedは恣意的になりにくく、Open-endedは恣意的になりやすい
軸②:Objective or Subjective
・質問が「客観的で数量化が可能な回答を求める」→Objective、「主観的で数量化が難しい回答を求める」→Subjective
・Objectiveは恣意的になりにくく、Open-endedは恣意的になりやすい

この軸①、軸②を理解した上で、各種ガイドラインを眺めてみて下さい。
ほぼ、すべての項目が『Closed-ended』&『Objective』になっていることに気がつくと思います。
そうなのです!!
投稿規定、各種ガイドラインは、査読の質が一定に保たれるよう、仕組まれているのです。
秤を個人内に持たせるのではなく、1個の身体の外に出して、みんなでその秤を使おうよ!、その秤自体を改良していこうよ!、という営みが投稿規定、各種ガイドラインともいえます。
逆にいえば、書く側が投稿規定、各種ガイドラインの僕となることは、そのまま点数の向上を意味することが理解いただけますでしょうか。
恣意性が入り込む余地が少ないわけですから、それに従っておけば、項目を満たすように論文を執筆すれば、レフェリーは『Yes』と答えるしかなくなるのです。
ちょっと話がずれましたが、『守』は、書く側だけではなく、査読する側にも必要なことで、それは査読の質をあげるという利得があります。

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概要:臨床研究の試験およびシステマティックレビューやメタアナリシスには,それぞれConsort StatementとPRISMA Statementを使用する。これにより,編集者や査読者は,試験やレビューの重要な要素が取り組まれていることを確認することができる.また,査読プロセスの迅速化にもつながる。

▶︎5. 束ねやすい:評価指標がもれなく記載され、文脈の中の1滴となるから

私たちがやっていることは大海の一滴にすぎないことは、私たち自身感じています。しかし、大海はその一滴分を損なえば、一滴分は少なくなっているのです。
マザー・テレサ

大前提として、研究は自分のためにするものではありません。
学術体系のためにするものです、自分を超えた大河に一滴を加えるものです。
そのためには、1個人が、全身全霊を込めて作り出した一滴を、①学術体系全体と類似の構成物にすること、②他の1滴とのつながりを明らかにすることが必要になります。

①学術体系全体と類似の構成物にすること
束ねる際に必要な指標が網羅されます。
例. 『RCT』を『A systematic review - Meta-analysis』にしていくために必要な情報が、ガイドラインを遵守することで漏れなく記載されている状態となる

②他の1滴とのつながりを明らかにすること
その1滴の学術体系の中における位置付けが定まります。
例①. 背景とKnowledge Gapが明らかにされることで過去との文脈が定まる
例②. 一般化や限界が明らかにされることで未来の1滴とのつながりができる

そして、①②を実現させる作業は、投稿規定・各種ガイドラインの遵守なのです。
すなわち、これを遵守することに注力できないうちは、自分のためにやっている手前勝手な論文執筆。学術体系のために論文を執筆するということは、即「投稿規定・各種ガイドライン」遵守なのです。

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概要:ジャーナル間で原稿の形式や準備を標準化する方法が必要であり、ICMJE Recommendationが発刊された