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ネットで繋がれない人たち

先日久しぶりにFacebookアプリを立ち上げた。
タイムラインに目を通す気にもならない。
どうせ、ナニナニを食べましたー大好きサイコーとかドコドコへ行きましたーいい休日でしたーとか、Instagramならストーリーだけ上げて24時間後には消えているような内容ばかりだ。
隣県に引っ越しますとか、結婚しましたなんていう告知はそうそうない。何年かおきにまとめて読めばすむ。だいたい重要な連絡は電話で来る。世代的にメールか電話なのだ。

40代だと、中高時代、半分ほどの家にパソコンがあっただろうか。学校の授業でも「パソコンでプログラムしたり計算をしたり絵描いたりできます」と習った。「コンピューター」は「使い道が多い電子計算機」という認識で、その後もネット回線が繋がっていない家の方が多かった。だから、タブレットだ、スマホだ、といってもゲームしかできない人間が多い。LINEとソシャゲしか使えないのだ。

Facebookに登録しているかどうかで、職業だとか社会的階層のようなものが分かれてくる。友人だけを思い出してもそれらしきものは見えてしまう。社会全体だとどうだろうか。
Facebookはすぐに会えない古い友人と繋がったり、名刺代わりに使ったりする人がほとんどだろう。アクティブな意見交換や情報収集の手段とはいえないはずだ。
本名で登録するので顔見知りにしかアカウントを教えられず、用途が限られる。だが、本人がその用途を必要としたことは読み取れる。
地元を離れて進学しただとか、職業上自己紹介を見てもらうのが望ましいとか、またはそういう友人が多いので関係性をアピールしたいという理由もあるかもしれない。
「Facebookを使うような陽キャは高収入だ」
「友達が多いのを自慢しているんだろう」
と思う人もいるだろう。私もそう思ったことがある。
だが、現実問題として、いい歳した社会人は真っ当に働いて生きてますアピールをする必要があるのだ。
(人間関係を考える余裕なく)日雇い派遣でしのいでいる人には必要なくても、何十年も前に卒業した学校の同窓生とはネットを使わないと連絡がつかないし、新しく就職しようとすると自己紹介ページがどこかにあれば安心材料にもなる。
いま、古い知り合いを検索しても半分ほどしか出てこない。
世代的にネット社会に適応できなかったかもしれないし、ネットで旧友や仕事上の関係者と繋がろうと思わないような生活をしているかもしれない。たぶん後者だと思う。田舎の生活は貧しく人間関係は堅苦しいのだ。出ていったやつは負け組なのだ。

ただアカウントがある=清く正しく生きている、ではない。週払いの交通誘導警備員で真っ当に収入を得ている地元の友人は登録していないし、実の兄は家を出て地方のヤクザに養われているドチンピラだがFacebookでリア充アピールに余念が無い。高級車やモンモンを見せびらかしているのでヤク充か?
さきほど社会的階層と書いたが、社会的立ち位置といった方が正確かもしれない。読み取れるのはプラスマイナスというよりライフスタイルの違いだ。
ただ、アカウントを持たない友人は生活なり仕事なりが苦しそうだったりするし、アカウントを持ってリア充アピールする友人は現実にも楽しそうにしていることが多い。
多少のバイアスはあるかもしれないが、昔は見た目で人格や能力を推測されていたように、今はFacebookアカウントやキラキラTLの有無で人格や生き方を推測される時代になった。

プラスの使い方をするなら、リア充キラキラTLを多く目にすることで、あなたがこれまで目にしたことのなかった楽しみが見つかるかもしれない。コミュニティに属して会ったことのない人と友人になるのもいい。というかSNSの正しい使い方なのだが。
今まで放置していた人や、アクセスしたこともない人はいろいろ試してみてはどうだろうか。

Twitterでオタ充ヌメヌメTLを構築している人は……その生き方を貫けばいいと思う。私もそうしている。

今月も皆様のサポートのおかげで生活保護申請せずにすみました。心より御礼申し上げます。