SNSの日の丸アイコン

どうも、しらこばとです!(何やこの名前)

今日はネット愛国者についての個人的な意見を述べさせてもらいます。

愛国者であること

政治的な立場を表明することは大いに結構です。一部の職業を除いて否定されるべきではありません。
なかでも愛国心の表明というのは国民国家の一員として自然なものです。責められる謂れはありません。

戦後日本においては愛国イコール帝国主義、軍国主義という刷り込みがすっかりできあがっているので、その当事者にあっても日本軍人信奉や過剰な皇族崇敬が見られます。

また政治分野では、リベラルであった自民党と左派社会主義の社会党による二大政党制が続いたこともあり、右派は少数の「反動」勢力としてのみ生き続けてきました。
中でも最も目立つのは「街宣右翼」の存在かもしれません。
愛国を叫び政治的な活動を標榜しながら、暴力団などから資金や構成員の供給を受けることで、右翼イコールスジモノという印象を強くしました。
「愛国はならず者の最後の拠り所」という、ある種のプロパガンダ標語は皆さんも聞いたことがあるかもしれません。

2000年代以降は在特会などネット発の愛国活動家が現れたことにより、保守イコールネット右翼イコールオタクや社会不適合者の集まり、というイメージができあがっています。
ですが床屋政談と呼ばれるように、理髪店や居酒屋など人の集まる場では「右寄り」の意見が多く発せられますし、田舎では祝日に国旗を掲げる家が多数残っています。

人々の声は「平和が一番だけど国を愛するのは悪くないよね」という、ちょっと気弱な保守の流れを形作っているのです。

トップダウン道徳

現代日本では反戦平和が「道徳的」であり、愛国や保守はそれに反するという「道徳」が教育されてきました。
戦後まもない頃は占領軍への敵意がないことを示すために過度な左傾教育が蔓延ったのですが、そこへソビエトをはじめとする共産圏の政治勢力が浸透したことにより、愛国イコール暴力的であり「反動的」であるとする教育に変わってきました。
右派が「反日教育」と呼ぶものがこれです。

道徳というのはもともと宗教的な「教え」が形骸化し、生活に染み込んだ上で完成するものです。
しかし近代の日本では輸入されたキリスト教的道徳観、急ごしらえの国家神道、そして急ごしらえでかつ輸入ものの共産主義的道徳観が幅を利かせています。
これは教育の場が寺子屋から学校に変わった時点で避けようがなかったのかもしれません。

余談ですが、昨今耳にする「親学」や「江戸しぐさ」などもこれらの新興道徳に割り込んで一稼ぎしようという企てから生まれたものです。

そんな教育を司る者たちからトップダウンで下賜された道徳を僕たち現代人は身につけることになりました。
そこには先に挙げた「愛国はならず者の最後の拠り所」につながる教えもあるのです。

反骨精神→日の丸?

トップダウン道徳で明治日本的統制社会と左翼的反伝統主義をミックスして教育された現代人にとって、社会とは口先だけの平和主義を唱え軍国主義時代から変わらぬ権力の統制下で生きる「息苦しい場」なのです。

今生きづらさを感じる人の多くが社会の不自由さを訴えることからわかるように、日本社会は国民を道徳で縛り上げることで結束力を保っています。

道徳的とされる社会に反発することは「不道徳」とされます。
なんだかオーウェルの「1984」みたいですが、あそこまで大げさでなくとも、似通ったところはあると思います。

さて「不道徳」のレッテルを貼られた人々はどこに行けば救われるのでしょうか?
かつての日本では「村八分」という、コミュニティからの追放という手段が用いられましたが、今はより統制社会化しているので村八分は使えません。
答えは同じく「不道徳」とされたかつての伝統を愛好すること、です。
伝統といっても、平安時代や鎌倉時代の生活を再現するのは知識が必要です。勉強ができなくて社会から弾き出された人も多いのでそれは無理です。
簡単なのは明治〜昭和初期の日本社会で生まれたものの中から「現在は不道徳」を探し出すことなのです。
そしてそれが軍国主義であったり愛国心であったり、国家神道との結びつきである、ということなのです。
現代左翼教育が便所掃除に不道徳とレッテル貼りしていたら、今頃は強行手段で学校や役所に押しかけて便所掃除する不良少年たちの姿が見られたことでしょう。

というわけで、社会への反発心を表すのに国旗を用いる人が増えているのです。
暴走族が旭日旗を掲げるのも同じですね。

不道徳→正義へ

さてさて、それでは不道徳のレッテルを貼られ現代の村八分として愛国や伝統を志した人々の心の内やいかに。
お読みの皆様の中にも日の丸アイコン使ってるよーという方がいらっしゃるでしょうから、もういちいち謎かけ説明はしません。
自分たちこそは本来あるべき道徳を追求しているんだと、こう思っているはずですね。というか思ってなきゃ国旗を掲げることはしないでしょう。

そうなんですよ。
愛国や伝統墨守ってのは道徳だったんですよ。
さすがに戦後77年が経ってそう思わない人の方が割合としては多いのですが、そうであっても、正義の反対はまた別の正義というように、正しくないけども別の誰かにとっては正しいものってあるんです。

日の丸アイコンの中身

日の丸アイコンを貼っつけて共産党や南北朝鮮を腐すネット右翼の正体は……統制社会で村八分にされた弱者だった! とか書くと絶対怒られますよね。いいんですけど。

でもあえて弱者と書きます。
何が弱いのか?
統制に従う力です。
権力や長い物に巻かれる忍耐力が足りないのです。
なぜかと言うと、人の良心が遍く全人類に備わっているという性善説を信じてしまうお人好しだからです。

どちらがただしいのか

ここまで読んで、こいつもしかして今の日本をファシズム国家扱いしてるのか? と感じた人もいるでしょう。その通りです。
戦後77年、一度も思想的転換期を迎えたことのない令和日本はファシズム国家です。
大正デモクラシーを経験した大日本帝国以上に偏った、強い結束主義、差別主義を内包しています。

そう宣言した上で、あえて僕はこう提案します。
両方からいいとこ取りしようぜ、と。
ムッソリーニも腰を抜かすファシズム社会が持つ、権力にコントロールされた左翼思想と右翼思想、そして社会へのルサンチマンから生じる、自然な革命思想と極右思想、そのすべてをうまく取り入れ、自分なりの政治思想を組み上げたらいいじゃないですか。

日の丸アイコンっていいの? 悪いの? という初歩的な疑問はもうそれ自体が愚かだとわかったでしょう?

で、私見なのでこれまた個人的な感情を書くと、SNSアイコンに国旗を使うことは、どちらかといえば現代的で、国旗に対する敬意が薄れてる証拠だよなーとは思います。

今月も皆様のサポートのおかげで生活保護申請せずにすみました。心より御礼申し上げます。